鹿ケ谷・安楽寺のサツキ。カフェで「京唐子」を見る。

 「哲学の道」から少し東に入ると、山手に沿って、銀閣寺から法然院、霊鑑寺へと連なる道があります。

 少し狭いですが、そんなに歩く人も多くなく、山の緑の合間に、これらの寺の雰囲気ある山門が現れ出る、散策には、もってこいの道となっています。

 今回は、法然院と霊鑑寺の間にある、「安楽寺」を訪ねました。

 5月27日、サツキが見ごろを迎えた春の特別公開ということで、まさに新緑の季節の真っただ中、山門に至る石段を、青紅葉を仰ぎながら上っていきました。

 鶯たちがここを先途とばかり、「ホーホケキョ ケキョケキョケキョ」に終わらず、長い節回しをリピートし、競い合いながら合唱しているようで、これが自然のBGMになっていましたね。

 安楽寺は、サクラ、ツツジ、サツキ、モミジの時期の土日中心に公開されており、これらがメインではありますが、法然院、霊鑑寺の並びに位置するだけに、椿もちゃんと楽しめるところがありました。

1 緑眩しい安楽寺

 この道を歩くと、このような風情ある山門に出くわします。京都のまち歩きは、このようなちょっとしたサプライズが楽しいです。

 山門をくぐると、サツキ咲く庭園が見えてきました。

 一番大きくて、花盛りだった、サツキです。

2 安楽寺の由来

 本堂に入り、住職から、この寺の由来についてのお話をしていただきました。

 鎌倉時代の初めころ、この地の近くに、法然上人の弟子の住蓮上人と安楽上人が「鹿ケ谷草庵」を結んだことが始まりです。

 浄土に往生するため、ひたすらに念仏を唱える「専修念仏」の教えが庶民に広がる中、後鳥羽上皇に仕える女官であった「松虫姫」と「鈴虫姫」は、法然上人の説法に感銘を受け、上皇が熊野詣で御所を留守にしている間に、意を決して、草庵に赴き、そのたっての願いにより、住蓮上人と安楽上人の前で出家するという出来事がありました。

 帰京してこれを知った上皇は、教団に対し、きわめて厳しく処断し、住蓮上人と安楽上人は、斬首!、法然親鸞流罪となります。

 背景には、「専修念仏」の広がりに危機感を覚えていた比叡山や既存教団の圧力もあったとされ、この事件は、「承元の法難」として有名です。

3 書院からのサツキの眺め

 縁側に座って、ただ、庭を眺めるのも、贅沢な時間の過ごし方です。この風景を独占しているようです。

4 お寺の心地よいカフェスペース

 境内の一角に、2010年、客殿が建てられ、1階は、カフェスペースとなっています。

 飛騨高山の大工さんが腕を振るったということで、太い柱と梁が重厚感あり、無垢の床板に民芸調の椅子やテーブルが置かれ、実に心地良い空間となっています。

 雰囲気に魅かれて、ちょっと、ここで休憩することにしました。

 「椛」は、もみじと読むのですね。

 午前早めの、まだ混まない時間帯だったこともあり、この「特等席」に座ることができました。

5 安楽寺の椿たち

 私たち夫婦の座った席の窓の真正面に見えるのは、形の良い椿。本当に絵になるし、主役が椿というのがうれしいですね。

 品種は「京唐子」で、これは、私の好きな椿です。開花時期に、この席から見てみたいものです。サクラの時期と重なりますし、多くの人が訪れるので、今回のようにゆっくりとシーンを独り占めということは難しいかもしれませんね。

 ちなみに、今年の府立植物園で見た「京唐子」です。優しく上品な花です。園芸店で見かけたことはなく、私も欲しいと思いつつ、入手できていない品種です。

 山門を入ったところにある椿です。

 藪椿も、山手側に多くありました。住職にお聞きすると、実生のものが自然に成長しているそうです。

 サザンカ(富士の峰)です。

6 雑感的蛇足

 椿はシーズンオフでしたが、存在感を示していました。客殿前の「京唐子」は、寺で見る椿とは少し異なった趣向での視点を楽しむことができました。

 それにしても、後鳥羽上皇の苛烈な処断は、ちょっと違和感を覚えましたね。何か表立っては言いづらい事情もあるなど、いろいろと重なってしまったゆえのことだったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都仙洞御所の藪椿

 京都御苑は、東西南北を、寺町通烏丸通丸太町通今出川通に囲まれた、およそ100ヘクタール近くの広大な敷地を有し、都会の中の憩いの公園緑地として、市民、観光客に親しまれています。

 御苑内、京都御所の南東には、上皇の御所であった京都仙洞御所、そして上皇の后の御所であった大宮御所が隣接しています。

 京都仙洞御所については、南北の二つの池を中心とする池泉回遊式庭園と、二軒の茶室が残っていますが、この庭園は、後水尾上皇の好みに合わせて、小堀遠州が作事奉行として、寛永11年(1634)から13年にかけて作庭したものをベースとしており、その後、南北の池を掘割によりつなぐなどの改造が順次施され、18世紀前半ごろに、ほぼ現在の姿になったようです。

 京都仙洞御所の椿については、渡邊武先生の著書「京椿」において、「仙洞御所の中央部の池畔を中心にして、高く低く真紅の花をつけた大椿の点映する風情や、苔の緑に紅く彩った落花の美しさを、これだけけがれなく新鮮に見られるのは、他に類を見ない。」と記されています。

 3月中旬、このような情景が見られることを期待して、生憎の雨模様でしたが、仙洞御所を訪ねました。

1 京都御苑の歴史と京都仙洞御所

 京都御苑の歴史をたどると、元弘元年(1331)に、光厳天皇が御所とされ、明徳3年(1392)の南北朝の一体化で皇居に定められて以来500年、天皇のお住まいとなり、織豊政権から江戸初期にかけて、域内整備が進められ、内裏と各御所を囲むように、五摂家、宮家、公家らの邸宅、居宅が建ち並ぶ「公家町」の街並みが広がっていました。

 ところが、明治2年(1968)の東京遷幸により、多くの公家たちも東京へと移り住んだため、公家町は急速に荒廃し、そのことに心を痛めた明治天皇の意により、保存整備事業が開始され、公家屋敷の撤去、周壁工事、植栽などが行われてきたものです。近年も、貴重な自然環境の保全とともに、京都迎賓館の建設など、歴史と由緒ある立地にふさわしい事業が続けられています。

 先日、「岩倉具視幽棲住宅」を訪れる機会がありましたが、京都復興にも尽力した岩倉具視は、御苑を一般開放し、御所をミュージアム化してお金をとるなど、今に通じる開明的なプランを持っていたようです。

 ところで、内裏や各御所は、洛中の大半が焼け野原と化した「天明の大火」(1788)をはじめ、度々の大火による焼失に見舞われてきました。

 仙洞御所は、嘉永7年(1854)の大火後は再建されませんでしたが、大宮御所は1867年に整備され、現在でも、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下が京都に来られる際には、宿泊の用に使用されています。

 

  大宮御所の「御常御殿」は、外国の賓客も迎えることができる施設にするため、内装を洋風に、絨毯敷、洋式トイレにし、外窓をガラス戸に変えるなどのリフォームを行っており、当時のエリザベス女王チャールズ皇太子も使用されたことがあるそうです。

 御殿前「松竹梅の庭」の立派な松です。

2 北池を巡る

 御常御殿南庭から潜り戸をくぐると、北池の全景が眼前に広がります。園路には、藪椿も見えました。

 北池の北東部に、古くからの湧泉のある阿古瀬淵があり、六枚の切石を使用した「六枚橋」が架けられています。

 ここは、かつて紀貫之の邸宅があったとされ、それを記す石碑のそばにも、椿が静かに咲いていました。

   この雪見燈籠は、水戸家から贈られたもので、茨城県北部特産の「水戸寒水」と呼ばれる大理石の名石から造られたものだそうです。原石も希少となっているので、今では造れないものなのでしょうね。

 こんもりと樹々が茂る「鷺の森」。日照や水の条件が、モミジに好適で、とりわけ綺麗な紅葉が見られるとガイドの方が説明されていました。

 

3 南池を巡る

「八ツ橋」から南池北部を臨みます。

 

 石の上に落ち椿ひとつ。

 南池の南岸から西岸一帯には、州浜が続きます。敷き詰められている石は、およそ12万個もあり、その一つ一つが、楕円形の碁石のような形で、大きさが揃っており、間近に見ると、贅を尽くしたものであることを実感します。その石一個につき、米一升!の値段だったと伝えられています。

 州浜の南側斜面に、藪椿が群をなしていました。とりわけ大きな一本は、山のすそ野のように横に枝を広げ、一面に紅い花をつけ、苔の上を、紅い落ち椿が覆っていました。

 樹齢何百年にもなるような古木・巨樹ではありませんが、「八ツ橋」から南池と州浜の向こうに見える紅い藪椿の光景は、椿が唯一の彩りを見せる、初春ならではのものでした。

 南池のほとりにある茶室「醒花亭」。

 藪椿、藪椿。

 明治17年に近衛家から献上された茶室「又進亭」。

 造営当時も、椿の品種は数多く産出されていたと思われますが、庭園内の椿は、ほぼ紅い藪椿で統一されています。ポイントポイントに植えられている椿には、景色を引き立てる配置の妙を感じました。

 深く、繊細な審美眼から、藪椿一択となったものなのでしょう。

 

 




















 

「京都薬用植物園」のツバキ園を訪ねる

1 比叡の麓にある「京都薬用植物園」

 武田薬品工業株式会社の京都薬用植物園は、比叡山山麓にあり、「曼殊院」に隣接して、山林を含む94,000㎡もの広大な敷地に、およそ2,000種の薬用植物をはじめとする約3,200種の植物を保存、栽培しています。

 第一次大戦時に、医薬品が輸入できなくなったことをきっかけとして、薬の国産化の機運が高まり、きちんと分類され、系統が明確にされた薬用植物を栽培し、新薬の研究開発や品種改良を行うことができる薬草園を創ろうと、5代目武田長兵衛社長によって、昭和8年(1933年)に開設されました。

 園の敷地は、平地だけでなく、山も谷もあり、この自然環境が多様な植物を生育するのに適しており、また、都市圏とも近いということで、この地が選ばれたそうです。

 園の名前通り、薬草がメインですが、ここには、知る人ぞ知る「ツバキ園」があり、江戸時代から伝わる「古典種」やユキツバキなど、560種あまりの椿が栽培されています。

 毎年、4月初めに、「ツバキ園」の一般公開が行われますが、私も妻とともに、申込抽選をクリアして、4月2日に訪れることができました。

 きれいな事務棟・研修棟に集合すると、会社の社員さんたちが、受付・案内をされ、グループごとにガイドについていただくという、大変手厚い体制で迎えていただきます。会社として、社会貢献活動に力を入れていることが、よくわかります。

 「ツバキ園」は、南側の山の斜面に展開しており、椿の木々の合間を、結構、急こう配な、つづら折りの道を上っていくので、ちょっとしたハイキングのような感じです。

 見学時間は、概ね1時間程度で、最初の30分は、ガイドの方に説明いただきながら進み、後の30分は、道なりに、自由に歩いてもらう「行程」です。

 ところどころのポイントには、社員が待機しておられ、適宜説明してもらえるという至せり尽くせりのツアーとなっています。

 それぞれの木には、きちんと品種名が明示されており、特徴などを示す丁寧な説明板も数多く設置され、いかにも「研究施設」らしい特色があります。

 それにしても、山全面に植えられた椿のボリュームには圧倒されます。

 私の好きな「古典種」の数々、そして、ここでしか見られない希少種を多く見ることができ、感動しましたが、全容は、この一時間では、とても見きれるものではありません。

 ごく一部ですが、素晴らしい椿の数々をご紹介します。

2 「ツバキ園」の椿の数々

 「大黒天」です。 「倶利伽羅」です。 「宰府」です。 「日暮し」です。 「草紙洗」です。鈴鹿の関」です。 「福娘」です。 「八坂」です。 「染川」です。

3 「ツバキ園」の沿革

 「ツバキ園」は、昭和31年に、6代目の武田長兵衛社長が、ハワイで立派な椿園を見学した際に、園主から「ユキツバキ」を所望されたことがきっかけとなったようです。

 日本の誇るべき椿の原種でありながら、本格的な調査も行われていなかった「ユキツバキ」の種の保存のための収集が始まり、北陸の山に自生していたもの、寺社や民家の庭に植えられていたものが、園に運ばれてきました。これとあわせて、藪椿や古典種へと収集の範囲が広がっていったようです。

 戦後の、食べることに精一杯で、椿どころではないというときに、失われていった椿も多くあったらしく、社長もそれを惜しんでいたということです。

 そんなことから、戦後復興から高度成長に伴って、宅地開発が進められた際に、伐採される寸前であった、京都の名木のシェルターの役割も果たし、伏見桃山の銘椿も、この時に救われたものが多くあったようです。

https://www.kyogurashi-neko.com/entry/momoyama

4 「ナショナルコレクション」認定第1号

 この「ツバキ園」は、椿を文化財、遺伝資源として守り、後世に伝える価値の高いコレクションを有しているとして、日本植物園協会認定の「ナショナルコレクション」の第一号に選定されています。

 園内の椿について、138種が新品種と認定され、うち121種が「基準木」となっています。

 椿は、交配や枝替わりによる変異が大きく、数多くの品種が産み出されていますが、それだけに、系統立てた品種整理が難しいところがあります。また、古い栽培品種で、いつの間にか、消滅してしまったものも数多くあります。

 日本原産の代表的な園芸品種で、私たちの文化や生活に身近な椿が、学術的にもきちんと位置付けられ、守り、伝えられるようにする、素晴らしい制度だと思いますね。

 ナショナルコレクションには、他にも、「中部の椿品種コレクション」と「江戸椿を中心とする国営武蔵丘陵森林公園のツバキコレクション」が認定されています。

         

 京都にあるツバキ園ならではの取組です。大徳寺や尼門跡の寺にも、ぜひ広げていただきたいですね。

認定番号001

武田薬品京都薬用植物園命名ツバキ品種群

Camellia cultivars named by Takeda Garden
for Medicinal Plant Conservation, Kyoto

認定日:2018年6月19日、認定期間:2018年6月19日~2023年6月18日

江戸時代のツバキの園芸化は、ヤブツバキとユキツバキの両種が自生し、幅広い変異が見られる北陸産によるところが大きい。これらは高度成長期に消滅の危機に瀕していたが、申請者によって1956 年より調査、収集が行われ、138品種が新品種として命名された。コレクションは、命名された新品種のうち現存する121品種の基準木である。http://www.syokubutsuen-kyokai.jp/nc/collection/detail.php?id=001

5 レトロでシックな「迎賓資料館」

 帰路、「迎賓資料館」を見学しました。

 この建物は、明治の代表的な建築家、野口孫市氏(1869~1915)の設計により、神戸市東灘区住吉本町に、明治41年(1908年)に竣工した、住友銀行初代頭取の田辺貞吉氏の住宅を移築し、再生したものです。

 19世紀のイギリスの一戸建郊外住宅で流行した「クイーン・アン」方式※をベースに、和風の要素も取り入れた洋風の木造住宅でしたが、阪神淡路大震災によって毀損して、取り壊しされそうになり、建築学会など各界から、保存の要望の声が上がり、武田薬品工業株式会社が一肌脱いで、貴重な近代建築の遺産として継承してくれたということです。

※19世紀後期にイギリスの建築家 R.ショーが,中世末期および近世初期の民家様式を復興してつくり上げた建築様式。中世風の凹凸の多い構成,ハーフティンバリング,シングル壁,張出し窓,チューダー式煙突,煉瓦壁など,イギリス人の好む伝統様式の魅力的な要素を巧みに利用している。アメリカ建築にも影響を与え,それによってさらに日本の明治・大正期の住宅建築にも影響を及ぼした。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より)

 再生に当たっては、可能な限り元の姿に復元しようと、腕と経験知識のある大工・職人を呼び寄せ、ウン億円の費用がかかったとお聞きしましたが、本当に価値あるものを残していただいたと思いますね。

 館内には、小磯良平画伯の描いた「薬用植物画譜」が掲示され、生薬の標本が展示されています。

 生物多様性の大切さの認識が広がっている中で、薬用植物園の意義と価値はこれからもより高くなっていくことでしょう。

 会社として、これからも、社会還元に力を入れ、園をより多くの人に知ってもらう機会を増やしていくとされているため、また、ぜひ、訪れたいと思います。

 北陸地方以外ではほとんど見られない「ユキツバキ」の大株を多く保有しているのも、この椿園の特徴とされているようです。いろいろと情報を仕入れつつ、来シーズンを楽しみにしたいと思います。

 


 

 

 

 

「常照皇寺」に名残りの藪椿を見る

 右京区京北町は、京都市の北部に位置し、「かやぶきの里」で有名な南丹市美山町と境を接する、山あいの自然豊かな地域です。

 京都市域のほぼ4分の1に及ぶ広大な面積の93%を山林が占め、禁裏の御料地として、平安京造営の木材を供給するなど、古くから京との関係が深く、平成17年に京都市と合併しました。

 桂川の上流となる「大堰川」の澄んだ流れに沿って集落が散在し、昔ながらの、のどかな田園風景が今も広がっています。

 かつては、峠越えの道で、市内からのアクセスもよくなかったのですが、合併事業の目玉の一つとして、「京北トンネル」が開通し、道路の拡幅整備も進んだことから、市内から40分程度で行ける「都会に近い田舎」で、私もリフレッシュに時折訪れています。

 常照皇寺は、京北を代表する名刹で、天然記念物にもなっている桜が名高く、シーズンには、ひときわ賑わいを見せます。

 そして、「常照皇寺藪椿」という、強く黒みを帯びた藪椿の名前の由来となるお寺でもあります。

 4月末、すでに、桜も、椿もシーズンが終わり、いつもの静けさに戻った常照皇寺を訪れてきました。

1 常照皇寺の新緑の参道と藪椿

 京北の中心地「周山」の道の駅「ウッディ京北」から、東に国道477号線を進むと、10分程度で寺に到着です。

 山中にある寺なので、参道は木立に囲まれ、緑の若葉の合間から春の陽光がきらめく中を歩くと、森の木の独特の香りも心地よく、爽やかな気分になります。

 山門から参道を振り返ると、まるで額縁に飾られた絵のように見えました。

 山門そばの藪椿が、最後の数輪の花を咲かせていましたが、かなり黒みがあり、「常照皇寺藪椿」の系統種かと思います。

 苔に覆われた石段の上に「勅使門」が見えます。ここからは入れませんので、左に折れて、入口のある書院へと向かいます。

 名残りの花を咲かせる藪椿です。

 書院前の青いモミジと、目の覚めるような赤い若葉のモミジに、思わず足を止めてしまいました。

 「鐘楼」前にも、まだ、藪椿が咲いていました。

2 銘桜「御車返しの桜」「九重桜」「左近の桜」

 書院から方丈へと続く廊下には、昔の用具が何気なく置かれ、当時の生活感が感じられるのが面白く、方丈の室内にも自由に出入りができるなど、あまり、観光寺院化していないのも、このお寺の魅力かもしれません。

 流石に、桜は散っており、葉桜となっていました。

 方丈前の「御車返しの桜」です。後水尾天皇が、車を返してまで、愛でたと伝わる桜です。

 一重と八重が一つの枝に咲くという銘桜。わずかに残る花にも、そのしるしを観ることができました。

 天然記念物の「九重桜」、御所からの株分けとされる「左近の桜」が立ち並ぶ一角です。清々しい緑一色です。

 「九重桜」は、右側の二本。奥のものは、光厳上皇のお手植えと伝えられています。650年が経過し、元木は、腐朽も進み、樹勢が弱っているとのこと。その代わりの手前の後継樹が、たくましく育っています。

 「左近の桜」です。

 方丈庭園は、山の地形を活用し、借景にも取り入れています。ちょっと見づらいですが、藤の紫も見えますね。

 華美な装飾のない、シンプルな建物です。

 上皇も、同じように景色を見ておられたのでしょうか。

3 幻想的な羅漢さまと阿弥陀如来さま

 「開山堂」には、重要文化財阿弥陀如来とその両脇侍像、十六羅漢像、光厳法王像が安置されています。

 羅漢像は、キャットウォークのようにしつらえられた舞台に配置され、柔らかい照明に浮かび、少し幻想的な効果を発揮していました。

4 光厳上皇と京北の民人

 寺の開祖は、南北朝時代北朝初代の光厳上皇です。鎌倉後期から室町初期の、権力が目まぐるしく変転した動乱期に、即位、廃位を経て、京を離れる日々を送られる中で、禅宗に帰依され、晩年は、京北の地で、生涯を過ごし、寺山に葬られました。これが「山国御陵」です。

 御遺言は、大層なお墓の造営や、儀式・法事などは一切無用、そのまま自然の木が生えるのが愛するところであるが、山民や村童が「小塔を構ふるが如くんば亦是を禁ずるに及ばず」ということで、ささやかな供養の気持ちまでは頑なに拒むものではないという趣旨が記され、お人柄というか、到達された境地が感じられます。京北の人々も、そんな上皇を敬愛してきたのでしょう。

 御陵に静かに咲く「常照皇寺藪椿」。花を観ることはできませんでしたが、また、来年にでも再訪し、独特の色合いを見ながら、歴史を偲びたいと思います。

 「常照皇寺」周辺に、まだ咲き残っていた桜です。

5 「山国神社」と「福徳寺」

 帰路、「山国神社」を訪れました。

 社殿の後ろに、立派な椿の古木がありました。

 美しい赤の石段です。

 弓削にある「福徳寺」。樹齢400年の「かすみ桜」が有名です。

 

京都府立植物園 第62回「つばき展」を見学

 3月25日と26日に、京都府立植物園で、第62回の「つばき展」が開催され、鑑賞に行ってまいりました。

 コロナもあり、しばらく行けなかったこともあり、3年ぶりの訪園でした。

 私はこの一年、少し時間ができて、椿名所めぐりを行い、また、関連本などもいろいろと読んだりしてきたので、展示も、これまでより身近に感じられました。

 京の銘椿を一堂に見ることができる格好の機会である「つばき展」をご紹介します。

1 大徳寺総見院

 秀吉ゆかりの胡蝶侘助ですが、今年、総見院を何回か訪れましたが花は咲いておらず、つばき展でようやく花を見ることができました。

大徳寺三玄院、龍翔寺、高桐院、玉林院に椿を探す - 京で椿を楽しむセカンドライフ

2 大徳寺聚光院

  聚光院の銘椿として名高い「宗旦」と「曙」です。

3 大徳寺高桐院

4 大徳寺黄梅院

 「酒中花」が素晴らしい。

大徳寺・黄梅院の庭園に「擬雪」椿を見る - 京で椿を楽しむセカンドライフ

5 林丘寺

 真っ白な「白侘助」と、黒みがかった「黒侘助」のコントラストが鮮烈です。

6 大聖寺

 同志社大学烏丸通を挟んで向かい側にある、尼門跡筆頭寺院。ここも椿の名所です。非公開ですが、機会があれば、ぜひとも行きたいところの一つです。

 「玉兎」です。花芯が開かない姿も格別に麗しいですね。本当に見事な造形です。

7 二条城

8 平岡八幡宮

 社殿そばに、藪椿の巨木があり、案内掲示には、蕊が赤みを帯び、一般の藪椿とは異なる珍種と書かれています。今年は、開花時期に行けなかったのですが、つばき展でお目にかかりました。確かに、根元の方が、ほんのり赤く染まっていますね。

平岡八幡宮の藪椿を見上げる - 京で椿を楽しむセカンドライフ

9 長福寺

 ここにしかない椿が目白押しの椿の隠れた名所です。公開の機会がまずないので、事実上、つばき展がその一端をうかがい知る唯一の機会となっています。

10 法然院

 「花笠」です。優雅な色合いです。法然院を訪れた際には、紅色の勝った花が多かったのですが、やはり、白の多い花が、より、気品ある艶やかさを感じさせますね。

法然院の銘椿「五色散り椿」「貴椿」「花笠」を見る - 京で椿を楽しむセカンドライフ

11 霊鑑寺

霊鑑寺に銘椿を訪ねる - 京で椿を楽しむセカンドライフ

12 奥村邸

柊野の「五色八重散椿」 - 京で椿を楽しむセカンドライフ

13 市邸

 幻の椿といわれた「百合椿」を代々にわたり伝えてこられた、上賀茂神社の社家の市家。

 出展の椿は、この「百合椿」から生まれた品種の数々です。ほかにも、多くの珍しい椿を出展しておられました。

14 大豊神社

 「天目」です。我が家にも植えていますが、なかなか、このように美しく咲くまでには至りませんね。

椿で飾った「狛ねずみ」~大豊神社 - 京で椿を楽しむセカンドライフ

15 出展された椿あれこれ

 「抜筆」です。縦絞りが細かく入ります。草紙洗とも似ていますね。

 毛が抜けた古筆の筆痕になぞらえた命名のようです。椿の古典的な名前は、古めかしい感もありますが、長い文化と伝統を背景に、風雅や格式の高さを感じさせるものが多いですね。

 「緋縮緬」です。

 「紅流し」です。有名な東大寺の銘木で、原木は枯れてしまいましたが、武田薬用植物園に保存されており、無事、東大寺に「里帰り」できたそうです。

 「灌花絞 」です。「紅流し」とも似ていますね。

 「八朔絞」です。

 「風折」です。

 「雅」です。








椿で飾った「狛ねずみ」~大豊神社

 大豊神社は,東山連峰の一つである椿ヶ峰を御神体とした山霊崇拝の社を起源として、宇多天皇の病気平癒のため、医薬の神でもある「少彦名命」を奉じて創建されたと伝えられる古社です。

 菅原道真が合祀されているのは、道真を深く信任した宇多天皇との関係によるものなのですね。後一条天皇の寛仁年中( 1017~1021年)に山麓の現在地に移り、大豊神社と名前を変え、鹿ヶ谷一円の産土神となり、今に至っています。

 哲学の道界隈のロケーションの良さと、狛犬ならぬ狛ねずみが人気の観光スポットでもあります。

 また、椿ヶ峰の名のとおり、椿が多く自生している山の神を祀っていたこともあるからか、大豊神社は、椿の名所としても有名です。

 桜の咲き始めた神社の椿をご紹介します。

1 桜を観ながら、参道を歩く

 賑わう「哲学の道」から大豊神社へ。満開の桜が迎えてくれました。

 

 参道にも、多くの椿が植えられています。左右に、椿の花を観ながら歩きながら、鳥居へと進みます。

 「椿ヶ峰」が、社殿後ろに切り立つようにそびえ、迫ってくるような感じですね。

 緑の山を背景に、椿と、桜と、梅と、春を代表する花々がちょうど咲きそろっている時期に訪れることができました。

2 樹齢400年の大椿、珍しい園芸種

 鳥居を入ってすぐ、右手に、椿の古木があります。

 案内板には、樹齢400年とあり、綺麗な樹肌で、主幹が3本、高く伸びた枝に、紅い花を咲かせていました。

 「紅色地白斑」という表示ですが、見上げる範囲では、ほぼ紅色で、白斑がはっきりと入っているものは見つけられませんでした。

 境内一の椿の巨樹であり、椿の大豊神社のシンボルツリーですね。

 400年の間に、幾多の人が、この椿を見上げ、慈しんできたことでしょうか。年老いた椿を観ると、いつも、そのようなことを思います。

3 珍しい椿が勢ぞろい

 珍しい品種の椿も多く見られます。大樹に育っているのもあり、椿の神社としての歴史の古さを感じます。

 「鈴姫」 伊予椿ですね。柔らかい桃色の花が、枝垂れるように咲いていました。

 「東雲」です。ほんのり鴇色に染まる、大変清楚な花です。花弁が薄く、天女の衣装のような高貴さも感じます。筒蕊も綺麗ですね。

 白い椿と赤い鳥居。椿は「瑞光」と書かれていたと思います。

 本殿の裏手の方に静かに立つ古大樹です。地味といえば地味な花ですが、ひっそりとつつましげに咲く様も、心に響く人も多いと思いますし、それが椿の多様さでしょう。

 「無憂」です。 あまり、聞かない品種ですが、鈴姫や東雲と似た系統ですね。それにしても、大木に育っているのが多く、最近の品種ではないのでしょう。

 神社定番の「五色八重散椿」です。日吉社の狛猿の傍にあります。

 椿をメインに、桜を背景に。

4 椿を纏った「狛ねずみ」

 有名な大国社の「狛ねずみ」。椿の髪飾りをまとっています。

 「狛巳」「狛鳶」「狛猿」も椿の飾りをあしらわれていました。

 似合っているかといわれると、「狛猿」がまあ、なるほどという感じで、「狛巳」が少し違和感があって微妙というところでしたね。

 椿の名所「大豊神社」をようやく訪れることができました。

 変わった品種が多く、また、大木が多いことが、この神社の椿の特徴だと思います。

 銀閣寺から、法然院、霊鑑寺、そして大豊神社と、哲学の道をたどりながらの、「椿」ツアーは、見応え十分、椿好きには、ボリュームいっぱいで、とても一日では回り切れないくらい、幸せな時間を満喫できること請け合いです。

大豊神社の地図(googlemap活用)

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洛西「浄住寺」の黒椿

 阪急嵐山線・上桂駅から西へ西へと進み、山裾にまで行くと、苔寺西芳寺鈴虫寺、地蔵院、そして今回紹介する浄住寺などが集積するエリアに出てきます。

 銘椿のある、竹の寺・地蔵院から南に歩いて数分のところに、浄住寺はありますが、この寺にも椿の見どころが多いことはあまり知られていないと思います。

 苔寺鈴虫寺を訪れる人も、ここまでは足をのばす人は少ないのですが、自然味豊かな境内は、紅葉時以外でも楽しむことができ、リフレッシュできるおすすめの場所です。

 そんな浄住寺を、椿を中心にご紹介します。

1 浄住寺の沿革

 開創は、古く810年と伝えられ、鎌倉末期の戦乱、応仁の乱、その後の火災による荒廃から、何度も再興され、今に至っています。中興後、鎌倉期には、「太平記」に「異端奇特の大伽藍」と記されるほどの寺容を誇ったとされています。

西暦 開基・中興・再興 開山 備考
 810年 嵯峨天皇の勅願 円仁(慈覚大師) 天台宗
1261年 葉室定嗣による中興 叡尊 葉室家の菩提寺
1687年 葉室頼孝による再興 鉄牛道機 黄檗宗

 浄住寺に関わる葉室家は、藤原北家を流れとし、白河法皇院政時、重要な政務にあずかり、「夜の関白」と世に称された藤原顕隆を祖とし、この地に荘園を有し、山荘を構えたとされます。

 この山荘を、叡尊に帰依した葉室定嗣の願いにより、寺にしたとされ、浄住寺前には、今も、「山田葉室町」という地名が残っています。

 黄檗宗の寺は、京都市内には、14寺あるようで、そのうちの一つということになります。

2 浄住寺への道しるべ

 大変狭い道幅であり、生活道路でもありますので、車で行くことはおすすめできません。上桂駅からハイキング感覚で歩いて、だいたい15分程度で行けるところです。

(googlemap活用)

 西山、松尾の山並みまで、市街地が拡がり、寺周辺も静かな住宅街となっています。境内に一歩入ると、石段のある参道が山へと続き、深い木立が包む、街中とは思えない世界が広がっています。浄住寺は、近年、紅葉の隠れた名所として有名になっていますが、新緑の青モミジも、目に眩しく、清浄な雰囲気に心も洗われます。

3 浄住寺参道の椿たち

 入口すぐ左手に、大木ではありませんが、目に留まる椿があります。

 藪椿ではなく、園芸種のようだったので、開花時に訪れると、「五色八重散椿」でした。4月に入り、時期が遅かったのか、花のつきはあまりよくありませんでしたが、この椿の特徴らしく、咲き分けをみせていました。

 そこまで太くはありませんが、味わいあるかたちの幹となっており、年月を感じさせます。

 土塀内へと進みます。結界のようですね。

 上の写真は3月の頃。4月16日、すっかり青紅葉と化していました。

 3月の雨けぶる、本堂へと向かう石段。藪椿の落ち椿がよく似合います。

 2週間くらいで、緑一色となりました。まだ、藪椿は咲いていましたが、一面の緑に紛れてしまいました。

 本殿正面です。

4 美しい黒椿

 本殿を右に、庫裏の方向に、黒椿が咲いています。

 寺の方にうかがうと、先代の住職の奥様が椿好きで、多くの椿を境内に植えられたそうですが、この黒椿もその一つだとのこと。

 黒椿は、樹勢が弱く、成長が遅いため、50年くらいで、ようやくこの大きさになるのでしょう。

 この黒椿は、地元でも知られ、訪れる人も多いらしいですが、年によって、花の咲きが大きく違うとのこと。昨年は、ほとんど花がなかったということですが、今年は、蕾も多く、綺麗に咲くのではないかと仰っていましたが、何とか、咲いている姿を見ることができました。

 肉厚で、光沢のある、黒味を帯びた色合いは、黒椿独特のものです。

 

 庫裏の右手にも、多くの椿があります。少し白斑が入る美しい椿です。

 濃い桃色で、乙女椿に似た椿です。

 4月16日、残る花は、少し紫色を帯び、桃色の柔らかさだけでなく、神秘的な感じさえ漂わせていました。

 山手に上がったところに、今が満開の椿を見つけました。

5 浄住寺の庭。朝掘りの筍をいただく。

 本堂、方丈回りに、6つの庭が配置されていますが、紅葉シーズン時などに特別拝観により公開されます。

 整えられた庭園もよいですが、参道沿いに茂る樹々も魅力があります。

 庫裏の横に、お寺の竹藪の筍でしょうか、採ったばかりの筍が新聞紙の上に盛られていました。

 朝堀りの新鮮さに魅かれ、お気持ちの志を木箱に入れて、小ぶりなものをいただくことにしました。

 この黒板の案内は、字も、イラストも、実にセンスがありますね。

 若竹煮にしていただきました。あくもなく、歯ざわり抜群、おいしかったです。