右京区京北町は、京都市の北部に位置し、「かやぶきの里」で有名な南丹市美山町と境を接する、山あいの自然豊かな地域です。
京都市域のほぼ4分の1に及ぶ広大な面積の93%を山林が占め、禁裏の御料地として、平安京造営の木材を供給するなど、古くから京との関係が深く、平成17年に京都市と合併しました。
桂川の上流となる「大堰川」の澄んだ流れに沿って集落が散在し、昔ながらの、のどかな田園風景が今も広がっています。
かつては、峠越えの道で、市内からのアクセスもよくなかったのですが、合併事業の目玉の一つとして、「京北トンネル」が開通し、道路の拡幅整備も進んだことから、市内から40分程度で行ける「都会に近い田舎」で、私もリフレッシュに時折訪れています。
常照皇寺は、京北を代表する名刹で、天然記念物にもなっている桜が名高く、シーズンには、ひときわ賑わいを見せます。
そして、「常照皇寺藪椿」という、強く黒みを帯びた藪椿の名前の由来となるお寺でもあります。
4月末、すでに、桜も、椿もシーズンが終わり、いつもの静けさに戻った常照皇寺を訪れてきました。
1 常照皇寺の新緑の参道と藪椿
京北の中心地「周山」の道の駅「ウッディ京北」から、東に国道477号線を進むと、10分程度で寺に到着です。
山中にある寺なので、参道は木立に囲まれ、緑の若葉の合間から春の陽光がきらめく中を歩くと、森の木の独特の香りも心地よく、爽やかな気分になります。
山門から参道を振り返ると、まるで額縁に飾られた絵のように見えました。
山門そばの藪椿が、最後の数輪の花を咲かせていましたが、かなり黒みがあり、「常照皇寺藪椿」の系統種かと思います。
苔に覆われた石段の上に「勅使門」が見えます。ここからは入れませんので、左に折れて、入口のある書院へと向かいます。
名残りの花を咲かせる藪椿です。
書院前の青いモミジと、目の覚めるような赤い若葉のモミジに、思わず足を止めてしまいました。
「鐘楼」前にも、まだ、藪椿が咲いていました。
2 銘桜「御車返しの桜」「九重桜」「左近の桜」
書院から方丈へと続く廊下には、昔の用具が何気なく置かれ、当時の生活感が感じられるのが面白く、方丈の室内にも自由に出入りができるなど、あまり、観光寺院化していないのも、このお寺の魅力かもしれません。
流石に、桜は散っており、葉桜となっていました。
方丈前の「御車返しの桜」です。後水尾天皇が、車を返してまで、愛でたと伝わる桜です。
一重と八重が一つの枝に咲くという銘桜。わずかに残る花にも、そのしるしを観ることができました。
天然記念物の「九重桜」、御所からの株分けとされる「左近の桜」が立ち並ぶ一角です。清々しい緑一色です。
「九重桜」は、右側の二本。奥のものは、光厳上皇のお手植えと伝えられています。650年が経過し、元木は、腐朽も進み、樹勢が弱っているとのこと。その代わりの手前の後継樹が、たくましく育っています。
「左近の桜」です。
方丈庭園は、山の地形を活用し、借景にも取り入れています。ちょっと見づらいですが、藤の紫も見えますね。
華美な装飾のない、シンプルな建物です。
上皇も、同じように景色を見ておられたのでしょうか。
3 幻想的な羅漢さまと阿弥陀如来さま
「開山堂」には、重要文化財の阿弥陀如来とその両脇侍像、十六羅漢像、光厳法王像が安置されています。
羅漢像は、キャットウォークのようにしつらえられた舞台に配置され、柔らかい照明に浮かび、少し幻想的な効果を発揮していました。
4 光厳上皇と京北の民人
寺の開祖は、南北朝時代の北朝初代の光厳上皇です。鎌倉後期から室町初期の、権力が目まぐるしく変転した動乱期に、即位、廃位を経て、京を離れる日々を送られる中で、禅宗に帰依され、晩年は、京北の地で、生涯を過ごし、寺山に葬られました。これが「山国御陵」です。
御遺言は、大層なお墓の造営や、儀式・法事などは一切無用、そのまま自然の木が生えるのが愛するところであるが、山民や村童が「小塔を構ふるが如くんば亦是を禁ずるに及ばず」ということで、ささやかな供養の気持ちまでは頑なに拒むものではないという趣旨が記され、お人柄というか、到達された境地が感じられます。京北の人々も、そんな上皇を敬愛してきたのでしょう。
御陵に静かに咲く「常照皇寺藪椿」。花を観ることはできませんでしたが、また、来年にでも再訪し、独特の色合いを見ながら、歴史を偲びたいと思います。
「常照皇寺」周辺に、まだ咲き残っていた桜です。
5 「山国神社」と「福徳寺」
帰路、「山国神社」を訪れました。
社殿の後ろに、立派な椿の古木がありました。
美しい赤の石段です。
弓削にある「福徳寺」。樹齢400年の「かすみ桜」が有名です。