
「蓮華寺」は、京都市街から八瀬、大原へと向かう入口にあたる左京区の上高野にあって、比叡山系の西明寺山の南麓に位置し、紅葉、新緑の美しい庭を有するお寺です。
寛文2年(1662年)、加賀前田藩の家老・今枝近義が、祖父重直の菩提を弔うため、その草庵の跡に再建したもので、その際には、重直と交友のあった石川丈山、木下順庵、狩野探幽、黄檗宗の隠元ら名だたるメンバーが関わっています。
大きな寺院でもなく、観光エリアからはやや外れていることもあり、知る人ぞ知る存在だったのですが、京都通好みのスポットとして、近年、人気が高くなってきています。
7月に入り、連日のうだるような暑さの中でしたが、静かで、涼を感じる一時を過ごしてまいりました。
頻繁に車が行き交う国道367号線から、山手への小径に入ると、ほんの30メートルほどで、蓮華寺の山門が見えてきます。半分開かれた扉をくぐると、雰囲気ががらりと変わり、街道のざわつきが消え、山に近い湿潤さを帯びた森閑とした空気につつまれました。


自然味を残す樹々、草花と苔の緑の中、石畳みの参道を通って、受付を済ませ、まずは本尊の阿弥陀如来にお参りしてから、書院へ入りますと。
静かな池と、押し寄せてくるような緑の波が目の前に。


自然味豊かな楓林と清らかな池、石組と苔、小ぶりな本堂が一幅の絵のように広がります。
東面と南面が広々と開かれ、庭園の景色を、柱が額縁のように切り取って、屏風絵のようです。場所を動くと、そのアングルに応じて、構図が変わります。

書院のやや奥の方に座ると、東面、南面のどちらも視野に入るポジションとなります。行儀は良くないけれど、畳に足を崩して楽な姿勢で、何も考えずに、この空間に身を任せて、ただ眺めるのが最高ですね。訪れていた数組の参拝客のみなさんも、同じように時間を過ごしておられました。
東側の庭には、池が広がり、池の向こうには、蓬莱石組が築かれ、今枝重直の一代記が刻まれた石碑や、数基の石灯篭が設置されています。

特徴的なのは、この池の綺麗さですね。山の麓にあり、湧水が豊かであることと、江戸時代に開かれた、高野川からの用水路を引き込んでいるおかげだといいますが、このように淀みがなく、鯉の泳ぐ姿がクリアに見える池というのはあまり見かけません。

対岸の楓の樹々が自然のままに池に覆いかぶさるように枝を張っているため、池奥の石組や石灯篭は鬱蒼と茂る葉にまぎれ、明るい池とのコントラストがよく効いて、奥行の深さが感じられます。
書院に向かって進みくる船石も特徴があります。普通は、池の向こうの浄土へと向かうのですが、書院側を浄土としているのは大変珍しいそうです。

楓が色づく紅葉のシーズンには多くの観光客でいっぱいになりますが、それ以外の時期なら、畳の上でゆっくりと庭を眺める、そんなシンプルで幸せな時間を独り占めできるかもしれません。
室内から見えないところは、庭に下りて、回遊できます。庭からの撮影は禁止されているので、写真では伝えられませんが、池奥の様子も回遊路からはよく見えます。
本堂の前には、2基の古雅な灯篭が並んで立っており、この灯篭が茶人に愛好される「蓮華寺灯篭」の原本として著名なものです。土筆のようなとんがり屋根が可愛らしくて趣があります。

この灯篭のそばの苔むす地面に、萎れた白い花がいっぱい落ちていて、そばに立つ樹の特徴ある樹皮を見ると、沙羅双樹・夏椿でしたね。樹肌がよく似ている百日紅の大木もあり、季節ごとに、花の彩りも楽しめるようになっています。
そして、書院の南面の西の端に、庭園との仕切りの塀に沿って、幹径は20センチ足らずながら、なかなか存在感のある椿を見つけました。



地表を伝う根の姿もいい味を見せています。広縁から見上げると、椿は、白塀の上空へと伸びています。受付の若い女性の方に聞くと、綺麗な桃色の花が咲くようです。おそらく、藪椿ではなく、園芸種なのでしょう。
春の蓮華寺も訪ねてみたくなりました。
