人形と銘椿で知られる百々御所「宝鏡寺」

1 「宝鏡寺」春の人形展へ

 人形の寺として知られる「宝鏡寺」は、普段は非公開ですが、3月、雛祭りにあわせて特別拝観が行われ、本堂では、雛人形をはじめ、寺に伝わる由緒ある人形が展示されます。

 お堂を取り巻く庭園には、上京区民の誇りの木にも選定されているイロハモミジ、光格天皇ゆかりの伊勢撫子など、四季の移り変わりを鮮やかに映す多様な花木が植えられていますが、椿ファンにとっては、銘椿「村娘」、「熊谷」、「月光」のある寺として知られ、3月から4月にかけては、椿が庭を彩る主役となります。

 宝鏡寺は、堀川寺之内を東に入ってすぐにあり、北は「本法寺」に境を接し、西は小川通をはさんで、表千家「不審庵」、裏千家今日庵」が、南の寺之内通には、和菓子の老舗「俵屋吉富」や茶道具の店が軒を連ね、この界隈は、閑静で、いかにも茶道の中心地らしい雰囲気が感じられるところです。

 尼五山の筆頭であった景愛寺の法灯を受け継ぐ宝鏡寺は、寛永21年(1644年)に、後水尾天皇の皇女・理昌尼王が入寺してからは、歴代、皇女が住職となった格式の高い門跡寺院であり、地名にちなんで「百々御所(どどのごしょ)」と称されています。

 門を入ると、右手に、人形塚が見えます。

 台座には、武者小路実篤が、供養される人形に寄せた言葉が刻されています。

 屋根廻りの立派な獅子の彫刻を見上げながら、玄関に入り、拝観受付を済ませます。

 奥へと足を進める前にあるのが「使者の間」です。ここは高貴な姫宮のお住まいでもあり、来訪者は、この間で、お許しが出るまで控えていたということです。

 立ち雛が迎えてくれました。

 本堂内、東側の真ん中の部屋には、本尊の聖観世音菩薩像が安置され、襖には、狩野探幽筆と伝わる「秋草図」が、女性の住まう寺らしく、上品で華やかに描かれています。

 扁額は、22世本覚院宮によるものですが、力強い筆跡です。字は体を表すといいますが、宮は能筆で歌の道にも秀でるとともに、寺の地位を高め、紫衣が許されるなど、多才で、政治力もあった方のようで、その迫力が、字からもうかがえます。

2  本堂を取り巻く苔むす庭園

 本堂に入ると、南側、寺之内通に面して庭園が現れます。正面のイロハモミジは、高さ 8.7m 、枝張 16.0m、幹周 1.50mの堂々たる樹容で、秋の紅葉時は、寺之内通にまで美しい紅の傘をさすボリューム感豊かな、見応えのある名木です。

 イロハモミジの横に咲く藪椿。

 東側に続く庭へと、回廊を曲がります。

 桃色侘助でしょうか。

 有楽椿と紅梅の花の取り合わせです。

 開花しているものは少なかったですが、このように、ところどころに椿が植えられ、とりわけ東側の庭では、目につきやすい前面の場所を占めています。

 庭は、本堂の東北へと続き、光格天皇が自ら彫られたという阿弥陀如来像や、日野富子の木像が納められた「阿弥陀堂」の東側には、皇女・和宮が幼少時に毬をついて遊んだとされる「鶴亀の庭」が広がっています。

 その南端の塀際にも椿がありました。

 宝珠形が愛らしいですね。

 「鶴亀の庭」

 本堂の東北に、起伏を見せながら広がる庭です。小高い築山を囲んで、枝ぶり見事な樹々が茂りますが、常緑樹が多いせいか、苔とあいまって、緑濃く感じます。新緑時は一層緑が映えることでしょう。

3  銘椿「村娘」

 本堂の西側の中庭に、高さ3~4メートルの「村娘」が静かに立っています。

 濃桃色の八重咲の小中輪の散椿ですが、残念ながらまだ蕾の状態でした。

 お堂に囲まれた、森閑とした空間に、「村娘」とモミジと奈良八重櫻がシンプルに配置されています。

 特別公開の終わりころに、もう一度訪ねたいと思っていますが、今年は桜の開花が早目らしいので、うまくいくと、「村娘」と桜の両方の花姿を見られるかもしれません。

 「熊谷」と「月光」は、公開されているところからは見ることが叶いません。肥後椿の祖「熊谷」の原木として知られる巨木は庭園の北端に、紅い花弁と蕊の純白のコントラストが際立つ「月光」は寺の西北にあるとのことですが、開花時に、どこかから、少しでも見えることを期待しておきます。

左が「村娘」、右が「熊谷」です。

(追記)奥に「日光」がわずかに見えています。

 私のカメラの望遠では、これが限界でした。残念。

 北端の「熊谷」原木は確認できませんでしたが、南庭に咲くこれは別株かもしれません。

4  夜回りをする人形

 人形展で心惹かれたのは「万勢伊(ばんぜい)さん」でした。

 22世門跡、本覚院宮に贈られ、宮のお気に入りのもので、3代にわたって可愛がられたため、魂が宿り、夜回りを務めたというエピソードを持つ人形です。

 江戸前期に作られた「三折人形」であり、腰、膝、足首が曲げられて、正座させることができるといいます。

 また、おつきの人形として「おたけさん」と「おとらさん」の人形が側に控え、とりわけ「おとらさん」の愛嬌のあるおばちゃん顔にはほっこりします。

 衣装は見るからに手間のかかったものが誂えてあり、刺繡には、白椿と見受けられものもありました。

 寺の南東、寺之内通に面して、小さな櫓のような建物があります。これは「御物見」といい、尼さんたちが、ここから外の世界を垣間見ておられたそうです。

 寺の内の世界はどうだったのでしょうか。皇家や公家の高貴な方々によって、朝廷の「御所文化」が受け継がれてきたと言われていますが、必ずしも内に籠った暮らしだけだったのではなく、御所との行き来もあり、また、高僧や文化人との交流もあり、サロン的な役割も果たしていたのではないかとの研究もされているようです。