「京都薬用植物園」のツバキ園を訪ねる

1 比叡の麓にある「京都薬用植物園」

 武田薬品工業株式会社の京都薬用植物園は、比叡山山麓にあり、「曼殊院」に隣接して、山林を含む94,000㎡もの広大な敷地に、およそ2,000種の薬用植物をはじめとする約3,200種の植物を保存、栽培しています。

 第一次大戦時に、医薬品が輸入できなくなったことをきっかけとして、薬の国産化の機運が高まり、きちんと分類され、系統が明確にされた薬用植物を栽培し、新薬の研究開発や品種改良を行うことができる薬草園を創ろうと、5代目武田長兵衛社長によって、昭和8年(1933年)に開設されました。

 園の敷地は、平地だけでなく、山も谷もあり、この自然環境が多様な植物を生育するのに適しており、また、都市圏とも近いということで、この地が選ばれたそうです。

 園の名前通り、薬草がメインですが、ここには、知る人ぞ知る「ツバキ園」があり、江戸時代から伝わる「古典種」やユキツバキなど、560種あまりの椿が栽培されています。

 毎年、4月初めに、「ツバキ園」の一般公開が行われますが、私も妻とともに、申込抽選をクリアして、4月2日に訪れることができました。

 きれいな事務棟・研修棟に集合すると、会社の社員さんたちが、受付・案内をされ、グループごとにガイドについていただくという、大変手厚い体制で迎えていただきます。会社として、社会貢献活動に力を入れていることが、よくわかります。

 「ツバキ園」は、南側の山の斜面に展開しており、椿の木々の合間を、結構、急こう配な、つづら折りの道を上っていくので、ちょっとしたハイキングのような感じです。

 見学時間は、概ね1時間程度で、最初の30分は、ガイドの方に説明いただきながら進み、後の30分は、道なりに、自由に歩いてもらう「行程」です。

 ところどころのポイントには、社員が待機しておられ、適宜説明してもらえるという至せり尽くせりのツアーとなっています。

 それぞれの木には、きちんと品種名が明示されており、特徴などを示す丁寧な説明板も数多く設置され、いかにも「研究施設」らしい特色があります。

 それにしても、山全面に植えられた椿のボリュームには圧倒されます。

 私の好きな「古典種」の数々、そして、ここでしか見られない希少種を多く見ることができ、感動しましたが、全容は、この一時間では、とても見きれるものではありません。

 ごく一部ですが、素晴らしい椿の数々をご紹介します。

2 「ツバキ園」の椿の数々

 「大黒天」です。 「倶利伽羅」です。 「宰府」です。 

6.3.31撮影

「日暮し」です。 「草紙洗」です。鈴鹿の関」です。 「福娘」です。 「八坂」です。 「染川」です。

(6.3.31追記)

 昨年に引き続き、「観椿」ツアーに参加。府立植物園と同様に、今年は開花が遅れているみたいで、花盛りという椿はほとんどなかったのですが、咲く数が限られながらも、魅力的な花姿を見せてくれた椿をご紹介します。

〇 ナショナルコレクション認定品種より

「黄芯」です。

 桃色とのコントラストが美しいですね。綺麗な黄色一色の蕊です。

 「小雀」です。小鳥が飛んでいるようなシルエットです。

 「伏見の雪」

 「久婦須川」です。

 「群獅子」です。特異な花弁の持ち主です。

〇 古品種からいくつか

 「加茂川」です。写真がボケてしまいましたが、この日、一番清らかで、端正だった椿です。

 「王昭君」ですね。気品ある桃色のグラデーションです。

 「寒陽袋」です。

 「擬雪」です。

 「白玉絞」です。

 「仏蘭西白」です。

3 「ツバキ園」の沿革

 「ツバキ園」は、昭和31年に、6代目の武田長兵衛社長が、ハワイで立派な椿園を見学した際に、園主から「ユキツバキ」を所望されたことがきっかけとなったようです。

 日本の誇るべき椿の原種でありながら、本格的な調査も行われていなかった「ユキツバキ」の種の保存のための収集が始まり、北陸の山に自生していたもの、寺社や民家の庭に植えられていたものが、園に運ばれてきました。これとあわせて、藪椿や古典種へと収集の範囲が広がっていったようです。

 戦後の、食べることに精一杯で、椿どころではないというときに、失われていった椿も多くあったらしく、社長もそれを惜しんでいたということです。

 そんなことから、戦後復興から高度成長に伴って、宅地開発が進められた際に、伐採される寸前であった、京都の名木のシェルターの役割も果たし、伏見桃山の銘椿も、この時に救われたものが多くあったようです。

https://www.kyogurashi-neko.com/entry/momoyama

4 「ナショナルコレクション」認定第1号

 この「ツバキ園」は、椿を文化財、遺伝資源として守り、後世に伝える価値の高いコレクションを有しているとして、日本植物園協会認定の「ナショナルコレクション」の第一号に選定されています。

 園内の椿について、138種が新品種と認定され、うち121種が「基準木」となっています。

 椿は、交配や枝替わりによる変異が大きく、数多くの品種が産み出されていますが、それだけに、系統立てた品種整理が難しいところがあります。また、古い栽培品種で、いつの間にか、消滅してしまったものも数多くあります。

 日本原産の代表的な園芸品種で、私たちの文化や生活に身近な椿が、学術的にもきちんと位置付けられ、守り、伝えられるようにする、素晴らしい制度だと思いますね。

 ナショナルコレクションには、他にも、「中部の椿品種コレクション」と「江戸椿を中心とする国営武蔵丘陵森林公園のツバキコレクション」が認定されています。

         

 京都にあるツバキ園ならではの取組です。大徳寺や尼門跡の寺にも、ぜひ広げていただきたいですね。

 (6.3.31追記)

 この椿は、仁和寺の銘椿らしいです。機会があれば確認してみます。

 これは、「百毫寺」の「五色椿」の別名ですね。

 当然のことですが、雰囲気もよく似ています。

認定番号001

武田薬品京都薬用植物園命名ツバキ品種群

Camellia cultivars named by Takeda Garden
for Medicinal Plant Conservation, Kyoto

認定日:2018年6月19日、認定期間:2018年6月19日~2023年6月18日

江戸時代のツバキの園芸化は、ヤブツバキとユキツバキの両種が自生し、幅広い変異が見られる北陸産によるところが大きい。これらは高度成長期に消滅の危機に瀕していたが、申請者によって1956 年より調査、収集が行われ、138品種が新品種として命名された。コレクションは、命名された新品種のうち現存する121品種の基準木である。http://www.syokubutsuen-kyokai.jp/nc/collection/detail.php?id=001

5 レトロでシックな「迎賓資料館」

 帰路、「迎賓資料館」を見学しました。

 この建物は、明治の代表的な建築家、野口孫市氏(1869~1915)の設計により、神戸市東灘区住吉本町に、明治41年(1908年)に竣工した、住友銀行初代頭取の田辺貞吉氏の住宅を移築し、再生したものです。

 19世紀のイギリスの一戸建郊外住宅で流行した「クイーン・アン」方式※をベースに、和風の要素も取り入れた洋風の木造住宅でしたが、阪神淡路大震災によって毀損して、取り壊しされそうになり、建築学会など各界から、保存の要望の声が上がり、武田薬品工業株式会社が一肌脱いで、貴重な近代建築の遺産として継承してくれたということです。

※19世紀後期にイギリスの建築家 R.ショーが,中世末期および近世初期の民家様式を復興してつくり上げた建築様式。中世風の凹凸の多い構成,ハーフティンバリング,シングル壁,張出し窓,チューダー式煙突,煉瓦壁など,イギリス人の好む伝統様式の魅力的な要素を巧みに利用している。アメリカ建築にも影響を与え,それによってさらに日本の明治・大正期の住宅建築にも影響を及ぼした。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より)

 再生に当たっては、可能な限り元の姿に復元しようと、腕と経験知識のある大工・職人を呼び寄せ、ウン億円の費用がかかったとお聞きしましたが、本当に価値あるものを残していただいたと思いますね。

 館内には、小磯良平画伯の描いた「薬用植物画譜」が掲示され、生薬の標本が展示されています。

(6.3.31追記)

 小磯良平画伯は、「武田薬報」の表紙の絵も手掛けています。

 画伯は、この1967年1月号の「南蛮カラスウリ」を一番気に入っておられたそうです。エロチックななまめかしさも感じますね。

 和様の混じる頃合いが心地よい空間です。

(6.3.31)ようやく咲き始めた桜が窓ガラス越しに見えます。

(6.3.31)灯もお洒落です。

 生物多様性の大切さの認識が広がっている中で、薬用植物園の意義と価値はこれからもより高くなっていくことでしょう。

 会社として、これからも、社会還元に力を入れ、園をより多くの人に知ってもらう機会を増やしていくとされているため、また、ぜひ、訪れたいと思います。

 北陸地方以外ではほとんど見られない「ユキツバキ」の大株を多く保有しているのも、この椿園の特徴とされているようです。いろいろと情報を仕入れつつ、巡るシーズンを楽しみにしたいと思います。