八幡市のもみじ寺「善法律寺」の椿

 10月に、八幡市名刹正法寺」と古椿を紹介しましたが、

八幡市の古刹「正法寺」~お亀の方と同時代?の樹齢400年の古椿 - 京で椿を楽しむセカンドライフ

その「正法寺」から750メートルほど東高野街道を北に行くと、左手に「善法律寺」の風雅な高麗門と樹々に囲まれたいかにも趣ある雰囲気の漂う境内が見えてきます。

 100本以上のモミジが立ち並ぶ「善法律寺」は、紅葉の名所として知られ、この時期に合わせて、夜間ライトアップと本堂の公開も行われます。

 令和6年11月24日、八幡市「秋の文化財一斉公開」の日に「善法律寺」を訪れ、色づくモミジを味わうとともに、個性的な仏像を拝観し、また、存在感ある椿も楽しむことができました。

1 もみじ寺「善法律寺」

 

 「善法律寺」は、鎌倉時代の正嘉年間(1257~59)に、石清水八幡宮の第27代検校の善法寺宮清が邸宅をお寺として開山したものです。

 この宮清のひ孫となる紀良子が、二代目足利将軍義詮の側室として、三代目将軍義満の母となりました。善法寺家は、まさに足利将軍の嫡流とつながっていたため、その菩提寺である「善法律寺」は足利家の手厚い庇護を受けたのもよくわかりますね。実際、義満・義教・義政と、歴代の将軍が参詣を重ねた記録が残ります。

 江戸時代に変わっても、「正法寺」のお亀の方の御威光で、八幡のまちが不輸不入の特権を享受するなど「宗教都市」として栄えていたことから、「善法律寺」の寺勢は、衰退することなく続いたようです。

 良子は、紅葉好きで、多くの紅葉の樹を寄進したとされ、秋に色づく紅葉の素晴らしさから、「善法律寺」は、いつしか「もみじ寺」とも呼ばれるようになりました。

 今年は、猛暑が続き、秋の入りが遅かったため、全体としては、まだ「色づく」程度の紅葉でしたが、風情は感じることができました。

書院の円窓からの紅葉

2 八幡ならではの特色ある仏像

 折角の特別拝観なので、本堂にお参りさせていただきましたが、これが大正解。

 いろいろと珍しい仏さまたちにお会いできました。

 仏さまがヴァラエティに富んでいるのは、お寺にもともとおられた仏さまだけではなく、明治の混乱期に、石清水八幡宮から避難された仏さまもおられるためです。

 本堂内陣の高御座に鎮座される本尊の八幡大菩薩像は、かつては石清水八幡宮に祀られていました。古く平安時代の作で、地蔵菩薩像だったものが、神仏習合が進む中で、八幡大菩薩として信仰されるようになったといわれ、神仏分離令でストレートに「撤去」を命ぜられてしまいました。善法律寺の、もともとの本尊が「僧形八幡画像」だったため、この八幡大菩薩像を新たにご本尊にお迎えしたそうです。

 また、阿弥陀堂にある南北朝期の作といわれる宝冠阿弥陀如来像も、石清水八幡宮頓宮にあった極楽寺が、鳥羽伏見の戦いで焼失した時に、辛くも運び出されて、当寺に移されたものと伝わります。

 数ある仏像の中では、この宝冠阿弥陀如来像と八幡大菩薩の脇仏である愛染明王像が心惹かれました。

 密教仏である宝冠阿弥陀如来は、あまり作例のない貴重なものですが、繊細・端正な造りと、真理を極めようとされている静謐なお姿に、尊さを感じました。

 八幡大菩薩の脇仏である愛染明王像は、獅子の冠を戴いて、蓮華の台座に座っておられます。結構大柄で、この大きさのものは珍しいそうです。鎌倉時代の作とされ、表情がどこか生身の人に近しい感じがします。恋愛も司る仏で、弓と矢をお持ちなので、キューピッドと同じく恋心を起こさせるのかと思いましたが、人の邪な心を射抜いて導くということらしいです。

3 善法律寺の椿

 寺の門のまっすぐ先にある御朱印状の記帳所の手前の右手側に、大きな単幹の椿がそびえ立っています。幹周が85センチある、なかなか立派な椿です。

 本堂の案内をしていただいているボランティアの方々も、この椿の場所をご存じなく、たまたま通りかかったご住職が、「ああ、あの椿ね。」と教えてくださいました。

 幹の後ろ側を見ると、立ち上がりから1メートルほど腐朽を補修材で埋める処置がされていましたが、見たところ、樹勢が衰えているようには感じませんでした。

 この椿のそばにもう一本大きな椿が、また、境内の外回りの林には、多くの藪椿が見られました。

 このお寺の境内は、いつでも開放されています。来春には、石清水八幡宮の花見もかねて、椿の咲き具合を見てみたいと思っています。