鎌倉の西、紅葉ケ谷の奥深くにある「瑞泉寺」は、嘉暦(かりゃく)2年(1327年)に、夢窓疎石が開創し、その庭園は、鎌倉において唯一、鎌倉時代のものが現存するものとして知られています。
この寺もまた「花の寺」として、梅、桜、紫陽花、酔芙蓉、シュウメイギク、スイセン等々、四季にわたり途絶えることなく花を楽しむことができ、椿も目立つことはありませんが、存在感を示しています。
鎌倉はコンパクトなまちなので、どこへでも歩いていくのはそれほど苦労はないのですが、この「瑞泉寺」は鎌倉駅から3km弱あるので、自転車だと快適です。
金沢街道を途中から岐れて、谷筋への道を進むと、次第に道幅が狭くなり、突き当りに「瑞泉寺」の総門へとたどり着きます。
門をくぐると、景色は一変し、「深山幽谷」の世界に誘われた感がありました。
人の姿が見えず、葉のざわめきと、鳥のさえずりが聞こえる中、苔むした階段道を上ります。
左が急な「男坂」、右がややゆるやかな「女坂」。
山門の向こう、本堂を、多種の樹々が植えられた前庭が囲んでいます。
時刻は15時、背景となる錦屏山を、午後の陽光が照らしています。
吉田松陰もここを訪れたのですね。伯父が瑞泉寺住職だったそうです。
サザンカがやさしく寄り添うように枝を伸ばす、「吉野秀雄歌碑」
"死をいとひ生をもおそれぬ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ"
本堂(仏殿)です。この後ろに、岩の庭園があります。
花弁が退化した古来品種の梅。なかなかこのような大木にはならないようです。
本堂の奥側に廻ると、「瑞泉寺庭園」が眼前に現れます。
これは実に印象に残る、インパクトのあるお庭ですね。
正面を、岩盤の露出している、屏風のような山肌が扇形に囲み、そこに、横穴が穿たれ、底面には、池が掘られる・・・起伏にとんだ岩山彫刻に思わず引き込まれました。
この大きな洞窟は「天女洞」と呼ばれ、実際に、座禅の場として使われていたといいます。
鎌倉は、「鎌倉石」のように加工しやすい凝灰岩の地層が多く、土地の狭さもあって、墓地や廟として洞窟を穿つ「やぐら」が集中して存在しており、山に穿たれた穴を至るところで見ました。
「やぐら」と用途は異なるとはいえ、地形と地質の特徴を活かした鎌倉らしい光景だと思いました。
貝
池に架かる橋から、急な崖を登るように階段が続き、十八回曲がって山の頂に至ると、そこには、「偏界一覧亭」と名付けられた小亭が建てられているそうです。その名のごとく、亭からは、正面には富士山が、左には相模灘、鎌倉の街並みが広がるといいます。
さすがに作庭の名手でもある夢窓疎石が選んだ場所だけに、まさに絶景なのでしょうが、残念ながら立ち入ることはできません。
錦屏山と一体となったこの雄大な庭園も、昭和45年に発掘されるまでは、すっかり荒れ、埋没してしまっていたそうです。
初代鎌倉公方・足利基氏が夢窓疎石に帰依し、鎌倉公方の菩提寺として敬われてきた「瑞泉寺」も、将軍の座をうかがおうとした4代目公方の足利持氏が敗死し、鎌倉府の衰退に伴い、寺も廃れていく中で、この名園もいつしか埋もれていたようです。
でも、かえってその結果、当初の形状がそのまま残され復元できたともいえるのでしょう。
前庭をゆっくりと歩くうちに見つけた椿たちです。
紅葉の時候は、さぞ美しかったでしょうね。
帰りは、梅園を通っていきました。
少し、奥地にあり、交通の便は決してよいとはいえませんが、この庭園は足を運ぶ価値があると思いました。俗界を離れた静けさを好む人にとっては、なお、おすすめです。
鎌倉近郊の方は、四季の様々な姿を身近に、気軽に見ることができてうらやましいですね。遠方からの人にとっては、ピンポイントのタイミングになってしまいますし。
そこが、その地に住む利で当然といえば当然なのですが。