1 凍てつく寒さの中、梅宮大社を参詣
京都も、強烈なクリスマス寒波で、今週は最低気温が氷点下の日が続きました。
この寒さの中、神苑に、椿が多数あると聞く、梅宮大社を訪れました。天気はよいのですが、放射冷却もあり、朝の9時過ぎだと、実に寒い。
梅宮大社は、聖武天皇の時代、痘瘡の流行で、藤原四兄弟をはじめ高官が相次いで死去する中、右大臣として政治を担った橘諸兄の母・県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)が、綴喜郡井手町にあったとされる井手寺に、橘氏の氏神としてお祀りしたのが創始と伝えられています。
その後、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちし)によって、現在の神域に移され今に至るとされているので、およそ1200年にわたって、この地で崇敬されてきた大社です。
5月3日に、子供神輿16基・大神輿が氏子地区を巡行する「御幸祭」が有名ですね。
堂々たる構えの「随身門」。
日本書紀によると、大社の祭神である「大山祇神」は、娘の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を安産されたことを喜び、狭名田の茂穂で「天甜酒」(あめのたむざけ)を造り、祝われたとされています。
これが酒造のはじまりであるとして、大山祇神を酒解神(さかとけのかみ)、 木花咲耶姫命を酒解子神と呼んで、造酒の祖神としています。
このため、有名どころの酒造会社の酒樽が並んでおり、目を引きます。
檜皮葺の重厚で落ち着いた雰囲気の本殿です。狛犬が子犬のように小さいのが面白かったですね。
2 神苑を散策
神苑は、東門から入ります。下の写真は、神苑側から撮っているので、門の向こう側から神苑に入るということになります。
東門正面の「咲耶池」と茶室「池中亭」です。いかにも冬らしい雰囲気で、オフシーズン感があります。
3 神苑の椿たち
椿は、西神苑を中心としながら、全域に散在しています。品種は、50種類あまりあるそうです。
先日行った、城南宮の神苑(城南宮の神苑で、秋咲きの椿を楽しむ - 京で椿を楽しむセカンドライフ)と比べると、大樹が多く、樹形を整えるというよりは、自然に任せて伸ばしているという印象です。
雑木林的な「野性味」があるのが特徴です。
いくつか、開花しているものがありましたので、ご紹介します。
「咲耶池」のほとりに咲いていた大輪の椿です。
花弁がこのように三角状で、両縁がくっきりと折れ曲がるのは、珍しいのではないでしょうか。他の花もこのような形状で、枝変わりという訳でもないようです。
「初嵐」。波打つ花弁が優雅です。
「花車」だと思います。中央部の花弁が立ち上がり、いわゆる二段咲を見せてくれています。
今日見た花の中で、一番気に入ったものです。
本来とは変わったバージョンなのでしょうが、雄蕊と花弁が混じった面白い造形です。
最初は、「日光」かと思いましたが、それにしては開花が早すぎる気もしますね。
(私の家の日光も、早い花は咲き始めたので、そうではないかも。)
唐子部分が少し緩やかなところがあり、「赤腰蓑」にも似ています。「赤腰蓑」は極早咲きで、開花時期とも符合します。
ともかくも、唐子咲は、好き嫌いがあるかもしれませんが、魅力的で、椿のヴァリエーションを豊かにしてくれるものです。
写真ではわかりづらいですが、黒みを帯びた美しい色合いの椿でした。
これらの椿は、西神苑の梅苑の傍にあります。
綺麗な吹き掛け絞です。
可憐なサザンカです。
巨木ではありませんが、力強さと年期を感じさせる、存在感ある椿です。こういう樹形に魅かれますね。
4 寒さに縮こまる猫、そのほか
「咲耶池」の南側は、氷結していました。降雪の名残もあります。
大社の飼い猫たちも寒そうなポーズです。
「随身門」を入ってすぐ右手に、迫力ある五葉松があります。幹周1.9メートル、高さ6.5メートルあり、右京区民の誇りの木の一つに選定されています。
きれいな樹形ですね。相当な樹齢と思いますが、何方かのお手植えのような伝承があるのでしょうか。
5 訪問後記
私と嫁さんとが、神苑を巡っていたときに、ほかに神苑にいた人は2~3人で、ほぼ貸し切り状態でした。
私としては、これほど多くの、しかも大きな椿があるとは思っておりませんでしたので、喜々として巡らせていただきました。
大社のある「右京区・梅津」の地は、平安時代には、貴族の別荘が多く造営されたところであり、神苑の由来ははっきりとは伝わっていないようですが、このような歴史的背景があるのを知ると、各所巡りも一層楽しくなります。
梅宮大社は、その名の通り、梅が有名ですが、椿の開花とも重なるので、また、訪れたいと思っています。
「梅津の歴史」 編集・発行:梅津まちづくり委員会 より
梅津は、古来より北桑田郡から桂川によって運搬される材木の揚陸地(津= 湊みなと)として知られる。平安中期まで木材の集散地として発展してきた梅津は、道路、車人夫等の施設やシステムも完備し、次第に一般港としての機能を果たすようになってきた。平安後期には、京都西南部の外港として山陽、西海、南海の諸道を往復する者の乗船地となった。
このように交通の要衝となるに従って、貴族の山荘が多く設けられるようになった。中でも有名なのは、藤原忠通が 1161 年(永歴二年)に移築した山荘・梅津殿である。また、金葉集巻三秋部に源師賢朝臣の“梅津の山荘に人々まかりて田家秋風といえる”を詠める。「夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く」 大納言源経信とあり、この歌は、小倉百人一首にも所収せられてあり、有名である。
6 追記(2024.2.17&2.23)
2月とも思えない温かさとなり、梅の見ごろも早くなるのではないかと、一年ぶりに再訪しました。
遅咲きの梅がメインということもあり、全域が同時に満開という訳ではなく、咲き具合にグラデーションがあるので、訪れた時期それぞれの彩りを楽しめます。
冬枯れの景色から、目にも美しい桃と白の花が加わると一気に華やぎますね。
月並みな表現ですが、馥郁たる梅の上品な香りが漂い、春も近いことを実感します。
随身門を入りすぐ左手、社務所の南側に、二本の椿の大木が並んで立っていますが、数輪の花が咲き始めていました。中大輪の明るい赤の花弁と、長めの太い蕊の黄色が、濃緑の葉の間にひときわ鮮やかです。
随身門の右手の磐座のそばに立つ有楽椿と紅梅がちょうど花の盛りでした。落ち椿とあわせて、桃色に彩られています。
奥まった目立たない場所にありますが、椿と梅の取り合わせを楽しめるスポットです。
西神苑は、参道に沿って、本殿側に椿、対面側には梅園が広がります。
本格的な整備は、昭和40年代ということですが、それでも50年以上が過ぎ、椿も相応の大きさに育っています。「曙」や「蝦夷錦」と思われるものも咲き始めていましたが、これだけの大きさであれば、満開時はさぞ見栄えすることでしょう。
梅と椿どちらも見頃というタイミングは難しいので、次の機会は、椿メインの3月下旬にしたいと思います。
「酒中花」ですね。
大儀そうな猫。私がのぞいていることに気づくと、居眠りの邪魔をするなとそっぽを向きました。
参道沿いの民家の板壁に、レトロな薬看板が使われています。
また、来年の梅を楽しみに。