「地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー」である「日本遺産」は、これまでに104地域が認定されています。その中でも、最上位のランクである「日本遺産プレミアム」に、令和6年7月、「御食国若狭と鯖街道~海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~」が、ただ一つ選ばれました。
地域の特性を活かした、ブランド化戦略による地域ぐるみの取組が、まちの再生とにぎわいにつながっており、地域活性化の目指すべきモデルとして高く評価されたようです。
若狭小浜は、古来より、海産物、塩をはじめとする豊かな食材を畿内へと運ぶ複数の「鯖街道」によって都と密接につながっており、大陸や半島の文化を伝えるとともに、都の文化がもたらされ、地域の伝統習俗とも融合するなど、多層的な文化交流によって、独特の文化圏を形成してきました。
小浜市内に今なお残る多くの寺社には、このような特徴的な歴史を今に伝える貴重な文化財が数多く遺されています。一日では、その一端に触れるくらいしかできないのですが、10月の秋晴れの日に、代表的な名跡を訪ね、古社では椿の古木に出会いました。
1 幽谷に建つ古刹「妙通寺」
JR東小浜駅から南東へ、松永川の谷筋を県道23号線をさかのぼっていくと山中に現れるのが、福井県唯一の国宝を有する明通寺です。
両脇に高い木立がそびえる急な石段を見上げると、どっしりとした木組みの山門が構えています。
鬱蒼とした樹々に囲まれて、苔むした参道を歩くと、谷川のせせらぎが聞こえ、深山幽谷の別世界に誘われたようです。
山門をくぐると、さらに石段が続き、その先に、国宝の本堂と三重塔が見えてきます。
明通寺は、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、蝦夷地の征討により命を落とした人たちを、敵味方問わず弔うために、815年に創建したと伝わります。
三度の大火に見舞われたため、創建当時の姿はとどめていないものの、鎌倉期に再建された檜皮葺の本堂と三重塔の洗練された姿には、抜群のロケーションもあって、思わず感嘆の声を上げてしまいました。
三重塔は、絶妙な勾配の軒の深い屋根と、三手先の組物や二軒繁垂木などの構造の美しさが際立っています。明治に一時、瓦屋根に付け替えられたらしいのですが、これは檜皮葺一択ですね。
本堂には、薬師如来が鎮座され、その両脇は、日光菩薩・月光菩薩ではなく、2.5mに及ぶ降三世明王、深沙大将の異形の二像が護る異例の配置となっているのも見ものです。その足元には、十二神将像がひしめいています。
薬師如来と脇侍は、いずれも、藤原時代の作とされ、特に、こんなに大きな深沙大将の像は極めて珍しいようです。変わりものの仏像が好きな方には見逃せないものですね。
降三世明王の足元を見ると、邪鬼ではなく、男女一体となった不思議な神様?を踏みつけています。この明王様が、過去・現在・未来の三世を統べていたシヴァ神とその妻を下して、仏教に改宗させたことを示しているのですが、踏まれている妻・烏摩は腕枕をして涼しい顔でうたた寝をしているようです。
本堂前には、大きくはないのですが、傘のように刈り込まれた椿が。本堂周りはほかに木が植えられず土面のままですので、この椿は意外と目立っています。石段から本堂を見上げてのベストショットを撮りたいときにもちょうど映り込む位置にあります。紅い花が咲くとのことで、本堂を背景にアクセントになるだろう椿です。
帰路、不動明王の安置される講堂にお参り。前庭には椿が並んでいましたが、これは白椿だそうです。
樹齢500年を超えるカヤの名木は、残念ながら令和2年末に枯れたようです。
2 羽賀寺の若狭一の美仏「十一面観音」
エンゼルラインのある内外海半島側から天ケ城トンネルを抜けると、急に視界が開け、山の合間を南北に田園地帯が広がります。
大規模な圃場整備によって整然とした区角割が続くこの辺りは、平安の末頃から荘園「国富荘」として発展し、東寺百合文書による荘園研究で有名な「平良荘」も近くにあります。
また、昭和39年に国内でコウノトリのひなが最後に誕生したところで、令和3年には、57年ぶりに再びひなが誕生したと話題になりました。
田園を横切るように、西側・天ケ城山の麓の集落に向かうと、山手に「羽賀寺」があります。この穏やかな里の山寺には、若狭一の別嬪さんの仏といわれる十一面観音さまがおられます。
寺伝では、鳳凰が舞い降りて羽を落としたという吉瑞を喜んだ元正天皇が、行基に開山を命じたとされる古いお寺です。
山腹に開かれた狭い台地へと高い石段を上っていくと、檜皮葺の本堂が静かに建っています。室町中期の再建で、鎌倉期の明通寺本堂よりも新しいのですが、あたりが昼でも蒼然としているので、むしろ古びた感じがします。でも、ここに、色鮮やかな仏様がおられるんですよね。
元正天皇をモデルにしたと伝えられる観音様は、10世紀初期のもの。
146センチと小ぶりで、彩色もよく残っています。評判通りの、美しい仏様で、また、「人間」に寄せているせいか、優しく親しみやすい感じがしましたね。脇には、毘沙門天と千手観音が立ち、お堂の後ろ側上段には、33体の観音様が並んでいます。
毘沙門天、千手観音、地蔵菩薩坐像は、12世紀後半のものですが、十一面観音さまよりも、こちらの方が痛みもあり古びています。鄙びた本堂の雰囲気にはマッチしていますが。
千年以上にもなるのに、観音さまの彩色がこれほど綺麗に残っている理由をお聞きしました。小浜は、比較的、戦乱が少なく、仏さまを保存環境のよくないところに移すことがあまりなかったこと、この像が造られたとされる貞観時代の顔料は高価で高品質のものが使われていたからではないかとのお話でした。
若狭小浜の探椿記その②に続く。