
大阪と奈良の境を南北に渡る葛城連峰の一峰「二上山」は、万葉集にも詠まれた名山ですが、その南東麓に、山を仰ぎ見るように「當麻寺」の伽藍が並んでいます。
「當麻寺」の始まりは、飛鳥時代にさかのぼり、612年に、聖徳太子の弟である麻呂子王が河内国に創設し、後に、白鳳9年(681年)に、麻呂子王の後裔となる豪族當麻氏が、現在地に遷し、氏寺として、平安時代にかけて、堂宇の整備を進めたとされています。
4月15日の「練供養」や牡丹の時期には、賑わいを見せますが、立地的に、奈良市と併せての観光に組み込まれるにはやや離れているせいもあるのか、私が訪れた9月13日は、連休の土曜日にもかかわらず、観光客はまばらで、古寺ならではの落ち着いた時間を楽しむことができました。
椿の方は、東・西両塔へと向かう上り路に沿って、幾本か大きな椿を見かけました。
1 當麻寺の伽藍
この日は、広陵町での所用を済ませた後、百済寺の三重塔を見てから、近場にある名刹「當麻寺」を訪れることにしました。
この三重塔は、神社の境内に、にゅっと聳え立ち、本堂もこじんまりしたものが、やや離れて建っているため、単発の建造物かのように独立しているようで、不思議な異質感がありました。なぜ、ここに建てられたのかも明確にはわからないようで、何やら謎めいた雰囲気でしたね。




三重塔を後に、大和高田市役所前の通りを真西に、田園風景の中、車を走らせると、近鉄らしいローカル駅感いっぱいの「當麻寺」駅へと行き着きます。駅前を曲がると、再び西へ當麻寺へと一直線の道が続きます。国道165号を横切ると、いかにも門前町らしい家並みが両側に現れ、狭まった道を対向車に気を使いながら進むと、その先に、大きな仁王門が現れました。


仁王門の石段を上ると、門の向こうに、国宝の本堂(曼荼羅堂)と左右の講堂、金堂、そして、背景は、緑の二上山を望む景色が見えてきました。當麻寺は、これらの主要伽藍を取り巻くように、13の塔頭寺院が配置しており、それらが一体となって広い寺域を形成しています。


全国でも唯一、創建時の対の姿が残る、東・西両塔は、高台に建ち、緑豊かな山合いに浮かぶように美しい姿を見せ、塔頭「中之坊」、「護念院」の庭園の借景ともなっています。

まずは、本堂にお参りします。ご本尊の「當麻曼荼羅」は、天平宝字7年(763年)に、藤原家の姫・中将姫が蓮の糸を一夜で織り上げたとの伝承があり、極楽浄土信仰のシンボルとして、浄土宗の布教とともに全国的に有名になったものです。


原本は、痛みが激しく、代わりに、転写した「文亀本」(1503年)が懸けられています。一丈五尺(4.5m)もある曼荼羅なので、収納する厨子も須弥壇も大型です。この国宝の須弥壇は、源頼朝の寄進によるもので、華美というより、いかにも重々しい造りで、勾欄は、漆塗りで、虎縞のように、黒地に暗い橙色の模様が入っていました。
もとは、厨子を奉るお堂であったものが、曼荼羅を拝む人が増えるにつれて、段々と建て増しを重ねて、現在の姿に至っているようです。
當麻寺は一時、興福寺の末寺となったことがあり、そのせいで南都焼討の類が及んだのですが、大きな焼損に至らずに本当によかったと思いますね。
2 金堂の四天王像
金堂には、日本最古の塑像である国宝・弥勒菩薩がどっしりと鎮座し、その四方を重要文化財の四天王が護っています。

四天王像といえば、憤怒の形相で、腰をひねって構える力感ある動的な姿を思い浮かべますが、ここの四天王は、その印象とは全く異なります。
うち三体は、白鳳時代の作で、法隆寺の四天王に次いで古く、もみあげに顎髭をたくわえた中国の武人そのものの特異な風貌をしています。もちろん、厳めしくはあるのですが、静的なフォルムもあって、猛々しいというよりは、学問にも親しんでいそうな知的な穏やかさを感じました。
多聞天のみが、鎌倉時代の補像ですが、面白いのは邪鬼です。踏みつけられるのを全身で抗うように、筋骨隆々とした手足を思い切り突っ張っていて、ここだけ、異質な空気が動いているようです。旧来の姿を踏襲しつつも、リアル感を好む、創造性豊かな鎌倉仏師らしく、一定の自己主張はするぞというところなのでしょうか。
3 東塔・西塔の参道脇の椿
建築技法から、東塔は奈良時代末期、西塔は平安時代初期から中期にかけての建立と推定されています。(※より強度を高める工夫が進んだ組物の違いでわかるそうです。)

平重衡による南都焼討から逃れ、何度も改修の手が入って、今日まで伝えられてきた貴重な遺産です。見た目だけでなく、こうした歴史の積み重ねというのが、かけがえのない価値になっていると思いますね。
東塔への参道には、樹々が生い茂っており、なかなか塔の姿を仰ぎ見ることができません。樹々の合間には、大きな椿が林立していました。参道左手がちょうど塔頭「中之坊」の名園を見下ろすかたちで上っていくので、「中之坊」からは、遠景に椿が見えることでしょう。


塔の裏手に回ると、均整の取れた全身の姿を見ることができます。つい先年に大改修された西塔と比べると、東塔は、やはり古びているのが味わいがありますね。

一方、西塔は、参道の正面に建っているので、見栄え良い姿が間近に近づいてきます。ただ、東塔のように、周りに入ることができず、正面の姿しか見ることができません。こちらも、参道左手に「護念院」の庭園があり、園の椿が参道沿いの垣根の一つとなっていました。


瓦の黒、壁の漆喰の白に、椿の赤と、シーズン時には、どちらの塔とも、なじみ深いシンプルな彩りの風景を楽しめると思います。
「當麻寺」は、少なくとも半日はかけてゆっくりと見るべきところですね。主要な塔頭については、次回のお楽しみとしておきます。毎回、現地を訪れた後で、見ておけばよかったと思うものが多く、事前のリサーチ不足を悔やんでおります。
季節によっても風景は変わるし、何度かリピートすることで、より魅力がわかるというものなのでしょう。
(追記1)
昼食は、門前の「玉や」さんで、釜めしをいただきました。焚き上げに30分かかるので、拝観前に予約しておいて、待たずにあつあつのものを食べてきました。大和鶏がほどよい歯ごたえがあり、風味が濃くて、おいしかったです。


(追記2)
「當麻曼荼羅」の織糸となった蓮の糸ゆかりの「石光寺」は、當麻寺の北方の葛城市染野の集落にあります。


稲穂の実り始めた田んぼの広がるのどかな地に山門を構えていたこのお寺は、牡丹、芍薬をはじめ、四季の花を楽しめることでも知られています。訪れた日は、山門横の百日紅の巨木が名残の花で迎えてくれました。



たまたま庭園が整備中で、観ることができず残念な思いをしましたが、塀越しに、多くの椿があるのがわかりました。ここの牡丹は、1月に盛りを迎える珍しい寒牡丹も有名で、この頃に訪れると、早咲きの椿も見ることができるかもしれません。