三輪明神・大神神社、談山神社、聖林寺への探椿紀

 奈良県桜井市は、奈良盆地の中央にあり、北に奈良市天理市、南に吉野、明日香村、東は、宇陀市へと続く三輪、巻向、初瀬の山々が連なり、その裾野から西へと大和平野が広がって、橿原市に隣り合います。

 

 有名な歴史豊かなまちに囲まれていますが、桜井市には、引けを取らない存在感があります。

 3世紀から飛鳥時代に至るまで、古代国家黎明期の舞台となった古墳のまちであり、中世における、興福寺の強大化と大和武士の勃興、さらに南北朝の動乱など、南都の時代のうねりを今に伝える寺社旧跡が数多く残る、歴史の宝庫ともいうべきまちです。

 ようやく、酷暑も一段落した秋のお彼岸の連休の一日、駆け足で桜井市を訪れ、三輪明神大神神社談山神社そして聖林寺を回り、豊かな歴史の片鱗に触れてまいりました。

桜井市埋蔵文化財センター展示

1 三輪明神大神神社を参拝

 大神神社の由緒について、『古事記』では、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)が、国造りを成就するため、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を三輪山に祀ったと伝わり、三輪山は「神奈備」として、山をご神体として、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。

 このため、大神神社には本殿がない古式の姿を今に残しています。

 二の鳥居から、深い鎮守の森の中の長い参道を進むと、石段の上に、唐破風の向拝を持つ堂々とした拝殿が目に入ってきます。ここで、大神の鎮座する三輪山への拝礼を行います。

現在の拝殿は寛文四年(1664)徳川四代将軍家綱によって再建

椿「獅子頭」の奉納

 お参りの後、「山野辺の道」に沿って、病気平癒の御利益のある狭衣神社へと向かいましたが、ここに山への入り口があるんですね。三輪山へ入山しようとする方々を見かけました。

向かって右手が入山口となっていました。

 今回は時間の関係でパスしましたが、三輪山は、神域として人手が加わらず、常緑広葉樹の自然林が保たれている「ヤブツバキクラス域自然植生」エリアとなっています。シーズンに山に入ると、藪椿の素朴な紅い花を楽しめることでしょう。

 近くに位置する、古代に大きな市が立ったといわれる海石榴市(つばいち)も、三輪山麓に椿がたくさん植えられていたことを語源とする説もあるくらいですしね。

 お昼近くになりましたので、せっかくなので三輪そうめんをいただくことにしました。

 二の鳥居付近の、門構えがとても風情のある「そうめん処 森正」で、シンプルに、二人で、にうめんと冷やしそうめんを注文。

近松門左衛門の「冥途の飛脚」に登場する「三輪茶屋」の門だそうです。
  ちなみに、この道の突き当りに、明治に至るまで「大御輪寺」という神宮寺であった「若宮社」があります。今は聖林寺にある聖観音菩薩像は、神仏分離令までは、ここに安置されていました。

 江戸時代の中頃に刊行された『日本山海名物図会』(1754)に、「大和三輪素麺、名物なり、細きこと糸の如く、白きこと雪の如し、ゆでてふとらず、余国より出づるそうめんの及ぶ所にあらず」とありますが、確かに細麺で、のびることもなかったですね。帰りに、そうめん干しの時に出る端っこの規格外品「ふしそうめん」を購入(一袋200円!)。家で、みそ汁に入れて美味しくいただいています。

2 多武峰談山神社

 大神神社を出て南へ、寺川の谷に沿って飛鳥、吉野へと通じる多武峯街道を進むと、山あいに稲穂の実る田んぼが見えてきて、ほっとする懐かしい風景となります。

 途中「聖光寺」への入り口を示す標識が出てきましたが、帰路に寄ることとして先を急ぎ、多武峰へと、県道155号線に急角度に折れ曲がると、急に山道となりました。

 しばらく進んだ後、旧街道へと下ると神社近場の駐車場に到着します。

 左手に、土産物店と多武峰観光ホテルが並ぶ一角を歩いて、見上げるばかりの大杉を右手に山側に入ると、朱色の鳥居と、そこから高く上る石段と横に広がる城壁のような石壁、その背景には、楓の巨木に覆われる山の緑が、一幅の絵のように目の前に広がります。

 「談山神社」は、多武峰一帯を神域として、藤原鎌足を祀る古社で、かつて、この地で、中大兄皇子鎌足が、蘇我入鹿を滅ぼして、新しい国造りをしようと、密かに談じたとの伝説から、この名付けとなりました。明治の神仏分離の前は、妙楽寺という神仏習合のお寺だったので、何処となく「お寺」感が漂うのが面白いです。

 紅葉と新緑、桜の時期は多くの人出でにぎわいますが、シーズンオフのこの季節、参拝の方は数少なく、わずかに秋めく境内に、ツクツクホーシが名残惜し気に鳴く中をゆっくりと巡らせていただきました。

 見るべき建物は数多いですが、異彩を放っているのは、鎌足墓所である「十三重塔」です。神社に塔?という意外感があって、まず目に入ってきます。石塔では見かけるものの、これほど立派な木造のものは他にありません。

 鎌足公の霊像を祀る「本殿」は、「拝殿」と東西の回廊(透廊)、楼門に囲まれる配置となっています。

 「本殿」の向かいの「拝殿」は、永正17年(1520年)の造営。中に入ると、床は畳敷き、頭上は格天井の横長の広間が延びています。正面に本殿を拝する中央部は、折り上げ格天井で、伽羅木を使うなど、とりわけ格式の高い造りとなっています。

 ここに座って、彩色鮮やかな本殿を眼前に見つつ、振り返ると、開け放たれた扉から、風にそよぐ楓の緑が見えます。神聖な場所なんですが、しばし、貸し切り状態で、心地よい時間を過ごさせていただきました。シーズンオフならではですね。

 「拝殿」は、山の下り斜面に張り出す「舞台造」となっています。清水寺のような大仕掛けのものではありませんが、拝殿、透廊から見下ろすと、たしかに山の風光を楽しむ舞台のようです。紅葉の時は、どれほど美しいことでしょうか。

天保8年酉年(1837年)

 旧・妙楽寺の講堂であった「神廟拝所」。

 この堂奥には、江戸時代(17世紀)の狩野派の絵師による作とされる「秋冬花鳥図」の複製が飾られています。複製といっても、コピーとは感じさせない質感です。これは、キャノンとNPO京都文化協会の共同による文化財未来継承プロジェクトの一つとして、大英博物館に所蔵されているオリジナルを高精細複写し、金箔や表装など高度な伝統工芸の技を施した複製品を、元あった場所に奉納しようという取り組みです。

 「秋冬花鳥図」があるなら「春夏」もあったはず。ちょうど、この9月に、青森の旧家で見つかった襖絵がこれに違いないという報道があったばかりです。ぜひ、この「春夏」のものも複製して、「秋冬」と並べて、年間通しの完成版としていただきたいですね。

 ちなみに、「秋冬花鳥図」に描かれる白花は、白椿とされていますが、花の形を見ますと、サザンカのような感じもしました。

ユーモラスな犬たち。運慶作とのこと。

 ほかにも、山内には、重要文化財の建物が目白押し。

縁結びの椿ですかね。

 建物で現存するのは、古いものでも室町以降の再建となっています。

 興福寺との抗争、南北朝の動乱応仁の乱などに幾度となく巻き込まれ、焼失の憂き目にあったと伝えられています。

 藤原家の始祖たる鎌足を祀っているのに、藤原家の氏寺である興福寺から何度も焼き討ちされるのもどうしたことかと思いますが、あえて興福寺のライバル、延暦寺の傘下に入り、山城を構え、僧兵を蓄えて興福寺に対抗したため、過激な衝突となってしまったようです。藤原本家としての強烈なプライドがあったのでしょうか。

 秀吉による大和平定後は、武装解除され、大和郡山に移転させられるなどの経緯もありましたが、徳川幕府の庇護も受けて、再興され、明治維新神仏分離令による危機も乗り越えて、「談山神社」と名を改め、今に至ります。

 境内の樹々は楓に圧倒されますが、入口に立つ大杉、石段脇の「夫婦杉」などの杉の巨木も見ものです。

 椿の古木も探したところ、蹴鞠の庭の南に、サザンカらしき2対の木と、椿がいくつかありましたが、残念ながら、年を経たものは見当たりませんでしたね。

 帰りに、土産物屋さんに寄って、栃もちと豆大福を買いました。店の方は、紅葉はもちろん、新緑も素晴らしいので、またお参りくださいと仰っていました。

3 聖林寺の名宝「十一面観音菩薩」と静かに佇む山茶花の木

 帰途、フェノロサ岡倉天心が激押ししたあの高名な「十一面観音菩薩」のある「聖林寺」に立ち寄りました。

 昔ながらの集落の中の、やや小高い場所にたたずむ、そんなに大きくないお寺です。

 秋桜彼岸花の咲く道をたどり、参道を上がると、三輪山とその手前の箸墓古墳を遠望することができます。

 本堂に上がると、巨大な丈六の石の地蔵さん(子安延命地蔵菩薩)に驚きます。

 その横にフェノロサが寄進したという御厨子があり、かつては、この中に観音様が安置されていたようですが、今は、立派な観音堂が令和4年に完成しています。

 本堂から観音堂に向かい、早速、観音様とご対面です。

 高さ2メートル、蓮の台の上に厳かに立たれる国宝中の国宝のお姿を初めて見ることができました。

 760年頃の天平時代に造られた、乾漆造りの仏様。

 観音様なので、優しい女性的なイメージも持っていたのですが、威厳があるというか、じっと内面を見つめられるような緊張感も感じましたね。

 造形の見事さは言うまでもありませんが、両手指先の何とも繊細な動きとその空間感覚には、やはり魅了されました。長く垂れる右手の先の指の曲がり具合、花瓶を提げる左手指の「つまみ具合」は、何かを指が語っているようです。

 乾漆造りの細工の細かさで爪と甘皮までも表現されていますが、単なる写実を超えた美しさを感じました。

 展示室では、四方から、間近に仏さまを見ることができます。指先まで見られることはもちろん、背面のやや猫背気味に盛り上がった背中、わずかに前傾を見せる側面、肩から腰、袖から足へと流れるような衣、蓮の花弁か一枚ずつ丁寧にはめ込まれた台座など、お姿を堪能できます。

 観音様を拝んだ後、庭を一回りすると、鐘楼の横に、椿かと思える木が目に入りました。庭木として仕立てられていますが、幹周1メートル近くありそうで、樹齢はかなり古いんじゃないでしょうか。何より、灰白色の斑の入った木肌が美しかったです。

 お寺にうかがうと、この木はサザンカらしく、冬場にきれいな白い花を咲かせるとのこと。

 観音堂の付近にも椿をいくつか見かけたので、桜の時期に再訪しようかと思っていたのですが、このサザンカもぜひ見てみたいですね。開花時期の関係で、なかなかまとめて見るのは難しいようです。

 

 

 桜井市は、なかなか一日では行くところも限られます。安倍文殊院や、長谷寺、足を延ばして、室生寺と見どころは多く、また、再訪したいと思います。