伏見大手筋商店街を東に進み、近鉄「桃山御陵前」駅を過ぎると、御香宮神社の立派な表門が見えてきます。
神功皇后を祭神とする大きな社で、応仁の乱後、秀吉が伏見城内に移して再興し、のちに家康が再び現在地に社殿を造営し、今に至っているものです。



ここには、かの小堀遠州(1579~1647)が、「おそらくこれに勝る椿は他にない」と称えたと伝えられる有名な「おそらく椿」があります。
小堀遠州は、茶人及び作事方として高名な大名で、1623年(元和9年)に伏見奉行に着任し、伏見奉行所を新築した際に作庭した庭園は、徳川家光に褒められ、5千石が加増され大名となったといいます。行政・政治手腕と芸術の才を両立させながら、乱世を生きた、非凡なお方だったのでしょう。
この小堀遠州のお墨付きという名椿は、高さ4メートル、紅白まじりの散椿で、晩咲きの一品です。
社務所の方に、場所をお聞きすると、参道左手の参集館の南側庭園にあるが、中には入れないので、参道から塀越しで見ていただくことになりますとのことでした。
教えていただいた場所を探しましたが、花の咲いている時期と違いますので、椿らしいものは見かけましたが、どうも確証が得られませんでした。
そこで、庭・境内の世話をされている年配の方々にお聞きしますと、スマホで、「おそらく椿」の写真を見せてもらいました。
小堀遠州が激賞した現物であれば、樹齢ほぼ400年になる古木のはずです。
が、樹齢にしては、幹も太くなく、4~5本の株立ち状になって各々伸びており、大木感や老樹感はあまり感じられません。樹が弱っているというようには見えなかったので、よほど成長が遅い椿なのか、もしかすると原木の代替わりなのかもしれません。
地面に落ちた花は、水気が多くて、風圧掃除機でも、吹き飛ばすことができず、なかなか始末が思うようにならないとおっしゃっていました。ぼってりとした肉厚な花びらなのでしょうか。
スマホでも、花姿の美しさが伝わるものでしたが、実物を見るに如かず。
塀越しでは、樹容が部分的にしかわからないのが残念ですが、場所はわかりましたので、再訪して、見させていただこうと思います。
社務所西側には、遠州が作庭した伏見奉行庭園の石を移築して「遠州ゆかりの石庭」が再現されており、ここに、「おそらく椿」の後継樹が見られるとお聞きしました。
また、桃山一帯は、かつて、椿の一大産地であり、それを今に伝える、大神楽椿と白玉椿の古木が、この庭に献木されたということで、それを見るのも楽しみにしています。

