1 竹の寺「地蔵院」はこちら
阪急嵐山線の「上桂駅」から西へ、物集女街道を横断し、山手へと進んでいくと、西山山麓、西芳寺川の流域に、「苔寺」の名のほうが有名な「西芳寺」、同じく「鈴虫寺」と呼ばれる「華厳寺」のあるエリアへと行きつきます。
その南に、やや小高くなった山あいに位置しているのが、竹の寺「地蔵院」です。
南北朝時代の1367年、管領 細川頼之の建立によりますが、応仁の乱で消失し、1686年に方丈が再建され、今に至ります。庭園は、十六羅漢の庭と呼ばれています。
なお、一休宗純が6歳で出家するまで、母とともに、この寺で過ごしたと伝えられています。
2 樹齢350年になる「胡蝶侘助」
この庭園には、再建当時からのものと伝えられる「胡蝶侘助」が、堂々とした枝張りで、主役を張っています。
樹齢350年になるという古木にもかかわらず、まだまだ旺盛な成長を見せているそうです。「胡蝶侘助」は、私も鉢植えにしていますが、管理の問題か、伸びが悪く、枯れも目立ち弱々しいのですが、ここの樹は、青々と葉を茂らせ、樹勢を感じます。
山に近く、適度な湿気と日当たり具合が、ちょうど樹にフィットしているのでしょう。
お寺の方にうかがうと、この庭園以外の場所では、挿し木しても、なかなか元気に育たないということでした。
西山を縦断する「京都縦貫道」ができてから、庭の苔の様相が随分と変化したそうで、地下水の流れの影響があるのかもしれないと話されていました。今のところは、この貴重な椿への影響は出ていなそうで、まずは何よりです。
(2023.3.26追記)
庭園の椿が、ちょうど見ごろを迎えています。
花が小さいだけに、木が紅に染まるという感じではありませんね。
3 ほかにも、この寺ならではの椿が~「袖隠し」「獅子頭」
「胡蝶侘助」とともに、この寺で見落とせないのが、「袖隠し」です。
門外不出の椿で、袖に隠してでも持ち帰りたいと羨望されたというのが、その名の由来とされる、白く、ふくよかな大輪の椿です。庭園右手に、藪椿と混じりながら、上空に伸びています。
品種としては、江戸後期に創り出された、江戸椿とされていますが、椿の研究で知られる渡邊武博士の著作によれば、関東に現存する樹よりも、この寺と高台寺の樹のほうが古いため、もともとは京都の椿だったのではないかと推測されています。
樹齢は150年程度、3月中旬ころに見ごろとなりますが、その期間はおよそ2週間程度と短いそうなので、時期を逃さないように気を付けて再訪したいと思っています。
(2023.3.26追記)
「袖隠し」が咲いています。
花が大輪に加えて、花弁が厚く層をなしているため重いのか、下を向いてしまいます。縁側から、見上げることができた一輪です。
「袖隠」の隣の藪椿も満開です。
「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」
あと、お寺の方からお聞きしたのが「獅子頭」。
「獅子頭」といえば、サザンカの一般的な品種ですが、それとは異なり、紅い大輪の椿で、この寺固有のものではないかと、研究家から言われているそうです。庭の奥にあるため、方丈の縁側からは見づらく、庭園周りの塀越しに見ることになるかもしれません。
(2023.3.26追記)
「獅子頭」が、色鮮やかな深紅に咲いています。
整った花弁の並びですが、必ずしも同心円状でない「崩し方」がいい味を出しています。洋種の椿のような雰囲気を持っていますね。
4 方丈でほっこりと庭園を鑑賞
また、庭の左方には、大変、姿形の良い、五葉松の大樹があります。この樹も、再建当時からあるもので、五葉松としては、京都有数の樹容を誇るものです。
この五葉松と「胡蝶侘助」は、それぞれに存在感がありますが、少々「あり過ぎ」かもしれません。
寺の方曰く、庭師からは、庭園のバランス感という点では、もう少し刈りこんだほうがよいといわれているが、今もこれだけ元気に伸びているので、なるべく樹の成長に合わせるようにしているとのことでした。
古木にもかかわらず、旺盛な成長を続けているのはうれしく、人の手による厳しい造形もよいのですが、おおらかな伸びをしばし楽しめるのもまたよいものだと思いました。
(2023.3.26追記)
生憎の雨の一日だったこともあり、私が再訪したときには、参拝客も途絶え、「十六羅漢の庭」に咲く椿の光景を、方丈に、私一人きりの貸し切り状態でゆっくりと眺めていました。
椿も種類によって、花の盛りの時期が違うのですが、今日は、すべての椿の時期が重なる、いい日和だったようです。
(追記2023.4.16)
すっかり新緑の季節となった地蔵院です。空まで、モミジの青葉に覆われ、緑一色となっています。