八幡市は、京都市の南、桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川と一本化する地域に位置しています。
古くから、水運の拠点として、また、伏見と大阪を結ぶ「京街道」や河内を縦断し高野山へと続く「東高野街道」などの重要な陸路が走る交通の要衝であるとともに、石清水八幡宮の門前町として栄えてきたところです。
この八幡市では、椿は「市の花木」として制定され、親しまれています。
石清水八幡宮の社叢の藪椿群や、常昌院の日光椿の巨木をはじめ、椿の名所、名木が多くあり、今回訪れた「松花堂庭園」も椿園を有し、見どころの一つとなっています。
1 松花堂昭乗と椿
松花堂昭乗(1582~1639)は、書道、絵画、茶道に秀でた、当代一流の文化人ですが、箱の内側を十字に仕切る、昭乗好みのスタイルをもとにした「松花堂弁当」が、その名を伝えるものとして、今でも最もポピュラーでしょう。
昭乗が石清水八幡宮に建てた方丈「松花堂」が、明治の廃仏毀釈により解体され、縷々移築を重ね、現在地へと移り、八幡市が周辺用地も買い入れて、庭園として整備されたのが「松花堂庭園」となります。
寛永(1624~1644)期は、空前の椿ブームが起こった時代で、後水尾天皇や徳川秀忠から庶民の間にまで椿熱が広がり、珍しい品種の入手に躍起となっている様子も記録されています。
交通の要衝であった八幡にも、物流が盛んになるにつれ、各地の椿も流通していたのではと想像します。
松花堂昭乗も八幡の珍種「八幡椿」のことを記すなど、当時の広い交流において、椿を話題とし、愛好していたことがうかがわれます。
庭園には、椿園が付設され、数多くの椿を楽しむことができるのも、そのような歴史を踏まえているからでしょうね。
庭園は2万㎡に及び、外園と内園からなっていますが、内園は、大阪北部地震の復旧工事のため、まだ再開されておらず、残念ながら、まだ入ることはできません。
2 庭園の椿
訪れたのは3月初旬だったので、まだ椿の盛りの時期ではなかったのですが、やや早咲きのものを中心に楽しむことができました。
いくつか、ご紹介します。
「胡蝶侘助」です。
庭園北側、茶室付近のつくばい?です。
竹と椿は、とりあわせがいいと思います。八幡の竹は、エジソンがフィラメントとして採用したことで有名ですね。
「京雅」です。太郎庵の実生から生まれた品種で、太郎庵系統ということですね。
桃地に、紅い縦筋が美しく、ほんのり紅を差すという感じで、優雅なネーミングにぴったりの花だと思います。
「不老門」です。霊鑑寺のふくよかな白椿「霊鑑寺白牡丹」と同種ということです。
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「常照皇寺藪椿」です。まだ時期が早く、咲いていませんでしたが、蕾も暗紅色で、花の色を想起させるものでした。常照皇寺に行ったのは、逆に遅くて、今年は、頃合いの時期を逃してしまいました。
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「霊鏡寺早咲赤藪椿」です。
シンプルな藪椿なのですが、気品と凛々しさを感じます。霊鏡寺では、圧倒的に多くの椿の中に紛れてしまっていましたが、こうして単品で見ると、素晴らしさがよくわかります。
「覆輪侘助」です。
「京牡丹」です。松花堂昭乗が公家に贈ったと記録されている「八幡椿」は、今に伝わっているのか、絶えてしまったのか、明らかではありませんが、この「京牡丹」の枝変わりではないかとの、「やわた椿愛好会」の説明書きがありました。
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「高台寺」です。何とも柔らかく優しい桃色の椿です。実にチャーミングですね。
「三夜荘」です。伏見桃山にあった、豊臣秀吉が月見を楽しんだ場所に建てられた西本願寺の別荘「三夜荘」は今はありませんが、その名を椿に残しています。
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「絵日傘」です。ぴったりのネーミングですね。
「宗旦」です。引き締まった小ぶりな花姿から、茶花に愛用されています。
内園には入れません。
3 椿の和菓子
庭園のミュージアムショップには、東高野街道沿いの和菓子屋「亀屋芳邦」が、期間限定で、椿にちなんだ生菓子を販売していました。全部で4種類で、好みの2種類をいただいて帰りました。
内園にも、多くの椿が植栽されています。
来年には、建物補修が終わっていると思いますので、「松花堂」と「泉坊書院」を見ながら、椿を再訪したいと思っています。