詩仙堂に丈山椿を見る

1 1月の詩仙堂を訪れる

  1月15日、寒波のはざまの、少し寒さが緩んだ日に、詩仙堂を訪れました。

 詩仙堂といえば、紅葉と皐月の頃が、庭園が見目鮮やかに彩られるハイシーズンですが、初冬から春にかけては、静けさを取り戻した園内に、椿が順々に咲きそろいます。

 この地に居を構えた石川丈山の名を冠する「丈山椿」や白玉椿の巨樹をはじめ、庭園の各所に、椿、サザンカが植えられており、椿好きにとっては見逃せないところです。

 詩仙堂へは、白川通から、曼殊院道に入り、宮本武蔵と吉岡一門の「決闘之地」の石碑を横目に見ながら、東へと、狭い道を山手に上っていくと、簡素で、風雅な山門「小有洞」が見えてきます。

2 参道のサザンカと椿

 山門右脇には、大きなサザンカが白い花を咲かせています。

 詩仙堂には、かつて、庭園に、樹齢400年とも言われた、全国的にも有名な、白花の大サザンカがあったのですが、寄る年波と、台風や地震の影響もあり、平成7年に惜しくも倒れてしまいました。

 門前のサザンカは、この古木には及ばないものの、幹周90センチ、樹冠が山門の頭上を覆う大樹で、詩仙堂の入口を示すシンボルツリーとして、拝観者用パンフレットの表紙を飾っています。

 山門から石段を上がり、参道の左手、竹林の中にも、何本かの椿がありました。

 そのうちの一本は、幹周1メートルを越えそうな大樹でしたが、椿にしては、分枝せず、一直線に空高く伸びているのが印象的でした。おそらく藪椿だと思いますが、開花すれば、紅い落ち椿と青竹とが、鮮烈なコントラストになるでしょうね。

 竹垣との相性も抜群ではないでしょうか。

 中門「老梅関」には、椿垣が連なっています。一輪だけ控え目に咲いていました。

 私は、ものが、よく人の顔に見えるのですが、黒目勝ちの窓がやけにリアルに迫ってきませんか。

3 建物入口に立つ獅子頭

 建物に入る前庭には大きな椿が一本あるだけ。まさに、メインツリーです。

 枝のうねり具合が見事だし、根が白砂に浮き上がるのも味わいがあります。

 建物と一体感のある配置ですね。

 受付の方にうかがうと、「獅子頭」とのこと。

 寒椿の「獅子頭」か、はたまた、別の種なのか、これは、後日に確認したいと思います。

4 建物から庭園を見て、白玉椿の巨樹に感動

 詩仙堂の中心となる「詩仙の間」。

 四面に、狩野探幽による中国の名だたる詩人の画が9名ずつ、延べ36人描かれています。この選定に当たっては、丈山と林羅山が議論を重ねたとされており、王安石について、丈山は、羅山の推しにもかかわらず、外したということです。

 王安石は、文才はもちろんのことですが、北宋の宰相として、神宗のもとで政治・財政改革を断行しましたが、道半ばで、反対派に排除されたと、世界史で習いましたが、丈山には、何かはまらないところがあったのでしょうか。

 ご本尊の「馬郎婦観音」です。

 「詩仙の間」の西側、嘯月楼の階下の座敷から見た、唐様庭園です。

 先述の大サザンカは、この縁側のすぐ近くにあって、大きく張り出した横枝越しに、庭園を見るという位置関係だったようです。

 寛永18年(1641年)に詩仙堂が落成し、石川丈山が移り住んだ時に植えたものと伝えられていたため、350年以上の樹齢を重ねていたことになります。

 右端に見えるのが、大層立派な「白玉椿」です。

 花の盛りはすでに過ぎているとのことでしたが、まだ、咲き残りがちらほらと。

 まるで、八岐大蛇のような、見事な枝ぶりです。

 文書に記録されていないため、樹齢が不明ということでしたが、200年は越えているのではないでしょうか。

 「読書の間」からの眺めです。

 詩仙堂は、庭に下りて、散策を楽しむことができます。

 可愛らしい五重塔は、作庭当時からあったものだそうです。

5 「丈山椿」が咲いています

 庭園を下っていくと、お目当ての「丈山椿」が咲いていました。

 花弁に優しい紅の縦絞りの入る美しい椿です。思っていたよりも大輪で、華やかな雰囲気でした。

 「この寒咲きの椿と侘助、白玉は、数多い京の椿寺の椿とくらべても屈指のもので、詩仙堂の三銘椿といえる。寒椿には、矮性の灌木で紅色八重冬咲きの同名種があるので、ここの寒咲きの名木はここ独特で他に見られないから、住職石川琢堂師に御相談して、丈山椿と名付けていただいた。」(渡辺武著「京椿」より)

 ちなみに、この本で触れられている侘助とは、胡蝶侘助のことですが、まだ開花していないようでした。

 葛城絞や松波と似ていますね。

 ほかにも、上品な椿が多かったですね。

 庭園の南側の段下から仰ぎ見た「白玉椿」です。

 空を覆わんばかりの威容です。

6 異世界的魅力のある庭

 詩仙堂の正式な名前である「凹凸窠」(おうとつか)が示すように、高低差のある自然地形を活かしながらの作庭は、流石に、名庭と言われるにふさわしい魅力があります。

 どこを撮っても、絵になりますが、少し異世界的な味わいもあるものを、いくつか、ご紹介します。

 石川丈山は、身の丈六尺六寸という「巨漢」で、江戸初期の武人、漢詩人、作庭家で、59歳の時に詩仙堂を造営し、様々な文化人と交流しながら、竹林の七賢のような生活を送り、90歳で大往生したという人物です。詩仙堂とともに、渉成園や一休寺の作庭も手掛けています。

 

 今回は、幽玄な風景の中で、静謐な時間を満喫することができました。

 できれば、「嘯月楼」に上っての庭の景色も一度見てみたいですね。

 渡辺武先生の「京椿」によると、石川丈山は、詩仙堂に移る前に、一時、元田中付近に住まいがあり、その旧邸跡に侘助椿の巨木が残されているとの記載があり、私は、何回かそのエリアを探索してみましたが、未だに発見できていません。幹周130センチの高木とあるので、相当目立つと思うのですが、今も残っていてほしいと願っています。