奈良市の東部、北の春日山、西の高円山の麓に位置する「高畑」は、春日大社の社家町の名残を残す風情ある街並みを楽しめ、新薬師寺や百毫寺など「個性的」な名刹に出会える、散策に好適なエリアです。
やや山手の高台にある「百毫寺」には、奈良三銘椿の一つとして名高い「五色椿」があります。
桜もようやく咲き始めた、3月最終週の土曜日、奈良の銘椿を訪ねて、まずは「百毫寺」に行ってきましたのでご紹介します。
1 百毫寺の石段を上ると眼下に広がる奈良のまち
百毫寺へ行くには、バスの本数も限られているので、車ということになると思いますが、かなり入り組んだ狭い道を進んでいくことになります。
寺には駐車場がありませんが、門前近くの民間の青空駐車場に停めることができます(1回700円)。
石段を上がり、初めの門をくぐると、両脇に椿垣の続く石段が100段あまり山門まで続いています。
見上げると、ところどころに紅い花が、足元には落ち椿がはらり。
椿の有名な寺らしさに期待が高まります。
段の一番上近く、右手に大椿が梢を伸ばしています。
ようやく石段を上がり、おもむろに後ろを振り返ると、奈良の市街がパノラマのように広がっています。思わず感嘆の声を上げました。これはサプライズでしたね。
2 奈良三銘椿の一つ「五色椿」
境内に入ると、そこかしこに椿の樹々があります。
まずは、「五色椿」に御対面です。
この椿は、寛永年間(1624~1645年)に興福寺の塔頭・喜多院から移されたものとされ、400年の樹齢を誇ります。
3月の寒さもあり、開花が少し遅いようですが、いくつか花を咲かせてくれていました。
白地に桃色の縦絞りが入った花、紅い花が見れましたが、咲き進むと、名前の通り、多彩に咲き分けていくのでしょう。
蕊の一部が花弁化している八重咲で、豪華というよりも、上品な花という感じがしましたね。落ちている椿は、花弁がバラバラになっていませんでしたが、散椿系統ではないのでしょうか。
根元からの最初の枝分かれのところに空洞が見えるのが気になりましたが、樹勢が衰えているという様子はなかったですね。
奈良だけでなく、全国レベルに名高い椿だけに、できるだけ永らえてほしいものです。
3 樹齢500年の「白毫椿」
「五色椿」の隣、一段上に、実に立派な椿の巨木が堂々とした姿を見せています。
もともと多宝塔が建っていたという場所にあり、「白毫椿」との命名がされています。
藪椿ですが、花にわずかに白い斑が入るさまを、仏さまの白毫になぞらえて、椿の大家である渡邉武博士が名付けた椿です。
太く重量感ある幹、横に広がる力感あふれる枝が深い皺を刻み、年季の入った椿独特の「霊力」さえ感じられる存在感ある大椿です。
樹齢は推定500年、「五色椿」をしのぐ最古参のもので、知名度は「五色椿」に座を譲るものの、「白毫椿」は、名前、樹齢、樹容といい、名椿として屈指のものであると思います。
確かに白斑が入っています。可愛らしいですね。本当にぴったりのネーミングです。
4 境内の椿たちと仏像
名づけのある椿たち。
「八重白椿」
「五色椿」「白毫椿」と並ぶため目立っていませんが、これもなかなかの巨木です。
残念ながら、まだ花を見ることができませんでした。
「緋車椿」
本堂の左前に据えられた、樹形の整えられた椿です。これもセンスある、いいネーミングです。
確かに、シンプルですっきりした造りですね。
ほぼ180度の展望が楽しめますが、いかんせん、訪問日には黄砂が来襲していたということで、遠景はもやがかかってしまいました。残念。
それにしても、椿の多いこと。それも相当の巨樹があちこちに。
加えて、「百毫寺」には、平安時代後期から鎌倉時代にかけての作で、重要文化財に指定されている仏像も数多く宝蔵に納められています。
なかでも、閻魔王とその眷属である司命・司録像と太山王が有名です。
太山王は、運慶の次男の子と伝わる康円の作、閻魔王一族は康円一派の作とされています。
司録は、右手に筆をとり、左手に持つ木札に裁きの結果を記す姿で現されますが、この百毫寺の司録像のポーズが一番格好よく決まっていると、私は思っています。
椿だけでなく、見晴らしを楽しめ、仏像の名品を見ることもできる、百毫寺は、お値打ちなところだと実感しました。
「子福桜」は咲き終わりでした。
再度、パノラマを楽しみつつ、石段を下りていきました。
5 鏡神社の椿
吟松・高畑本店で、天ざるの昼食をとった後、界隈を散歩してきました。
新薬師寺までは、土塀が似合う静かな小径です。
新薬師寺の通用門です。
十二神将は大好きなのですが、今回は、新薬師寺は門前を通るだけにして、隣にある寺の鎮守社である南都鏡神社をお参りしました。
大きな藪椿が静かに花咲かせていました。
鎮守の椿として親しまれているのでしょうか。不思議と心惹かれました。