松江「八重垣神社」の連理玉椿と「阿太加夜神社」「揖屋神社」の椿を訪ねる

 東海、近畿、中国地方に記録的な大雨をもたらした台風7号。襲来直前の土日に、松江と出雲を訪れてきたのですが、往路の特急「スーパー白兎」沿線の地域がこの台風の直撃を受け、大きな被害が出てしまいました。被災された方々に、お見舞い申し上げます。

 歴史あるまち・松江は、市の花が椿であることからもわかるように、椿は、松江の文化と暮らしに根付き、今でも、市内各所に古木、名木が残っています。茶道の盛んなところ椿ありですが、高名な大名茶人の松平不昧公の治めた城下町らしく、椿は広く親しまれ、松江ならではの名花も数多くあります。

 2日間の旅程の合間を縫ってのことでしたので、今回は、神社を中心に、古木、巨木を巡ることにしました。できるだけ効率的に回るよう思案していたものの、知らぬ土地ゆえの時間ロスもあり、想定の半分程度しか訪れることができませんでしたが、それでも、いろいろと椿を楽しむことができました。

 初日は、松江市の東南部にある由緒ある神社の椿を訪れました。

1 八重垣神社の連理玉椿

 八重垣神社は、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊稲田姫と夫婦になり、この地を宮居とされたと伝わる古社で、このお二方を祭神とし、縁結びの神社として名高いところです。私が訪れたときも、参拝の方が結構おられました。

 JR松江駅から車で11分、道筋もわかりやすく、神社には大きな駐車場もあり、車が便利です。

 

 神話の伝承を持つ神社だけに、雰囲気がありますね。

 

 

 伝承の地にふさわしく、椿も夫婦和合の象徴とされる連理のものが3本もありました。

 まずは、正面鳥居の体面に、小高く石垣で囲われた、ひときわ大きな立派な椿か、有名な「連理玉椿」です。

 稲田姫命が立てられた日本の椿が芽吹き、一体化したとの伝説を持つ椿で、もちろん神代の時代からあるわけではありませんが、太い幹と枝張りは伝説にふさわしい風格があり、樹齢はおよそ300年になるといいます。

 傘のように四方に広がる姿も形よく、八重垣神社のシンボルツリーである名木です。

 ところで、この「一体化」はかなり極まっていて、最初見たときは、どこが連理なのかよくわかりませんでした。神官の方にうかがうと、「根元をよく見ていただくとわかります」とのことでしたので、もう一度見直してみると、確かに、二本の幹が合体したと思われるところに、亀裂のように切れ込む皴状の跡が見え、木肌の色合いも異なっているなど、「融合」前の名残がありました。

 まれに、二葉の葉が現れるとのことで、葉っぱまでもが融合しているということですね。

 この椿の説明板には、資生堂との縁について記載されています。資生堂の銀座創業地は江戸時代に松江藩が整備したこと、社運の隆盛にあたって出雲大社のご利益があり、今も参拝を欠かさないなど、出雲・松江との関係は深いようですね。

 出雲大社の老舗旅館が実家である竹内まりやが、資生堂化粧品1980年春のキャンペーンソング「不思議なピーチパイ」をヒットさせたのも縁の一つなのでしょう。

 資生堂のシンボルマークである「花椿」ですが、これをデザインした初代福原社長は、八重垣神社の伝承と「連理玉椿」のいわれに感銘を受けて遷宮の際にも寄進されたとのつながりもあって、様々な御縁から、この椿が、「花椿」マークのモデルになったのではないかとも言われています。

 境内に入り、拝殿の左手には、連理の乙女椿があります。幹が二股になった形状をしています。

 さらに、奥の院へと、「佐久佐女の森」に向かう道筋に、連理の藪椿があります。幹回り1メートル近くありそうな二本の椿が、地上2メートル付近で幹が癒合しています。

 今まで、京都の社寺を訪れる中で、見落としていたのかもしれませんが、連理の椿はあまり記憶にありません。

 この神社の霊域だからこそ、稀な連理が見られるのならば、「連理玉椿」の見事なまでの一体化は、大変貴重なものだろうと思いました。

稲田姫が八岐大蛇から身を隠している間に、鏡の代わりに姿を映したと伝えられる「鏡の池」です。半紙に小銭を乗せて、良縁を占うというスポットです。

素戔嗚尊は、大杉の回りに「八重垣」を囲い、稲田姫を匿ったと伝えられています。

2 阿太加夜神社の御神木と椿

 八重垣神社を出て、東に、「阿太加夜神社」を訪れました。

 国道9号線を意宇川を渡ると鳥居が見えてきますので、それを目印に、下をくぐっていきます。

 この付近の地名は「出雲郷」と書いて、「あだかえ」と読む、高難読地名ですが、神社の主祭神である「阿陀加夜怒志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめのみこと)」にちなんだものでしょうか。

 ところで、京都、賀茂川の西岸には、出雲地方から移住した出雲氏が、飛鳥時代から奈良時代にかけて繁栄したとされ、今も、賀茂街道沿いに「出雲路橋」をはじめ、出雲を冠する地名が連なっています。

 「出雲郷」の地名は今はありませんが、正倉院古文書に、山背国愛宕郡出雲郷の計帳断簡が残されているとのことで、当時は「あだかえ」と呼ばれていたのかもしれません。京都と出雲の関りもいろいろ面白いものがありそうです。

 「阿太加夜神社」は、天平5年(733年)の出雲国風土記に記載される古社で、大阪の天神祭り、厳島神社の管弦祭とともに、日本三大船神事の一つである「ホーランエンヤ」が有名です。松江城の城山稲荷神社の御神輿を、宍道湖から大橋川を渡って中海へ、中海から意宇川を上って、「阿太加夜神社」へと、そしてまた、逆ルートで、100艘に及ぶ色とりどりの船団が往復して運ぶという、10年に一度の大祭で、400年近くの歴史があります。

 私が訪れた昼下がり、強烈な夏の日差しに照らされ、暑さもひとしおでしたが、しんと静まり返る境内を歩くと、不思議と暑さがそんなに気にならなくなりました。

 この神社には、二本の御神木が並んで立っていますが、右側の、藁蛇が巻かれたタブノキの巨木の幹に、椿が生え出たように一体化しています。たまたま、御神木のたもとに芽吹き、育つうちに、連理のような状態になったようです。

 御神木と同体となっているので、椿も若木にして、神が宿る木として崇められているのでしょう。椿の実も、神のパワーを帯びているかもしれません。

 御神木の後ろに、ホーランエンヤの船が見えます。

 社叢にも、椿の古木を見ることができました。

 境内には、連理の榊もありました。八重垣神社からの流れがつづいているのかな。

今回訪れた神社の狛犬は、子持ちが多かったですね。

3 揖屋神社の大椿

 続いて、JR山陰本線揖屋駅」近くにある揖屋神社を訪ねました。

 揖屋神社も、日本書紀出雲国風土記に記載されている古社で、主祭神イザナミノミコトです。

 揖屋神社の東方には、亡きイザナミを追って黄泉の国へと入ったイザナギが、約束を違えて、変わり果てたイザナミの姿を見てしまい、怒ったイザナギからかろうじて逃げ帰ったという神話における、この世とあの世との境界とされる「黄泉比良坂」があり、神社の古名は、黄泉の国と関係がある名前というように、少し、おどろおどろしい印象がありますが、閑静で、古式豊かな神社です。

 立派な注連縄のかかった門を入ると、境内が開け、左手に、拝殿と一段高く大社造りの本殿が鎮座していました。拝殿の横に御仮殿が設えられており、本殿の屋根改修工事が行われ、令和7年5月に正遷座祭を斎行すると記されていました。

 

 境内奥の方にある稲荷神社の鳥居の脇に、灰白色の幹が美しい大椿がありました。

 「松江つばきマップ」によると、樹齢300~400年に及ぶもので、緋紅色の小中輪花が咲くと記されています。価値のある古木と思いますが、案内板もなく、地元の人にしか知られず、静かに立っているという感じです。

 この時期ですので、花の代わりに、紅く色づいた椿の実がたくさん生っていました。まだまだ元気そうでしたが、根元まで参道のコンクリートが敷かれているので、影響がなければと思いました。

 やはり年期を経た椿は、何とも言えない迫力と貫禄がありますね。

 参道を上がっていくと、他の木と連理になっていそうな椿や、鳥居横の大椿には及ばないものの古木もありました。

 次回、松江城の椿谷に続く。