京都を愛したデヴィッド・ボウイ。
彼がこの世を去ってから、8年になろうとしています。
俵屋旅館に泊まり、姉小路の画材店に立ち寄り、喫茶店で時間をつぶし、古川町商店街で八幡巻きを買い求める…。
京都のまちと暮らしになじんでいる様々なボウイの足跡は、鋤田正義氏による印象深いショットの数々とともに、ボウイの京都として、京都を語るにあたって、新たな物語を付け加えたように思えます。
今回訪れた「正伝寺」もその一つです。
宝焼酎「純」のCMに出演したボウイは、自ら、撮影場所を「正伝寺」に指定したといいます。そして、その庭園に涙したと伝えられています。
1 森閑とした正伝寺へ
京都人でも知らないという人が多い「正伝寺」。西賀茂の閑静な街並みを過ぎ、道しるべにしたがって、小径を山裾へと進んでいくと、山門が見えてきます。
山門を入ると、見上げんばかりに梢の高い杉木立の参道となり、一気に森閑とした雰囲気に包まれます。
しばらく、つづれ折りの坂道を上ると、苔むした石垣の向こうにお堂が姿を現します。垣の上に枝を広げるモミジたちは、すでに葉を落とし、冬の訪れを感じさせます。もう一方は、椿の生け垣となっており、早咲きの花が一輪咲いていました。
2 ボウイが涙した正伝寺庭園
朝の9時過ぎ。おそらく、私が最初の拝観客。誰もいない方丈の前の静かな庭園を初めて目にしました。
白壁に囲まれて、一面に波紋が広がる白砂の庭面に、岩の代わりに、端正に刈り込まれたサツキが群島のように浮かんでいます。緑に覆われた島々は、周囲の白と鮮やかな対比を見せながら、岩山の張り詰めた厳しさとは異なり、調和のとれた柔らかさ、優しさを感じさせてくれます。
白壁の向こうにある鐘楼の彼方に、寺叢林の合間から比叡山が見えます、
比叡山の借景といえば、圓通寺の庭園が有名ですが、岩倉との距離の違いもあり、やや遠目に見えましたね。
比叡山は二つの山頂(京都盆地に近い方が四明岳、その東北方向にすこし離れて大比叡)があり、圓通寺では四明岳が大比叡を隠しているのですが、正伝寺からは、両峰が見えるはず。でも、大気が湿気を含んでいるせいか、山の輪郭が曖昧になっていました。
ボウイがCM撮影を行ったのは、1979年の12月、44年前のちょうど今頃でした。ベルリン三部作を完成した後で、次がRCAとの最後の契約アルバム、そしてレーベルを EMIに変更して1983年の「レッツ・ダンス」に至ろうとする時期でした。
ボウイの京都伝説の中で、私も好きなエピソードがあります。
とある居酒屋にいたボウイを見つけた京大生が、なぜ京都にいるのかと尋ね、ボウイは、アメリカから大きなオファーが来ていること、それに飲み込まれてしまわないか悩んでいて、ゆっくりと考えようと京都に来たと答えます。京大生は、あなたがそれをわかっているなら受けても大丈夫ではと言うと、ボウイは、人はそんなに強いものではないのだよ、と答えたということです。
80年代に向けて、ボウイも新たな変容について、思い悩んでいたのかもしれません。静謐な庭園を前にして、何に涙していたのでしょうか。その後、再び、正伝寺を訪れたことがあったのでしょうか。
そんなことも思いつつ、しばらくの間、この空間を一人きりで過ごしました。
3 西賀茂の弘法さん「神光院」
正伝寺を出て、西賀茂の街中にある「神光院」へと向かいました。
賀茂川の西岸に広がる西賀茂地域は、上賀茂神社の社領地であったところです。平安時代には、平安京の造営に当たって、大量の瓦を供給する拠点となり、多くの瓦の窯跡が発掘されています。
「神光院」は、かつては、このような瓦職人の宿とされていたといいます。また、空海がこの地で修業を終え、自像を刻んで、我を信ずる者は病気災厄から除かれるだろうと宣ったとされ、この像がご本尊として安置されています。
空海ゆかりの寺として、「神光院」は、東寺、仁和寺と並んで、京都の三大弘法さんの一つに数えられています。とはいっても、大寺院ではなく、また、観光化されていることもなく、地元のお寺として親しまれている、そんな「地元感」が、ほっこりと心地よいところです。
4 神光院にしかない八重の白サザンカ
神光院には、ここにしかないと言われるサザンカがあります。
池のほとりにあるこのサザンカは、白い八重咲の美しい花を咲かせていました。幹径は20センチ程度のもので、さほどの古木ではないことが意外でしたね。
寺の方にお聞きすると、今年は植木屋さんが強く剪定を行ったので、花付きがあまりよくないとのことでしたが、ちょうど見頃の時だったのか、咲き姿を楽しめることができてラッキーでした。
ただ、他と違う珍しさがわからず、「おーっという感じ」はしませんでした。椿だけでなく、サザンカへの興味のウィングも広げていくと、なるほどとわかってくるのかもしれません。
5 時代劇に利用されたお堂
山門、本堂、その奥に続く中興堂は、銭形平次や暴れん坊将軍など数々の時代劇のロケに使用されています。
本堂は文政12年(1829)の建築で、江戸後期の意匠を残す好例とのこと。中興堂は大正6年(1917)の建築ですが、本堂ともマッチし、違和感はありません。
時代的にも合い、ちょうど手ごろな規模感で、観光客も少ないという、撮影に適する条件を備えているのかもしれませんね。
わずかに紅葉の名残を残していましたが、2週間ほど前であれば、美しいモミジを楽しめたと思います。
「眼病平癒」のお守りをいただき、青空の中、山門前の柿を見上げながら、神光院を後にしました。