法金剛院は、JR花園駅の西、太秦・双ヶ岡の東南にある寺院です。
双ヶ岡は、京の市街地にぽっかりと浮かぶ浮島のような丘陵で、南東部に広がる太秦を拠点とした秦氏による古墳が多く築かれ、古の歴史を偲ばせる場所となっています。
平安時代には、周辺に貴族の別荘が多く築かれましたが、仁明天皇在位の朝廷で右大臣まで務めた清原夏野(782〜837)の山荘が、のちに寺へとあらためられ、その跡地に、鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子の発願により、法金剛院は1130年に建造されました。
国から特別名勝に指定されている庭園には、季節の花が多種植えられ、大池の蓮や、待賢門院にちなむ桜、紫陽花などが有名で、関西花の寺に、京都市内で唯一、名を連ねています。
コロナにより拝観が制限されていましたが、令和5年6月15日から、紫陽花や蓮の開花にあわせて、午前中の拝観が可能となっています。
あまり知られていませんが、椿の見所でもあるので、紫陽花と夏椿の鑑賞ついでに、椿探訪に出かけてきました。
1 法金剛院の特別名勝「浄土庭園」
法金剛院は、JR花園駅のすぐ近くでアクセスがよく、丸太町通に面したわかりやすい場所にあり、駐車場も付設され、行くには不便はありません。
これまで幾度となく、前を通っていたはずなのに、見過ごしていたのは、外からは、門構えも地味に見えるからかもしれません。
だから、境内に入ると、眼前に広がる光景に驚く人も多いでしょう。
北側には「五位山」を控え、滝の石組とそこから流れ入る大池が配置され、極楽浄土を模したといわれる「浄土庭園」が今に伝わっています。
池は、一面を蓮が覆い、法金剛院が別名「蓮の寺」と呼ばれるのもよくわかります。夏の早朝に大輪の蓮の花が群れ咲く形式は見ものでしょうが、残念ながら、まだその時期には早すぎたようです。
待賢門院は、作庭にも力を入れ、とりわけ「青女の滝」の石組は、庭造りの名手といわれた林賢と静意に腕を振るわせ、見事な出来栄えとなったとされています。
しかし、時の流れに、いつしか石組は土に埋もれ、大池は田畑に代わってしまいましたが、昭和43年(1968年)に発掘調査が行われ、滝石組が当時の姿のまま残っていたことが発見され、昭和45年(1970年)には、名園が整備・復元されました。
「青女の滝」と五位山などを含めて、昭和46年(1971年)には「法金剛院青女滝附五位山」として、国の特別名勝に指定されています。
特別名勝は、全国に36箇所しかなく、竜安寺石庭や苔寺、金閣・銀閣、大徳寺、天龍寺などの名だたる名称に並ぶ貴重なものということになります。
2 紫陽花と国宝・阿弥陀如来坐像
とょうど、紫陽花が美しい季節。本堂前に、色とりどりの花が咲いていました。
紫陽花は、綺麗だけれど、少し、湿っぽい感じが、個人的にはそれほど好きではないのですが、お寺の雰囲気にはよく合います。訪れた日は快晴でしたが、曇りの朝露がつきそうな日の方が、より鮮やかに色映えすることでしょう。
回廊を進んで仏殿に入ると、国宝の本尊・阿弥陀如来坐像に目を奪われます。
丈六の坐像なので、一丈六尺(4.8メートル)の半分というボリュームある像で、立派な蓮華座と光背をバックに、優美で荘厳なたたずまいは、いわゆる定朝様式の典型例の一つです。
平安時代末期の仏師・院覚によるとされる唯一の現存する作で、その出来上がりの見事さに、院覚は、鳥羽上皇から「法橋」の位を授けられたとされています。
火災や兵乱で堂宇が失われていく中で、本尊をはじめとする仏さまは、どこかで大切に守られてきたのでしょう。そのおかげで、900年前の歴史の重みを感じるお姿を今も拝むことができるのは、ありがたいことです。
地蔵院には、「金目地蔵」と呼ばれる、これまた、丈六の地蔵菩薩坐像が安置されています。地蔵にしては、えらく巨大で、ちょっと可笑しみを感じるくらいなので、御一見を。坐像の両脇を、それぞれ三体の地蔵菩薩立像が、分身の術のように並んでかためています。まさに「地蔵院」です。
3 法金剛院の椿たち
「法金剛院」のホームページには、四季の花の紹介では、椿(風折、黒椿)と記されています。
実際には、品種表示がされていない樹も含めて、相当数の椿が植栽されており、ご紹介するように、巨木も何本かあり、椿ファンにとっては、見逃せない場所だと思いますね。
「風折」は美しい品種なので、ちょっと見当たらなかったのが残念でしたが、目についた椿たちをご紹介します。
拝観受付のそばにある「加賀小絞」です。
「孔雀椿」です。
「あけぼの」です。
「五位山」の山手にあった椿の巨木。特に表示がなかったので、藪椿なのでしょう。
「酒呑童子」です。
「乙女椿」です。
「加茂本阿弥」ですね。
「五位山」側で、石のお地蔵さんたちが集まっているところに、「黒椿」の大木がありました。
「黒椿」は成長の緩やかな椿の中でも、遅い部類に入るので、この大きさには驚きました。「黒椿」なのか、黒みを帯びた藪椿のことなのか、開花時期に確認したいと思います。
お地蔵さんたちの守護木のような貫禄です。
令和6年も、黒椿の花を見ることが叶いませんでした。7月6日に「観蓮会」に訪れたときには、多くの実をつけていました。
「白朴半」です。
「夏椿」もあると聞いていましたが、園内に見つからず、受付の方にお聞きすると、「中門」前の、2~3メートルの高さのこの木が「夏椿」とのこと。
もう花は終わりと言っておられましたが、何とか一輪だけ残っていました。
夏椿は、あと2本あります。
一つは、黒椿の上の方です。
もう一本は、礼堂の廊下から見ることができました。まだ、わずかながら、花を付けていますね。
4 「観蓮会」
蓮は早朝でないと美しい姿を見られない。
ということで、令和6年7月6日、少し早起きして、「観蓮会」の初日に行ってまいりました。
「苑池」は一面の蓮。
一番心惹かれた蓮の花。
まるで桃のような可憐な姿です。同じ種類のものかは定かではありませんが、次第に綻んで花開くさまを想像しました。
待賢門院に仕えた待賢門院堀川の百人一首80番「ながゝらむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ」