多くの参詣客でにぎわう太宰府天満宮。その西およそ2キロ、天満宮の雑踏から離れて、太宰府政庁跡のそばに、かつて西海道一円の寺を統括していたという「観世音寺」があります。
このお寺は、九州屈指の仏像の宝庫としても有名です。また、観世音寺に併設された「戒壇院」は、東大寺、下野薬師寺と並ぶ、天下三戒壇院の一つに数えられました。1300年近くの歴史を誇る「観世音寺」ですが、風災や戦火、寺勢の衰退により、堂宇は滅失、荒廃し、創建の姿をとどめるものはありませんが、静かな境内で、今も法灯を伝えています。
1 観世音寺の盛衰
「観世音寺」の歴史は古く、7世紀の後半、天智天皇が、母帝・斉明天皇の菩提を弔うために発願されたと伝わります。天平18年(746年)に落慶し、天平宝字5年(761年)には戒壇院が設けられ、国分寺の上に立つ大寺として、東大寺にも並ぶ地位を確立します。
「観世音寺」は、太宰府政庁が、地方最大の行政機関として、政治、外交、軍事に重要な機能を果たすのと同時に、西海道の仏教界において支配的な役割を担っていたのでしょう。
政治の実権が、天皇・貴族から武士へと移り、寺領の支配が困難になるにつれて、次第に、寺は衰退をたどりますが、決定的な事件が天正15年(1587年)に起こります。
当時、島津攻めを行っていた秀吉が、寺近くで陣を張っていたところ、挨拶に訪れた別当が世知に疎く、輿に乗ったままで秀吉に相まみえるというしくじりをやらかして、激怒した秀吉から寺領を召し上げられてしまいます。
当然、寺は窮乏し、僧侶は離散という危機に陥ってしまったわけですが、秀吉を前にしての実にスリリングなエピソードですね。場に、恐ろしいほどの緊張が走ったものと推察します。この別当は、矜持高く、秀吉何者ぞとの気概のあった方だったのか、単なる世間知らずで目先の利かない方だったのか、寺運を傾けた当主として歴史に残るのも気の毒ではあります。
参道は、九州の寺らしく、樟の大木が目につきます。
現存する講堂、金堂は、1600年代に、黒田藩の助力により建造されたもので、かつての大伽藍の面影はありませんが、質朴な雰囲気は趣があります。
仏像は、もとは、この両堂に安置されていましたが、今は、東側に新設された宝蔵に保管されています。
2 観世音寺の仏像
さて、宝蔵に並ぶ仏像は、噂に違わず素晴らしく、本当に見甲斐のあるものでした。
2階展示室に上がると、まずは、5メートルに及ぶ「不空羂索観音立像」*1、「馬頭観音立像」*2、「十一面観音立像」が立ち並ぶさまに圧倒されました。
ずらりとそろう仏像16体は重要文化財指定されており、大黒天*3や吉祥天*4など、ここにしかない特異な形のものもあって、なかなかバラエティに富んでもいます。
最も有名なのは、足を地天女に支えられ、2匹の鬼を従える「兜跋毘沙門天像」*5。
少しお腹をせり出すような動的かつ優美な造形で、厳しい顔つきながら、口元に笑みもほの見え、やや小顔のスタイルの良い像で、人気が高いのもわかります。10世紀ころの作で、寺最古のものと言われていますが、この像の来歴については何も伝わっていないのが、またミステリアスです。
個人的には、阿弥陀如来を囲む、重厚な佇まいの四天王像、特に持国天が気に入り、間近でじっくりと見せていただきました。
3 観世音寺の梵鐘
「観世音寺」の梵鐘は、妙心寺の鐘と同じ鋳型から造られたとされ、ともに国宝となっています。妙心寺の鐘は、戊戌年(698年)の銘が入り、作製の年代が明確にわかる最古のものとして知られていますが、観世音寺の鐘は、デザイン的にわずかにそれより古いものと考えられています。
寄託先の九州国立博物館に展示されているのを見てきましたが、均整のとれた美しい姿で、竜頭が凝った造りに目をひかれました。
この観世音寺の鐘は、太宰府の地で幽閉されていた菅原道真にも聞こえていたといいます。
道真公の漢詩「不出門」の一節に、「都府楼纔看瓦色 観音寺只聴鐘声」とあります。さすが名鐘、誰しもが知る悲劇の人にも詠われ、歴史のオーラを一層帯びています。
講堂前には、直径1メートル近くある巨大な石臼が、無造作に置かれ、「碾磑」(てんがい)との難読の立札が立っています。
これまでの調査により、寺社の塗料として欠かせない「朱」を採取するため、この臼で原鉱石を粉状にすりつぶしていたのではないかと言われています。もしかすると、創建当時にまでさかのぼる唯一の現物なのかもしれません。
4 戒壇院の椿
観世音寺の南西に設けられた戒壇院は、今は観世音寺から独立して存続しています。
天下三戒壇の一つではあるものの、私が訪れた時には、参拝の人もなく、境内はひっそりとしていました。仏教史に残る由緒を、静かにそっと伝えているような雰囲気のお寺でしたね。
本堂の右手には、太宰府市の天然記念物に指定される樹齢200年以上の菩提樹が立ち、その周辺には、何本か椿も見受けられました。早や、つぼみもつけていましたが、どんな椿なのでしょうか。
戒壇院のホームページを見ると、鐘楼わきの椿は、白侘助のようですね。
山門入ってすぐ左手には、かなり大きなサザンカがあるようです。見落としてしまいましたが、毎年、たくさんの花をつけ、庭を紅く染めているようです。白侘助の開花は早いので、サザンカとの紅白を楽しめることと思います。