真如堂に椿の古木を楽しむ。

 あけましておめでとうございます。

 本年も、京都の数多ある寺社仏閣を、椿を愛でながら、のんびりと巡ってまいります。

1 新年の真如堂

 令和5年1月7日(土)、今年初めての探訪は、真如堂です。

 真如堂は、正式には鈴聲山・真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、その本堂を表す「真如堂」が通称となっています。

 京都大学の東、吉田神社のある吉田山(神楽岡)の南麓にあり、白川通の市バス・錦林車庫前から西に、意外に,上り勾配のきつい道を8分ほど歩くと、真如堂塔頭が集まる高台のエリアへと出てきます。

 

 どっしりとした構えの総門です。神楽岡におられる神々が夜に参集される際に、邪魔にならないようにと、敷居を設けていないとのことです。

 

 真如堂は、永観2年(984年)に戒算上人が開創した、天台宗の寺院です。

 上人が、夢での阿弥陀如来のお告げにより、本尊となる阿弥陀如来像を比叡山から、東三条院離宮に安置したと伝えられています。

 この像は、慈覚大師円仁が造ったものとされ、完成したときに、修行者のための本尊としようと、大師が眉間に白毫を入れようとすると、阿弥陀様は頭を横に振られたため、ならばと、京へ行き、一切の衆生、とりわけ女性を救いたいと大師がおっしゃるとうなずかれたとの伝承があります。女性の信仰が篤いと言われる所以ですが、時代を先んじた、開明的な阿弥陀様ですね。

 東三条院藤原詮子)は、藤原道長の姉であり、円融天皇の女御、一条天皇の母ですが、道長と伊周との権力争いにおいて、一貫して道長を支援し、後の道長の栄華にも大いに貢献したとされている女性です。(「枕草子」の好きな私としては、伊周はともかくも、その妹の中宮定子の悲運が頭に浮かびます。)

 その後、応仁の乱足利義政、義昭、豊臣秀吉による移転の命により、本尊の安置場所や寺地は変遷をたどりましたが、元禄6年(1693年)に東山天皇の勅により、現在地に復したということです。

 応仁の乱の状況をリアルに今に伝える「真如堂縁起絵巻」は貴重かつ著名な重要文化財です。

 総門をくぐると、巨大な本堂を正面に、三重塔が右手に見えてきます。

 どちらもボリュームのある建物ですが、窮屈さを感じさせないくらい、開けた広い境内です。紅葉と青モミジが定番ですが、寒さの中、凛とした冬枯れの雰囲気も、またいいものです。

2 三重塔と椿

 三重塔周辺には、多くの椿がありました。まだ、蕾が固いものが多かったですが、いくつか早咲きのものも。

   少し色あせていますが、「吾妻絞り」と思われます。

 

(追記2023.4.1)

三重塔そばの手水舎には、優しい桃色の乙女椿、有楽椿が活けられていました。

3 庭園の有楽椿を見る

 本堂前の菩提樹です。葉が落ちていると、枝ぶりと幹の立派さがよくわかります。

 それにしても、実に堂々とした本堂です。この菩提樹も結構な巨木なのですが、そう見えないほどの、お堂の存在感があります。

 

 本堂で、拝観受付を行い、書院と2つの新しい庭園を見てきました。

 「涅槃の庭」は、1988年に作庭。中央の連石が、お釈迦様の涅槃の姿を表しています。写真の撮りようがうまくないためわかりづらいですが、借景の、大文字山比叡山などが、遠景での涅槃の姿を表すと、案内の方が仰っていました。

 この庭に、鎌倉時代の名燈籠があります。傍らに有楽椿が可憐な花を咲かせています。まだ、この燈籠と比べると役不足ですが、ポイントとなる場所での植木として抜擢されているので、年々、貫禄をつけて、燈籠とセットで語られる樹になってほしいと思います。

 

 「随縁の庭」の四つ目模様が斬新です。三井家の菩提寺らしい意匠ですね。

 

4 落ち葉の絨毯

 本堂裏手の庭には、モミジの落ち葉が一面に敷き詰められていました。枯葉といえど、紅葉の色合いがほんのりと残っています。まさに、絨毯ですね。

 庭の管理をする方も、洒落っ気をお見せになっています。西暦なのがモダンですね。

5 樹齢300年の椿の古木

 さて、今回の椿探訪のメインとなるものは、薬師堂と三井家の慰霊塔の間にある、この、古木・巨木でした。表示には、「散り椿」(仙椿)とあり、「現在の本堂が再建された300年前から在ったと推定される古木」と記されています。

 現本堂は、享保2年(1717年)に再建とありますので、まさに樹齢300年超えですね。年代を経た、威風堂々たる姿です。

 周囲に柵があるため、直接測ることができませんが、幹周は、150センチ以上あるのではないかと思われます。椿ならではの、古色蒼然たる幹は、歴史を感じさせます。割れや腐朽も特に見当たらず、四方に大きく枝を広げる、素晴らしい大木です。伝承が加わっていれば、著名な銘木になっていたのでしょうね。

 一輪だけ、咲いていました。

 「散り椿」といえば、五色八重散椿を連想させますが、この花を見る限りは、ちょっと違うかもしれません。ただ、藪椿とは異なるので、古来の園芸種だろうとは思います。また再訪して確認したいと思います。

(追記2023.4.1)

 

 

 境内には、ほかにも、大きな椿やサザンカが散在しています。

 新長谷寺にも、幹周70センチほどの椿がありました。先ほどの「散り椿」に次いで大きな椿です。

 

 

 定番、「五色八重散椿」です。

 広い境内には、特徴ある樹木も多くあります。

 本堂前南側にある「たてかわ桜」は、春日局が、父である、明智光秀重臣斎藤利三の菩提を弔うために植えたといわれています。樹皮に縦向きの皮目があるのが特徴です。本当に、松のようですね。伊勢湾台風で折れてしまった幹から、芽吹き、60年かけてここまで再生したということです。

(追記 2023.4.1)

 おいしそうで、体にもよさそうな実です。グミによく似ています。

 梅、桜、モミジをはじめ、椿はもちろん、多くの樹木・草木が植えられ、四季折々に楽しむことができます。

(追記2023.4.1)

 モミジの若葉が目にまぶしくなりました。

 今年も、桜のシーズンは終わりです。