1 妙蓮寺再訪。妙蓮寺椿が咲いています。
12月3日(土)、京は、今年一番の冷え込みでしたが、空は晴れ渡り、気持ちの良い日和となりました。
妙蓮寺では、3日と4日に、寺宝の虫干し展を行っていると知り、丁度、妙蓮寺椿の開花も見られるだろうということで、8月以来の再訪をする事にしました。
山門を進むと、予想通り、紅く、風雅な花が咲いているのが見え、顔がほころびました。当たり前ですが、やはり、花があってこその椿の魅力で、ようやく、このブログでも、花をお伝えできるシーズンになってきました。
2 中庭に美しく咲く妙蓮寺椿
椿宿坊と奥書院との間の中庭に、より大きな妙蓮寺椿が植えられているので、さっそく、寺務所へと入っていきましょう。
拝観受付を済ませて、座敷に上がり、御朱印をいただくところに、妙蓮寺椿が活けてありました。茶道の花としても重用される椿。
妙蓮寺椿は、中大輪で、上品な、桃色を帯びた紅色の花びら、円くお椀のように美しく開いた雄蕊、淡緑色の雌蕊が絶妙に調和していて、活け花としても、気品がありますね。
咲き始めは、花弁の先が波打つような抱え咲きですが、時間がたつと、このように盃状に平開します。さすが、選び抜かれ、洗練を重ねて、作出された名花だと思います。
宿坊と奥書院の間にある中庭の妙蓮寺椿は、入口のものよりも、一回り、大きな花を咲かせ、より華やかさと迫力があり、見応えがあります。
宿坊側の「窓」から間近に見るのが一番です。
見飽きないですね。できることなら、我が家にも植えたくなりました。花が映えるだけの、庭のしつらえと、ふさわしい建物あってのものではありますけれど。
3 「十六羅漢石庭」と現代ガラスアート
奥書院の前には、「十六羅漢石庭」が広がります。
真ん中、一番奥にある石が、お釈迦様の涅槃像を表していますが、豊臣秀吉が伏見城から運んだものと伝えられ、牛が伏せている姿に似ているため、「臥牛石」と名付けられた名石です。
「臥牛石」をお釈迦様とすると、それ以外の石を数えると15となります。
案内の方から、16番目の羅漢は、この庭園を見ている貴方自身との意味との説明をお聞きしました。なるほど。
もともとの作庭は、本寺の玉淵房日首という僧で、桂離宮の造営にも関わり、小堀遠州の流れを汲んでいたということです。日蓮宗のお寺に枯山水庭園が少ないのは、日蓮が、自然のままの姿を好んだかららしいのですが、妙蓮寺に珍しくも枯山水があるのは、この玉淵房がおられたからだと、案内の方からお聞きしました。
ガラス工芸の作品とのコラボ企画が行われており、表書院の縁側には、不思議な物体が三体(隊?)展示されていました。白砂を海原に見立て、潜水艦をイメージしたとのことですが、「臥牛石」とも、意外にマッチングしていると面白く感じました。
表書院の扁額の下部に、何ともいい造形のガラス工芸が展示されています。
額のそれぞれの字から滴る墨をイメージしたものらしいですが、心地よいくねり具合と質感、花と蔓の添え具合が、雅な雰囲気を感じさせ、印象的でしたね。
4 虫干し展に、狩野派のビッグネームを見る
本堂では、虫干し展が行われ、古い掛け軸がずらりと掲げられていました。
大半が、狩野派の絵師によるもので、狩野元信、永徳、探幽などのビッグネーム、さらには牧谿までありました。
何でこのように狩野派の作品が多いのか、案内の方にお聞きすると、もともと狩野派の絵師には日蓮宗が多く、また、妙蓮寺界隈に居住していたらしいとのこと。そんな縁で、狩野派のものが、いろいろなルートで寺に集まってきたそうです。
京都のお寺には、このような美術品が山ほどありますが、誰の作品かを判定するには、時間と手間が膨大にかかるため、なかなか進まないらしく、ビッグネームとして伝えられている作品も、「何でも鑑定団」ではないですが、真贋が定かでないものもあるようです。
でも、元信作「鷲之図」の脚の生々しささえ感じる質感や、探幽作品の衣服の線の流麗さなどは、思わず見入ってしまう魅力がありました。
いつか、真作として再発見されたら、見る目があったと自慢できそうですね。
5 「御会式桜」その他妙蓮寺の見どころ
寺務所の拝観受付のすぐそばの太い柱に、刀痕が刻まれています。
「蛤御門の変」時に、妙蓮寺に長州藩士が匿われているのではないかと疑った薩摩藩士によるものと、薩長連合が成立したときに怒り狂った新選組隊士によるものと伝えられています。近藤勇、土方歳三、沖田総司が残した痕とも言われているらしいですが…。
塔頭「玉龍院」前の大手水鉢。もともと、妙蓮寺椿の原木は、「玉龍院」にありました(昭和37年焼失)。今も「玉龍院」周辺には、多くの椿が植えられています。
秋から咲き始める珍しい「御会式桜」が、すでに、ぽつぽつと花咲いていました。本当に秋から咲き始めるのですね。
(追記)「御会式桜」が花盛りです。