柊野の「五色八重散椿」

 長命と言われる椿ですが、400年、500年と時を重ねると、やはり稀少な存在になってきます。

 京都市北部の柊野(ひらぎの)の民家にある「五色八重散椿」は、500年ともされる樹齢を経て、4本に岐れる太い幹が八方に広がって、雄大な樹容を見せており、この品種では、最大の規模のものと言われています。

 先日、この民家を訪ね、見事な椿が開花しているところを見ることができましたので、ご紹介します。

 五色八重散椿」は、椿寺にある、加藤清正が朝鮮から持ち帰り、秀吉に献上したものと伝わる、先代のものが最も有名で、この柊野の椿は世に知られないまま、昭和の30年代になって、ようやく、その存在が知られるようになりました。

 今は、椿寺の二代目

www.kyogurashi-neko.com

と、西方尼寺の利久手植えと伝わるもの、そして柊野の椿の三つが、京の「五色八重散椿」を代表するものとされています。

 柊野は、寛永2年(1625年)頃に田畑が開かれ、上賀茂神社の神事や修理料として開発されたと言われています(「柊野学区まちづくりビジョン」より)。そのころには、この椿はすでに咲いていたことになります。

 桜咲く鴨川の堤防に沿う加茂街道を北に上がり、志久呂橋を渡ると、この民家が見えてきます。巨木が、塀を越え、高く、広く拡がっているので、すぐにわかります。

 京都市による、1983年12月の調査によると、樹高8.8メートル、胸高周囲1.01メートル(東幹)で、樹冠投影面積は100㎡以上に達するとされています。

 下の写真、奥が西幹、手前左側が東幹、右側が北幹で、それぞれ1メートル程度の幹周を有しています。もともと一本の木だったのを、井戸を掘った際の土を根元に盛ったため、地上部では、4本の木が生えているようにも見えます。

 東幹と西幹は、ほぼ直上して伸び、高い樹冠を形作っています。

 北幹は、分岐しながら、横へ横へと枝を張っています。

 松の木では、よく見られる仕立てなのですが、椿でこのような枝張りはまず見かけません。

 南幹は、分岐しながら、塀に覆いかぶさるように伸びています。道路側に咲きこぼれるという感じですね。

 南側が一番日当たりが良いので、こちら側から順次開花していくようです。

 ちょうどお出かけ前の家の方に、椿を門内で撮れるかをお伺いしましたが、心よく了解していただきました。感謝!

 もともと、この樹の周りは、残石置場で、石が積まれていたのを、先代の奥様が、取り除き、盛り土をするなどして、今の庭園の姿に変えたらしいとのことです。

 「管理が大変ではないですか?」とお聞きしますと、これといった管理はしていないが、西側に井戸が掘られ、水分を供給する水脈があることが、長命を保っているのではないかと仰っていました。 

 花の盛りは、4月を越えてからと思いますが、5分咲きくらいの時でも、十分にその魅力を感じることができます。

 「五色八重散椿」のシンボル的な一本として、今後も、元気に樹齢を重ねていくことを心から願います。