梅が見ごろな北野天満宮で椿を探す~上七軒へ

1 北野天満宮の梅を見る

 寒さも少し緩んだ2月11日、梅も蕾が綻んでいるだろうと、久しぶりに、北野天満宮に行ってきました。

 さすがに、メジャーな観光地であり、梅の見ごろを迎えているということで、午前10時前でしたが、参詣人の列がとぎれず、外国の方もちらほらと見受けられました。 

 境内、いろいろな箇所に牛が鎮座していますが、楼門を入ってすぐ右手のこの牛が一番巨大で、ご利益がありそうでした。赤眼なのは、道真の左遷を悲しみ泣きはらしたから❓

 壮麗な「三光門」。

2 接木により伝えられてきた「飛梅

 本殿前にある、由緒正しい御神木「飛梅」。

 遅咲きなので、まだ、蕾の状態でした。

 この梅は、太宰府へと左遷された道真を追うように、京の屋敷から飛んで行ったと伝えられる、樹齢400年以上になろうかという古梅です。

 神社創建以来、大切に守られてきたものですが、樹勢の衰えと、近年蔓延し、梅に大きなダメージを与えるウィルスへの感染リスクに備えて、北野天満宮住友林業が協力して、組織培養で増殖させたクローンの苗木を開花させることに、2017年に成功したというニュースは記憶に新しいところです。

 この古梅のDNA調査により、根部と枝部のDNAの違いが明らかになり、御神木を後代に引き継ぐために、接木を行ってきたことが明らかになりました。

 道真が、「東風吹かば」と詠んだ梅が、何代かの接木を経て、今に見ることができるという、まさに生きた歴史遺産です。

 椿も、樹勢の弱い品種をはじめとして、強健なサザンカなどを台木に、接木の技術が磨かれてきましたが、老齢で接木、挿木がままならない貴重な一本限りの銘木も多いことから、枯死に至る前に、このようなクローン技術による保存ができればと思いますね。

3 本殿そばにひっそりと咲く椿

 梅の咲く北野天満宮で椿を探すのは私くらいだろうと思いながら、一巡りして、神楽殿のそば、本殿の東側、北門寄りに、いくつか椿を見つけましたが、あまり目立たず、巨木は見当たりませんでした。

 本殿東側、梅に埋もれながら、ひそやかに咲くつばきです。

 やはり、メインは梅ですね。

4 上七軒「西方尼寺」へ

 梅を堪能して、東門を出て、花街の風情漂う「上七軒」を少し歩くと、歌舞練場への曲がり角に「西方尼寺」が見えてきます。

 「西方尼寺」は、後二条天皇とのゆかりが深い天台宗の尼寺で、門内の石の標柱には「築地御所本光院門跡」と刻されています。また、北野大茶会の際に、利休が茶の湯に使ったという「利休井」があり、茶室の前の中庭には、利休手植えと伝えられる五色八重散椿の巨木が残されています。

 この椿と、椿寺の先代の椿、柊野の民家の椿とが、京都の散椿の三銘木です。

 ただ、「西方尼寺」は一般拝観されていないため、この銘椿をなかなか目にする機会がありません。

 塀の外からでも見ることができないかなと期待していましたが、内庭にあるようで、残念でした。
 ただ、外から見える限りでも、椿が数多く植えられ、玄関口にも、きれいな白侘助が植えられているなど、茶の湯と関りが深い尼寺らしく、椿をいつくしんでおられる様子がうかがえました。

5 門前の「やきもち」をいただく

 帰路、東門そばの、昔ながらの、まちの和菓子屋さんらしい雰囲気の、「やきもち」のお店に立ち寄りました。「天神堂」という屋号なのですが、看板には大きく「やきもち」の表示のみのわかりやすさ。あの上賀茂神社の神馬堂から暖簾分けされたようです。

 昔懐かしい木枠のガラスケースに、看板のやきもちを真ん中に、左右に、三笠と六方焼きとがおいしそうに並んでいましたので、食べ比べてみようと、いそいそと買い求めました。いずれも1個130円というお手頃価格です。

 ご主人に、「創業どれくらいですか?」と尋ねると、「うちは70年くらいで、ここではひよっこです。」と笑って答えられました。

 高名な「老松」さんが、明治41年創業で140年あまり、さらに京都には上をいく古さのお店が多いため、それと比較するとまだまだという感じなのでしょう。

 家に帰ってさっそくいただきましたが、やきもちのもちもちした食感、六方焼きのしっとりとした厚みのある食べ応え、三笠のふんわり軽やかで香ばしい生地の味わい、また、粒餡とこし餡の両方の舌触りも楽しめて、ほっと一息の、幸せなティータイムとなりました。

添えた花は、我が家の庭に咲いている「夢」という椿です。サザンカとの交配種で、本来は花弁が交互に白と濃桃に色別れするはずなのですが、今年は、底桃のような変わった色合いになっています。