京都園芸倶楽部の会報誌の「椿特集号」に、昭和35年から39年にかけて、石井椿園の石井吉次氏の寄稿があり、伏見桃山界隈の椿を、個人宅のものも含めて、詳細に記載されており、反響が大きかったようで、リクエストもあったのか、数回に渡り、連載されています。
ちょうど高度経済成長期で、急激な宅地開発が進む中、かつての椿園の姿が消え、古木、希少品種が数知れず失われていった状況がよくわかります。それを憂い、移植や引取の仲介に奔走した方々や、その搬送先のことも記されています。
それから60年が経ち、桃山の椿がどのようになっているのか、石井氏の文章を道案内に辿りながら、今の状況を確認してみようと思います。
乃木神社の妙蓮寺椿
まずは、JR桃山駅を起点に、桃山御陵の参道から、乃木神社へと進みます。


神社の石鳥居のそばには、妙蓮寺椿の大木が今もあります。当時は、連なって4本の大木があり、一本が台風で折れてしまったと書かれていますが、幹周1メートル近くありそうな巨樹と、そのすぐそばに生えている一本以外は、まださほど大きくはない椿が、妙蓮寺椿かどうかはわかりませんが、群生しています。




乃木神社鳥居に至る参道南側の林に、巨樹とまでには至りませんが、椿の広範囲の群落があります。元は植栽だったとしても、すでに自生し、新木が成長しており、椿が樹相の一つを占めているようでした。桃山は椿が育ちやすい環境なのでしょう。
乃木神社と京都市立桃山小学校の間の道を進むと、JR奈良線を跨ぐ乃木橋陸橋に出てきます。ここは、坂の上手にある高台で、ここから、道は、急な勾配で下っていきます。右手(西側)が、本多上野(ほんだこうずけ)、左手(東側)が、伊賀という地名です。


「三夜荘」跡から石井椿園へ
石井氏は、本多上野の、宇治川を眼下に見下ろす風光明媚な絶好のロケーションにある、石井椿園と西本願寺の別荘「三夜荘」のことを記されています。
木戸孝允が命名し、かつて明治の貴人、名士が集った「三夜荘」は、今は居館も解体され、裸地になっており、工事現場の柵が周囲を囲んでいる、寒々しい光景です。石井氏の記載では、既に「崑崙黒」など、往年の椿は、わずかに残るばかりとありましたが、今や、道路脇に、実に窮屈な状態で、何本か残っているに過ぎません。
当時を偲べるものはありませんでしたが、秀吉が「観月台」を設けた場所であるだけに、宅地化され、マンションも並ぶ中でも、今も宇治川の流れを臨むことができる、ヴュー・ポイントであると思いました。
「石井椿園」のあったあたりには、道路から見る限りでしたが、まだ、多くの椿が植えられている画地がありました。椿園としては営業されてはいないのでしょうが、桃山の椿を今に伝える古樹や、希少な品種などを守っていただいているのかもしれません。
幹周1.5メートルの「松笠」、1メートルを超える「諫早」、「大神楽」など、今も生きながらえているのでしょうか?
江戸町本通りを歩く
「三夜荘」跡から西に下ると、南北に連なる江戸町の本通りに通じます。
石井氏の記載を引用させていただきますと、「江戸町は古来立売町と共に花屋の町である、徳川初期に桃山城が亡び各大名屋敷が取毀になり、その屋敷跡を開墾して色々作物を作らせた際、屋敷の庭の樹木の手入れをしていた植木職にて花作りの経験のある人たちが組合を組織して花屋組合を作り、京都市中に売り捌く特権を認められた。そうした花屋たちが住んでいた町で各家毎に椿を植えていたらしい。」とあります。
石井氏の記載にある、見るべき椿のある家と符合しそうな家は、何軒か見受けられましたが、道路からは、記載にある椿の姿は判然とはしませんでした。ただ、樹木が生い茂っている一画には、大きな椿も見られ、いくつかは残っていると思われます。もし、現存していれば、また、何かの機会に、見せていただくこともあるだろうと楽しみにしておきます。
立売町で、花屋さんに訊く
江戸本通りを上手に上り、JR奈良線の高架下で左に折れると、この辺からが立入町です。
花屋さんがありましたので、御当主に、少しお話を聞かせていただきました。石井氏の文章をお見せしながら、ご存知のことを聞こうとしましたら、ちょうど、当主のおじいさんのことが載っているとのことで、今も、裏庭に古い椿がありますよと言っておられました。
今でも、椿を販売されているのか伺うと、昔とは違い、椿の切り花の需要は無く、取り扱ってはいない、一方で、桃花は今も人気があり、飾る人も多いとのことでした。
開花の時期には、是非、椿を見せて下さいと頼みますと、気よく、請け合っていただきました。お忙しいところ、お相手をしていただき、ありがとうございました。


今も残る椿園
最後に、乃木神社から、JRの乃木橋陸橋を渡ってすぐ、線路沿いの道を進むと、椿園に行き着きました。石井氏は、ここは、桃山第一の椿園といえるほど、広大かつ本数、種類の揃ったところと記されているところです。
正直、椿園というものは、すでに無くなっているのだろうと思っていただけに、規模はかなり小さくなっているかもしれませんが、数十本に及ばんとする立派な椿が育てられているのを見て、驚き、感動いたしました。
一つ一つが、大きく成長した椿なので、間隔をあけながら、ゆったりと植えられています。
葉も青々と元気よく茂り、樹形が整い、大事に手入れされて育てられているようで、全体として、庭園のように管理されています。おそらく、多くの貴重な椿が保存されているものと思われます。
最後に、いいものを見ることができました。
全ては回れませんでしたが、椿に愛着を持たれている方々の尽力により、まだ、各所で、桃山の椿は命脈を保っていると実感しました。
桃山時代、江戸時代初期の歴史、文化と関わりの深い桃山の椿。色々な方の話もお聞きして、椿の魅力を、これからも探っていきたいと思います。