佐賀県唐津市の西部、玄界灘にせり出す東松浦半島は、山が迫る、入り組んだ海岸線が続き、彼方には壱岐、対馬、さらには大陸を臨む大海原が横たわる雄大な光景が広がります。海上には多くの島々が浮かび、絶海の迫力というよりも、内海のような安心感も併せ持つ風光明媚な地域です。
令和6年8月24日、猛暑の中でしたが、「虹の松原」を通り、唐津城から半島をぐるりと車で巡り、呼子、名護屋城跡、そして、玄海エネルギーパーク内にある古木「太閤椿」を見てまいりました。
1 唐津城と藪椿
博多から、西九州自動車道にのって約1時間、唐津湾の沿岸沿いに広がる、日本三大松原の一つ「虹の松原」に到着です。
県道「虹の松原」線の両サイドに、およそ5キロにもわたって延々と松林が続いています。100万本という松の単相林の中を進むと、車窓にはずっと同じような光景が流れ、どこを走っているのかわからなくなるような不思議な感覚になります。
「虹の松原」の景観を楽しむには、松林の南にある鏡山に登って見下ろすのが一番のようですが、今回は、唐津城から遠望することにしました。
唐津城は、唐津藩主の居城として、慶長年間に、廃城となっていた名護屋城の解体資材を利用して築かれました。城を中心に両翼に弧を描くように松原が広がるさまから、舞鶴城との名を持っています。
藩主となる大名は度々変わりましたが、天保の改革で有名な水野忠邦もその名を連ねています。
のちに明治維新による廃藩置県によって廃城となりましたが、跡地は公園として整備され、昭和41年には唐津のシンボルとして天守が建設されました。
お城を見上げながら、酷暑の中をあそこまで登っていくのはつらいなあと、ふと見るとエレベーターの案内が。100円也で、リフトのように本丸まで上がることができてほっとしました。
この天守から見渡す玄界灘は、まさに絶景です。西方には、松浦川を越えて、虹の松原と東唐津のまちが臨めます。かつての城主もこのような光景を見たのかと思いきや、実際は天守閣のような高層のものは建てられなかったようですね。
温暖な玄界灘沿岸は、椿が数多く自生しており、今回は行く時間がありませんでしたが、椿の島として有名な加唐島など、かつては、群落が至る所に見受けられたようです。
唐津城の建つ満島山は、自然林の名残を残し、大木ではありませんが、藪椿が群生していました。春には、城を訪れる人を楽しませてくれるのでしょう。
2 呼子のイカと那古屋城跡
唐津を出て、次は、イカで有名な呼子で昼食をとりました。刺身が苦手な私は、天婦羅をいただきましたが、「げそ」でさえも、食感の良さ、広がる旨味と甘みに、さすがに本場だなと。やっぱり、鮮度抜群のイカ刺しを食べたらよかったかな。
「名護屋城跡」は、呼子からほど近くにあり、隣接して、県立の立派な博物館が建てられています。
半島の北側、玄界灘に面したこのエリアには、文禄・慶長の役の総司令部である名護屋城と、その周辺に、召集された各大名の陣屋がずらりと築かれました。
県道沿いにも、有名な武将たちの陣屋跡がぞろぞろ現れ、本当に「密集」していたことを実感しました。
往時は、10万人を超える大城下町が出現し、各陣屋には、茶室や能舞台も作られ、秀吉が訪れることもあったといいます。天下人・秀吉の力をうかがい知れますが、わずか7年あまりで、町は幻のごとく消え去りました。残るは、石塁や礎石の跡のみ。壮大な浪費を今に伝えるというのは言い過ぎかもしれませんが。
3 玄海エネルギーパークの「太閤椿」
ここには、秀吉が名護屋城を築いたころから咲き続けているといわれる、樹齢450年を超える「太閤椿」という藪椿があります。
パークの北端にある温室前の一角に、ひときわ大きな椿を中心に、4本の古木がまとまって植えられています。これらの椿は、もともと200mほど離れたところに自生していたものですが、原発の建設用地に重なってしまったため、昭和59年に移植されたそうです。
「太閤椿」は幹周り2.4メートルを超えるという巨木ですが、上背はそんなになく、ずんぐりとしています。何より、地面近くで分岐する大枝が重なり合う瘤状の幹には圧倒的な存在感があり、その「異形」めいた姿には、神秘的なパワーさえ感じます。
この地では、海からの潮風を防ぐため、下枝も密に茂る性質のある椿が植林されていたらしいのですが、「太閤椿」の姿には、厳しい自然の中で長い年月を生き抜いてきた風格を備えています。
それにしても、こんな巨大な椿をよく植え替えることができたなと思いますね。幹割れの補修はされているものの、樹勢は衰えておらず、この暑さですが、元気に、青々とした葉を茂らせていました。
玄海に伝わる椿には、この太閤椿のほか、玄海淡雪椿と元寇椿が知られていました。このうち、原木が残っているのは、この「太閤椿」のみ。藪椿の変異種で、白い抱え咲きの名品、玄海淡雪は、原木から枝が引き継がれてかろうじて命脈を保っています。
元寇椿は、その名の通り、大変な古木だったようですが、名のみが残る幻の椿となってしまいました。
このように貴重な「太閤椿」ですが、さほど目立つこともなく、仲間たちとともに静かに余生を送っています。温室の管理事務所の方に、「太閤椿」に関する資料がないか尋ねましたが、残念ながら特にはないとのこと。
願わくば、原生時の様子や、移植時の苦労などを記録としてまとめておいてほしいですね。
パーク南の小高い敷地には、2代目発電所長の白石晶一氏の基金を元に造られた「白石記念椿園」があり、約100種800本の椿が植えられています。小山を回遊する椿道は、シーズンには色・形とりどりの花でにぎわいそうです。
4 玄界灘の風景