祇園祭の山鉾に咲く椿~『前祭編』

 京都の7月は「祇園祭」。

 クライマックスの山鉾巡行は、前祭が17日、後祭が24日に繰り広げられました。

 前祭の鉾建てが始まってからの2週間、天候に恵まれましたが、恵まれすぎて、強烈な日差しに照らされて、40℃に迫る酷暑の中でのお祭りとなりました。

 さて、34基に及ぶ山鉾は、絢爛たる装い、個性ある造形が目を楽しませてくれますが、それぞれを守り伝えてきた鉾町の歴史と文化の蓄積によって、まち一帯が魅力のあるコンテンツともなっています。

 巡行も素晴らしいですが、宵々山くらいに、鉾町を巡ると、既に建てられた山鉾と、賑わう会所には貴重な懸装品を間近に展示してくれるところも多く、また、古くからの町家には屏風などを飾るところもあって、お祭りの雑踏の中にも、雅な雰囲気に包まれているのが京都らしいです。

 そんな山鉾ですが、その懸物や、軒裏に椿が描かれているもの、また、彫り物として椿が飾られているものがいくつかあります。

 「前祭」の山鉾から見ていきましょう。

 今年の宵々山には28万人、宵山には38万人もの人、ひと、ヒトであふれかえった四条烏丸から、ようよう四条室町を南に下がると見えてくるのが「鶏鉾」です。



 欄縁の下部に、4面ぐるりと懸けられている「三番水引」は、2022年に200年ぶりに新調され、西陣織の四季の花鳥が描かれています。

 冬の面の花鳥図には、保護のビニールシートで少し見づらいですが、白椿とその枝に止まる2羽の小鳥がいますね。

 花弁からすると、もしかしたら、サザンカかもしれませんね。

 「鶏鉾」から南下し、仏光寺通を曲がり、新町通を南に行くと「岩戸山」が見えてきます。

 

 この山の屋根の両側の軒裏には、今尾景年(1845~1924)73歳の作、「極彩色四季草花図」が描かれています。山に上がらせていただき、身を乗り出すように、四季折々の草花を観覧してきました。

 東側の軒、秋の色鮮やかな紅葉から、菊花、そして冬へと移り変わり、北の端には、ふくよかな「白椿」が2輪咲いています。

 シンプルで清らか。

 確かに、ここは、紅椿でない方がしっくりくるかもしれません。

 「岩戸山」から南へ、高辻通を曲がって西へ、油小路通まで進むと、一番西端にある山鉾「太子山」が見えてきます。

 この辺まで来ると、人の波もやや引いて、ゆったりと落ち着いた気分で祭の雰囲気を楽しめます。

 「太子山」の左右を飾る「胴掛」は、2018年にベトナムに刺繍を発注して新調したもので、「生命の樹」が描かれているとのことです。

 私は、これを写真で見て、ベトナムということもあるし、ハイドゥン椿をもとにしたものではないかと思って、今回確かめに来たのですが、見当たらず、会所の方にお聞きすると、巡行当日には懸ける予定だが、会所の展示には出していないとのことで、残念ながら見ること叶わずでした。

 でも、会所には、18世紀前半のインド産の胴掛など逸品が飾ってあり、それはそれで十分に見応えがありました。

 「太子山」からの帰路、高辻通を東に戻ると、何とも風情のある石畳の路地が現れ、思わずふらりと入ってしまいました。

 両側に町家が軒を連ねる狭い道の突き当りには、薄昏に浮かぶ祭提灯がほんのりと。

 たった一筋で、祭のにぎやかさとは、別世界。

 こういう、少し幻想的な感じもいいですね。







 



 

法華寺「華楽園」の椿

 法華寺は、天平13年(741)に、光明皇后が、日本総国分尼寺として創建した官大寺で、また、近世には「中宮寺」、「圓照寺」とともに「大和三門跡」としての格式を備えるなど、特色ある歴史を有する尼寺です。

 先代の久我高照門跡は、名家の誇りを持ちながら、時代に合わせた柔軟な行動力を発揮し、法華寺の整備に尽力された中興の祖ともいうべき著名な方でしたが、草花を大層愛され、仏様に供えるお花を育てる花園「華楽園」を開かれました。その「華楽園」には、多くの椿が植えられ、見応えがありましたのでご紹介します。

 海龍王寺の山門を出て、法華寺の交差点から西に行くとほどなく、法華寺の門と長く続く築地塀が見えてきました。令和8年4月9日、この日は、雲一つない快晴。気温も頃合いで、遅咲きの桜を眺めつつ歩くと、この季節が一番気持ちよく感じます。最近は、春が短いので、なおさらですね。

 境内に入ると、左手に、鐘楼と本堂、その先に諸堂が、右手には園庭が奥へと、パノラマのように広がる寺域に、さすが、総国分尼寺であったという、在りし日の壮大な姿を感じさせますが、実は、現在は当時の境内の半分にも満たず、かつては、さらに南に、金堂や東西両塔が並び立つ伽藍を備えていたといいます。

 時を経て、平安京への遷都、そして南都焼討などによる衰退と復興をたどりながら、慶長6年には、淀君の発願により、豊臣秀頼が本堂、鐘楼、南大門を再建し、これらが現在の主要建物(重要文化財)となっています。

 そして、桃山時代になって、後水尾天皇の皇女・高慶尼が入寺されて以来、尼門跡寺院となり、寛文13年(1673)に、そのお住まいとして、本堂の北西に、客殿を整備された際に造営された、前庭・内庭・主庭の三庭から構成される法華寺庭園が広がっています。石や庭木には、京都仙洞御所から移されたものがあると伝わっています

 さらに、光明皇后が、ハンセン病患者のために営んだとされる蒸し風呂を伝えようと江戸時代によみがえらせた「から風呂」のある場所から東にかけてのエリアには、久我高照門跡が整備された茶室と庭園、「華楽園」などが広がっています。

 こうしてみると、天平の時代の創建から、尼門跡寺院への変化、昭和の復興と、伝統を引き継ぎつつ、それぞれの時代の強い個性が際立ちながら共存している、ある意味、多様性と先進性を有するお寺でもありますね。

 さて、「華楽園」の椿です。

 昭和にできた庭園なので、年代物の椿はないだろうと思っていましたが、幹径20センチ以上になるような「五色椿」や「肥後椿」など、結構大きくなったものも含めて、数多くの椿が植えられており、椿園といってもよいくらいでした。これらの椿は、華楽園が出来た時に寄進されたものだそうですが、東大寺の銘椿「糊こぼし」をはじめ、由緒あるところからの椿も多そうでしたね。

「ヒゴツバキ」との表示がありました。

 花盛りの「天津乙女」

 

 「南大門」そばの五色椿

 「法華寺庭園」で見かけた椿。凛として美しい。

 ちょうど、前日までが、国宝・十一面観音立像の特別公開だったせいか、訪れる人もほとんど見当たらず、法華寺庭園も華楽園も貸し切り状態で、ゆっくりと見て回ることができ、春の一日を満喫することができました。

 堂内に静かにおられる仏さまたちに、お供えされていたお花は、椿の花。仏によく似合います。次の機会には、椿を供えられた十一面観音立像を見たいと思います。どの椿がその役目を担っているのでしょうか。

奈良・佐保路の「海龍王寺」の椿

 奈良・東大寺の転害門から西へ法華寺まで延びる「一条通り」は、平城京の「一条南大路」が今に残る道であり、「佐保路」とも呼ばれ、一帯のエリアには、多くの著名な社寺や古墳、旧跡などが集積しています。

 奈良市の中心街「ならまち」から1キロも離れていませんが、観光客が列をなすこともなく、のんびりと、かつての奈良の都をしのびながら、ぶらぶらと思いのままに歩くには、最適のエリアの一つだと思います。

 法華寺、海龍王寺、不退寺など、それぞれに個性豊かで、見所に事欠きませんし、椿好きの方にとっても、「椿めぐりツアー」としてぜひ訪れてほしいところです。

 海龍王寺は、平城京の御所「平城宮」の東方にあたる場所に位置し、「法華寺」に隣接しています。藤原不比等の邸宅を、娘の光明皇后が引き継いで皇后宮とし、後に寺院化して、唐から帰国した玄昉を初代住職に迎えたと伝えられる古寺で、奈良時代のビッグネームが揃う由緒を持っています。

 平安遷都、応仁の乱などにより、衰退と復興を繰り返してきましたが、一番の危機は、明治の廃仏毀釈だったとのこと。昭和28年まで無住でお寺は荒れ果ててしまっていたようです。

 そこに、松本重信師が特任住職として入寺し、お堂の改修に尽力して、今の姿に復興されたそうです。堂宇、境内の整備に努められており、荒寺という雰囲気はないのですが、まだ何となく手つかずの古びた感もあるのは、近年の復興前の話を知ったからかもしれません。でも、この雰囲気はむしろ魅力に感じます。

 海龍王寺の山門と、両側に連なる、瓦片を埋め込んだ築地塀は、心地よい鄙びた風情を漂わせています。参道に入ると、樹々が道を覆わんばかりに茂り、自然のままに任せたような緑の中を歩いていきます。海龍王寺は有名なお寺なので、広い境内なのかなと思っていましたが、こじんまりとした寺域だったのが意外でしたが、その中でも、本堂、西金堂、経蔵がコンパクトにそれぞれに区画を占めています。

 本堂に安置されている本尊は、鎌倉時代作の十一面観音菩薩立像(重文)です。特別開帳は丁度昨日の7日までということで、頭上の面々は隠れていましたが、何とかお姿を見ることはできました。秘仏で、1953年まで大切にしまわれていたこともあり、やや碧みを帯びた衣の彩色や数々の繊細な装身具が綺麗に残っており、当時のお姿を今に見ることができる貴重な仏様です。1mに満たない小ぶりな観音様なので、より優しさを感じます。

 同じく鎌倉時代作の重文・文殊菩薩像も魅力的でした。8頭身のプロポーションで、立ち姿が決まっていましたね。

 国宝として名高い五重小塔は、西金堂内に安置されています。もう一つの国宝・元興寺の五重小塔は5.1m、海龍王寺の五重小塔は4.1mなので、よりミニチュア感があります。明治になって失われた東金堂にも、五重小塔が安置されていたそうです。今に残っていれば、左右両塔が揃いという、素晴らしく貴重な遺産となっていただろうに残念なことです。

 さて、椿を見てみましょう。本堂横、前に、対に立つのは、五色椿と乱れ咲きの紅椿でした。もう、花も終わりでしたね。袖隠しもあるとのことでしたが、これは場所がわからず。

 境内には、ほかに椿は見当たりませんでしたが、海龍王寺の鎮守社で、寺に隣接する春日神社の参道に、いくつか椿を見ることができました。

 海龍王寺を後にして、次は、「法華寺」へと向かいます。

伏見桃山「海寶寺」の椿

 秀吉が築いた伏見城の城郭周りには、有力大名の屋敷が立ち並んでいたとされ、今も、桃山町正宗、桃山町島津、桃山福島大夫西町などの町名に往時の名残を残しています。

 藤森からJR桃山駅へと連なる街道は、伊達藩下屋敷があった深草西伊達町、東伊達町、そして上屋敷のあった桃山町正宗を沿線に持ち、「伊達街道」と呼ばれています。

 その桃山町正宗にあって、かつて伊達政宗も在住していた上屋敷跡に、享保年間(1716 - 1736年)に創建された黄檗宗の寺院が「海寶寺」です。

 黄檗宗といえば、「普茶料理」が有名ですが、「海寶寺」の山門には「普茶大本山開祖道場」の札が掛けられています。「普茶料理」は、予約すればランチタイムにコースで味わえるようです。

 「海寶寺」で有名なものといえば、伊藤若冲が最後の作品と言われる大作「群鶏図」を描いたとされる「筆投げの間」、そして、伊達政宗お手植えと伝わる、樹齢400年の木斛の名木です。この木斛は、さすがに老木となり、幹には空洞が大きく開いて枝枯れが目立ちますが、わずかに一枝が命脈を保っています。その横には、クローンの樹が二代目(遺伝子的には初代ですが。)として若々しく育っています。

 この「海寶寺」には、多くの椿があるのも魅力で、私は、伏見を訪れる際には、たびたび立ち寄っています。伏見桃山の椿の稿でも紹介しましたが、戦後から高度経済成長期にかけて、伏見桃山の椿園が、混乱と開発の嵐に無残に姿を消していく中で、銘木を何とか残そうとした有志の方々が、寺社にも働きかけ、ここ「海寶寺」もそのうちのいくつかを引き受けたとのことで、どの椿がそうなんだろうといつも思っています。

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 令和8年4月5日、桜満開の山門前の石段の両脇に咲く紅白の椿が迎えてくれました。

 特に、紅い椿は、やや暗めの色合いで、整った花弁が美しく、桃のような宝珠咲が何とも愛らしかったですね。

 山門前の街道沿いにある椿は、本幹が腐朽し、脇幹が生き残っていますが、本幹を見るとかなり年期の入った樹です。この椿は、別の黄檗宗のお寺にあったものだそうですが、道路整備により撤去されそうになっていたものを惜しんで、ここに移植したということです。色変わりの面白い品種で、こうして生き延びてくれているのはうれしいですね。

 境内に入ると、右手の苔庭の、真っ赤な落ち椿に目を奪われました。前日に、雨も降ったので、タイミングもよかったのでしょう。誰もいない静かな境内の緑の中で、鮮烈ともいうような色彩に見とれました。本当に綺麗でしたね。

 

 ほかにも境内に咲く椿をご紹介します。

 美しい「日光椿」。花姿の整いようが非常に優れていますね。

小ぶりな花ですが、心惹かれます。

 

 桃の意匠は、萬福寺で見たような。

 桃山の歴史を今に伝え、決して大きなお寺ではありませんが、落ち着いた風情の、いいお寺です。機会があれば、一度「普茶料理」を味わってみたいですね。

 

御香宮神社の「おそらく椿」その2

 令和8年4月5日、3年ぶりに御香宮神社の「おそらく椿」を見に行ってきました。

 桜咲く参道を、どんな咲き具合かなと期待しつつ進むと・・・

 ありがたいことに、「おそらく椿」が一般公開とのことで、門が開けられ、貴賓館・儀式殿の庭に咲く姿を見ることができました。

 これが、かの「おそらく椿」の姿です。

 二株が並んで咲いています。奥側の椿は、桃色系統です。

 桃色花も綺麗ですが、白地に紅縦絞りの優雅で上品な色合いの基本花があってこそ映えるんでしょうね。

 青空が見えていればなあ。

 まさに、五色八重散椿ですね。

 加藤清正が朝鮮出兵の時に、蔚山から持ち帰って秀吉に献上されたものの一本が伝わったものとされていますが、樹齢400年という古木ではないので、何代目かの後継樹なのでしょう。

 椿寺の五色八重散椿

地蔵院「椿寺」の五色八重散椿 - 京で椿を楽しむセカンドライフ

も同じ伝承を持つ初代はすでに枯れており、当初の持ち帰りのものにほど近いであろう柊野の大樹

柊野の「五色八重散椿」 - 京で椿を楽しむセカンドライフ

は、極めて貴重なものだと思いますね。

  塀越しには、このように見えます。

 表門に入って右手の社叢には、多くの藪椿がありました。「おそらく椿」と比べると素朴ですが、見飽きることがありません。原点に返るような感じがしますね。

 参道を彩る椿。抱えた花芯が可愛らしいですね。

 本殿の右奥にひっそりと立つ大椿。

 「おそらく椿」の一般公開は、3月28日からだったようです。毎年恒例として開催していただくと嬉しいですね。

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大原野「大歳神社」の藪椿

 洛西ニュータウンの南西、西山を背景にして田園の広がる大原野の灰方町にある大歳神社は、718年の創建と伝えられる古社で、主祭神は、農耕と五穀豊穣の神である大歳大神、相殿には、石作大神、豊玉姫命を祀っています。石作大神という神様が地域色を出していますね。

 この地に勢力を占めたと言われる豪族・石作氏の祖先を祀る神ですが、石作氏は、大原野に産出された石灰岩を利用して、石棺などの製作を行っていたと伝わります。

 この地域一帯は、かつて石作郷と呼ばれ、今も石作町の名前が残っていますし、灰方や出灰(いずりは)など関連の地名も往時をしのばせます。

 メジャーな大原野神社よりも創建が古い由緒ある社ですが、大原野の田園風景に溶け込んで、いかにも村の鎮守という昔ながらの雰囲気があり、お気に入りのスポットの一つです。

 この神社の社域の外周部には、境界を示す標柱のように藪椿が立ち並んでいます。

 中でも西側の椿の一群は、かなりの大木です。一番大きな樹は、明るい灰白色の双幹の椿で、それぞれ直径30センチ近くある幹が根元から分かれて高く立ち上がり、大きく樹形を広げています。

 椿は1年で1ミリ太くなるといいますので、200~300年くらいの樹齢なのでしょうか。3月7日現在で、ほぼ満開。高木なので花が遠目に見えますが、外側の幹の大枝が、畦道へと低く張り出しているので、間近に満開の姿を見ることができました。

 まさにスタンダードな藪椿で、やや小輪の花が一面に咲いています。畔から眺めると、無数の紅い椿の花が西日を受け、その合間に本殿が鎮座する様子が、どこかの田舎で見たような何とも懐かしい感じのする光景でした。

 その椿の南側に立つ大きな2本の椿は、太さは及びませんが、大きめの、まるで黒椿のような黒紅色の花の色合いが実に魅力的でした。枝の奥、葉陰に顔を覗かせる、深みのある暗さを帯びる赤色の花には、神秘的な味わいさえありました。

 神社の社叢は、古くは「栢の森」として、紀貫之にも詠まれた名所らしいのですが、現存する栢は数本だけで、あとは広場のように開けています。そんな場所に、このような椿の大木が何本も残っているのは不思議な感じもします。

 どこにも言及されることもない椿ですが、地元の人たちに、当たり前のように親しまれ、切られることなく残されてきたのでしょう。

「影とのみ頼むかひありて露霜に色変わりせぬかへの杜」 紀貫之

 現在の本殿は昭和16年に長岡天満宮より移築。1690年に建立されたもの。

2026年の妙蓮寺椿

 “京の底冷え”といいますが、とりわけ大寒の時期には寒さがひとしおつのります。

 日中も気温が上がらなかった2月1日ですが、「妙蓮寺椿」は咲いているかしらんと、3年ぶりに妙蓮寺へと。

 「御会式桜」がほろほろと花開く参道を進むと、東側に並ぶ塔頭前の椿がいくつかほころび、早咲きの妙蓮寺椿の花も見ることができました。

 玄関へと入っていくと、受付の方が「今日は、長谷川等伯一派の襖絵は見られないのですが、よろしいですか」と聞かれました。

 この重文の作品を収蔵している宝物殿は、月に一度の公開なので、襖絵を目当てに訪ねてきて、その日じゃなくて残念がる人も多いんです、とのことでした。

 私の本命は、「妙蓮寺椿」なので入らせてもらうと、受付の方が、親切、丁寧にガイドしていただきました。

 奥書院では、幸野豊一氏の手になる、四季を描いた新しい襖絵を観覧することができます。幸野豊一氏は、近代京都画壇の重鎮で竹内栖鳳上村松園らを育てた幸野楳嶺の孫にあたる画家で、5年の歳月をかけて完成されたとのことです。

 私は、秋の図の楓と芒の色合いと風情が、部屋と庭の雰囲気とよくフィットしていていると思いました。

 描かれている楓は、妙蓮寺の寺紋「三つ葉楓」にちなんだものとのこと。公家・今出川家の家紋だそうです。美しい紋ですね。

 奥書院と表書院との間の中庭に咲く「妙蓮寺椿」。幸野豊一氏も、奥書院の床の間の天袋にこの椿を描いています。

 寒波が連続して押し寄せてきたせいか、花の咲くのが遅れていたとのこと。やはりそのせいでしょうか、咲く花はわずかで、書院の障子窓からの花景色を楽しむにはまだ早かったようです。

 次回、宝物殿が開くのは、3月2日。この頃には、「妙蓮寺椿」も見頃になっていることでしょう。


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