知られざる椿の巨樹

 京の名椿として高名だけど、寺院が非公開なので、なかなかお目にかかれないものが沢山あります。

 また、喧伝されることを好まれず、地元でしか存在が知られない椿も数あるものと思います。

 この8月の終わりに、とあるお寺を訪ねたところ、思いがけずも椿の巨樹を見ることができました。

 風格ある素晴らしい椿なので、写真で紹介したいのはやまやまですが、住職の思いとして、寺名や境内の写真をSNSなどで公開されることをお断りされています。「ご自身の想い出として、心の中で風景を楽しんでいただけることを願って」おられるとのことです。

 なので、場所の特定も、ヴィジュアルでの紹介もないため、イメージが浮かびづらいと思いますが、ご了承のほどを。

 このお寺は、車は入ることのできない、狭い坂道の参道の先、集落から奥まった小高い場所にあります。こじんまりとして、いかにも地元のお寺らしく、自然とその地になじんでいるという印象です。

 参道の入口を示す石標も、このお寺を目指すのでなければ、見過ごしてしまうほどさりげなく、何度となく通ったのに、これまで全く気づきませんでした。

 訪れた日は、残暑厳しく、また昼下がりだったこともあり、私のほかにお寺を訪れる人の姿もなく、蟬の声だけが響いていました。

 山門に向かうと、参道右手に続く白壁の塀の上空高く伸びている大きな椿の樹が目に入ります。見上げると、太い枝がうねりながら、広く枝分かれして、空を覆っています。

 椿の大木があることを知らないと、椿はこんなに大きくはならないという先入観で、案外スルーしてしまうかもしれません。花色は、濃い桃色で、内側はやや白っぽいとのこと。まさに知る人ぞ知るという椿で、この花を楽しみに毎年来られる方もおられるようです。

 この椿は、カシノキの巨木のすぐそばに立っています。住職は、このカシノキが、椿を日照りや風から守ってくれているとおっしゃっていました。

 そう聞きますと、カシノキが大きな椿を今なお優しく抱き抱えているかのように見えてきます。この椿は、囲いで隔てられていることもないので、椿特有の肌理細かく、ずっしりとした緻密な質感を、直に触れて体感することができるのはありがたいですね。

 根元の幹周を測ってみますと、130センチ弱あり、樹齢は300年近くはあるのではないかと思います。この里の人々が、代を重ねながら、親しんできたのだろうと思うと、感慨深いものがあります。

 背の高さ付近から、二股に岐れ、主幹はさらに二股の枝に分岐し、空高く伸びています。最初の分岐の枝幹が、主幹の分岐枝と同じように伸びているので、全体としては、3つの太い枝で構成される形です。この、最初の分岐の枝幹が太く勢いがあるのが特徴的で、連理ではないのですが、この椿の樹量を増し、迫力を倍加させていると思います。

 住職は、飛び込みの私にも、大変丁寧に案内いただきました。

 境内には、この大椿だけでなく、主幹は枯れているが、かつての巨木の名残を見せているものや、幹周60から80センチになる大きなものも何本も見られました。

 このようなお寺にも、椿は人知れず息づいており、その時代時代を通じて椿を愛でる人は多かったのだろうなとあらためて実感します。

 また、枝張りが、境内の半分余りを占めようかという、枝垂れ桜の巨木がありました。
 これも相当の樹齢と見受けられましたが、かなり幹の腐食が進んでいるようです。

 住職が子供の頃から急に枝が伸長したとのお話で、晩年最後の力を振り絞っているのかもしれません。

 あらためて、開花時期に訪れ、このお寺の桜と椿の偉容を、住職が言われるように、記憶に留めておきたいと思います。