1 ねねが余生を過ごした地「圓徳院」
その西側に、伏見城にあった化粧御殿と前庭を移して、ねねの住まいとしたのが、高台寺の塔頭となる圓徳院の始まりです。
当時の名石が残り、桃山時代の作庭として貴重な庭園をはじめ、桜、つつじ、もみじなど四季折々の草木を鑑賞でき、椿についても、見るべきスポットです。
桜も散り、早くも新緑の季節が訪れたかのような4月8日、圓徳院とその界隈を訪れましたので、ご紹介します。
2 門前の大椿、南庭の「雪牡丹」、「胡蝶侘助」
境内に入ってすぐ左手、正門の長屋門の前に、大きな藪椿がありました。
受付の方にうかがうと、樹齢200年は超えているとのこと。かなりの大木で、もっと年経たものかもしれません。花の盛りは過ぎたのか、ちらほら咲きでしたが、鮮やかな紅色の藪椿でした。
3 石組みの見事な北庭と咲き誇る「日光」椿
私が椿に関心があるとわかったからか、案内の方が、方丈南側の「南庭」にある「雪牡丹」の生垣と、「胡蝶侘助」を教えていただきました。
「雪牡丹」は大輪で、優雅に波打つ八重の花弁が美しい純白の椿です。
「南庭」です。「雪牡丹」は左の写真、松の根元にあります。
「胡蝶侘助」は、今シーズン最後の花が数輪咲いていました。
方丈を回り、北庭に向かう途中の中庭に、暗紅色の藪椿がありました。
建物に囲まれた、狭い、苔むした空間に、椿はよく似合います。硝子戸が昔ながらのもので、硝子越しの景色に独特のゆがみが入るのも、また味わいがあります。
「北庭」の東側に、「日光」椿が今を盛りと満開となっていました。面白いことに、雄蕊が唐子状とならずに、先祖返りしたように、黄色く、肥後椿のように梅蕊状になったものが多くありました。
もともと、こういうタイプの「日光」なのか、それとも開花晩期となるとこうなりやすいのか、どうなんでしょうか。
我が家の「黒獅子金魚」も、急に雄蕊が目立つものが咲き始めたので、温度の影響もあるのかなと思いました。
「北庭」は、もとは、賢庭が、伏見城の北政所の御殿の前庭を作庭したもので、後に小堀遠州が手を入れたものとされ、ほぼ原形をとどめていると言われています。多数の石が配置されているのは、桃山時代の特徴をよく表しているとのことです。
北政所を慕う大名も多く、こぞって寄進した選りすぐりの石が揃っているらしいのですが、地上に見えるのは一部分で、三分の二ほどは埋設されているという巨岩も多いと、案内の方が仰っていました。
それだけ大きい石が、地下でアクロバチックに組み合わされているさまを想像すると楽しいですね。
これが「三尊石」です。
巨岩に枝さすモミジの若葉が美しく鮮やかでしたが、例年ならゴールデンウイークに見られる新緑の光景とのことで、椿とあわせて鑑賞できたのはラッキーでした。
4 「月真院」の椿
高台寺の西側を南北にわたる道は「ねねの道」と呼ばれ、観光客に人気の、風情ある散策コースですが、この道の東側には、高台寺塔頭の「月真院」の土塀が続いています。
「月真院」は、織田信長の実弟、有楽斎が愛し、その名を冠した「有楽椿」が有名であり、近接して、二本の巨樹がありました。桃色に無数の花を咲かせ、春の名物の一つとして、道行く人の楽しみとなっていたようですが、残念ながら、平成25年に枯れてしまいました。
「月真院」は非公開ですが、たまたま門が開いていたので、境内に入らせていただき、庭掃除をされていた住職にお話をうかがうと、在りし日の「有楽椿」の挿し木による株があったところから、「里帰り」した若木があるとご案内いただきました。
3メートル余りに育っており、一輪だけ、美しい桃色の花を咲かせていました。
境内には、塀に沿って、白椿の大木が二本、紅椿が一本植えられ、塀越しでも、よく見ることができます。
「有楽椿」のかわりという訳でもないですが、「ねねの道」の魅力に一役買っていると思います。
かつては、山門の右手にあった「有楽椿」。(京都市ホームページ「京都市の保存樹」より)
5 石塀小路に咲く椿
「ねねの道」から圓徳院の裏を抜けて、下河原通へと連なる、石畳の路地「石塀小路」。
料亭や旅館、バーなど、ちと敷居の高そうな店舗が並ぶ、いかにも京都らしい「和の空間」の引力に思わず引き込まれます。そんな中、椿が人知れず、静かに咲いています。
「石塀小路」から、圓徳院北側に沿う小道も、レトロ感あるお洒落なお店が、隠れ家的に続く、ちょっと秘密めいた、よさげな雰囲気でした。