京都から河内を南北に縦断する「東高野街道」は、高野山詣のルートの一つとして、古くから人々の往来で賑わっていました。
起点となる八幡・石清水八幡宮のある男山の東山麓は、門前町として栄え、街道沿いには、今も多くの社寺や道標、古民家などが点在し、往時の面影が残っています。
「正法寺」は、この門前町の南にある八幡市の名刹の一つで、江戸時代前期の本堂、方丈などが、ほぼ当時の姿をとどめており、豪華な彩色・装飾が見事な本堂の内陣や、丈六の立派な阿弥陀さま、また、名勝指定の庭園や、樹齢400年以上とされる藪椿の古木もあり、見どころの多いお寺です。
1 「正法寺」のきらびやかな本堂内陣
「正法寺」は、普段は非公開ですが、年に何回か特別拝観の機会が設けられています。
令和6年10月20日の日曜日、ようやく秋の兆しが感じられる日和の中、東高野街道を車で南へと進みました。
神原交差点を過ぎるとすぐ右手に「正法寺」の案内がありますので、右折して門をくぐって真っ直ぐ進み、正面に、格好の良い「唐門」を見ながら、左手に曲がると駐車場があります。
特別拝観の受付を済まし、ボランティアのガイドさんに案内していただきました。
「正法寺」は、建久2年(1191)に、鎌倉幕府の御家人・高田氏(のちに「志水氏」に改姓)によって開創され、一族の菩提寺となりました。
今の伽藍が整ったのは、晩年の家康の側室で、尾張徳川家の始祖となった義直を生んだ「お亀の方(出家後は「相応院」と名乗る。)の寄進によるものです。
「お亀の方」の出自は、諸説あるようですが、志水氏の一族に連なるという縁もあって、「正法寺」は「相応院」の菩提寺となり、尾張藩の厚い庇護を受けてきました。
方丈前に広がる庭です。鐘楼が見えます。
10月の名月が映る手水鉢。「お亀の方」にちなむ形をしていますね。
庭の真ん中正面の「唐門」です。高貴な客はこちらからお出ましに。
方丈から、廊下を渡って本堂へと。金色の金具が光る軒先に目を奪われます。
これは、「逆輪(さかわ)」と呼ばれるもの。
750本に及ぶ二段の垂木すべてを飾り、見上げると、列をなすさまは壮麗です。
なかなか他所では見られないものだそうです。
本堂の中に入ると、内陣に、本尊の阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の三尊像が安置されていますが、何より、極楽浄土を現わす内陣の彩色や装飾がきらびやかで驚きます。
流石にバックについているのが御三家の筆頭ですね。
柱や梁にも、あまねく画や文様が描かれ、折り上げ格天井から左右に垂れる瓔珞、頭上に架かる人天蓋には、装飾品が鈴なりで、和様アクセサリーの見本市のようです。
仕上がった当時は、さぞ豪華絢爛で目もくらむようだったろうと想像しますが、400年あまり過ぎて、経年変化によって、よい塩梅の落ち着き具合となっています。
方丈裏手の「小方丈」、「書院」から眺める、京都府指定名勝の庭園です。
境内に新たに建てられた「法雲殿」には、堂々とした、見るからに法力のありそうな阿弥陀様がおられました。
座高が2.8メートル、13体の仏様がおられる光背が4.8メートルもある迫力ある坐像です。
こんなに大きいのですが、均整の取れた、格調の高い美しさがあり、思わず手を合わせました。
快慶作と伝えられているのもわかります。
もともとは、石清水八幡宮の坊の一つであった「八角堂」の本尊だったのですが、廃仏毀釈の混乱の中、「正法寺」に引き取られてきたとのことです。
2 樹齢400年の藪椿
本堂の後ろに回ると、「お亀の方」の菩提塔がある高台に、藪椿の巨木が一本立っています。
表示などはありませんが、ガイドの方からも説明がありましたので、地元では有名な椿なのでしょう。
灰白色の、いかにも年経た椿らしい幹が美しい。
樹齢400年というのは、本堂が建てられた時と同じくするくらいの古椿ということだと思いますが、もしかすると「お亀の方」も、この椿を愛でていたのかもしれません。
以前の写真を見ると、もっと大きな樹容だったようですが、だいぶ刈り込まれたようでしたね。
石垣の縁にあるので、そんなに良い生育条件ではないと思いますが、樹勢が弱っているようには見えませんでした。
方丈前庭園にあった古松は枯れてしまったようですが、この椿は裏手にあるものの、お寺のシンボルツリーになりうると思いますので、長生きしてほしいものです。
方丈前庭園の椿たち。
3 「お亀の方」あれこれ
これまで「お亀の方」のことを知らなかったのですが、大変に聡明で、細かい気遣いと大局観もあわせもつ、なかなか魅力的な方だったようです。
行水していた子供をたらいごと運んだたくましさに、家康が見初めたという伝承がありますが、「お亀の方」が、息子・義直の側室を選んだ時の決め手となったエピソードに似たような話があって、それが「お亀の方」のこととして伝わったのかもしれません。
家柄のハンデがありながら、息子を盛り立てて、尾張藩の基盤づくりに尽くした手腕は並みのものではなかったと思います。
また、出身の八幡のまちを守るため、松花堂昭乗らに協力して、八幡神領の保護にも力を発揮したとも伝えられています。
「お亀の方」の風貌は、義直の描いた肖像画でうかがい知ることができます。
ふくよかで、懐深いが、果断さも感じられます。
さらりと描かれていますが、上手いですね。義直は、儒学に傾倒し、学問を好んだらしいのですが、絵心もある方だったようですね。
生母お亀の方|浄土宗 宝亀山 相応寺|生母お亀の方菩提寺|名古屋市千種区城山町
11月には、八幡のもう一つの名刹「善法律寺」の特別公開があります。
楓で有名なお寺ですが、椿もいくつか見るべきものがあるようです。
楽しみに訪問したいと思います。