京都市の西北に聳える霊峰・愛宕山の枝峰である高尾山の中腹に、真言宗別格本山の「神護寺」があります。
山間の景勝地・高雄には、「栂尾山 高山寺」、「槇尾山 西明寺」、そして「高尾山 神護寺」という「三尾三山」と称される古寺が集まっていますが、なかでも、神護寺は別格の存在で、草創が、最澄、空海、和気清麻呂というビッグネームに深く関わる名刹です。
薬師如来立像や、曼荼羅、肖像画をはじめ、国宝中の国宝を有し、重要文化財も多数所蔵し、また、紅葉の高尾を代表する観光地としても、あまりにも有名ですね。
新緑の神護寺は、お花見の人の流れも一段落し、静けさを取り戻していました。
1 緑まぶしい神護寺
京都に来て50年あまり、高山寺は何度も行っているのですが、今まで神護寺を訪れたことがありませんでした。
山中の寺なので、足の便があまり良くないのと、紅葉時の混雑と渋滞に巻き込まれに行くのもなあ…と二の足を踏んでいたのですが、今春は、高山寺、西明寺と歩き回るうちに新緑の高尾に魅せられて、やはり総本山の神護寺は外せないと足を延ばしてきました。
車で行くと、参道登り口付近にある「高尾観光ホテル」の駐車場に有料預かりで停めることができるようですが、オーソドックスに、市営高雄観光駐車場から出発することにしました。
歩いて20分程度、国道162号線から、谷筋へと下り、新緑のまぶしい清滝川に沿って、森林浴のような爽やかな道行です。
高尾橋を越えると、神護寺への長い石段の参道が見えてきます。

見た目ほどは急な階段ではないのですが、寺の二天門に行き着くまでには、何度も折り返して上っていかなければならないのて、足の弱い方にはちょっときついかもしれません。

拝観時間の9時前でしたが、どうぞということで、一番乗りさせていただきました。
山腹に開けた境内に、青空の下、楓の新緑が目にも鮮やか。本当に爽やかで気持ちよかったですね。

毘沙門堂、五大堂の伽藍を過ぎると、山手側に大石段があり、上っていくと、楓の若葉越しに、金堂がせり上がるように全貌を表します。




実に広壮な金堂で、昭和8年12月の竣工といいますが、伝統的な古式の造りによる姿は、歴史ある寺の伽藍として違和感がありません。
明治期の廃仏毀釈の嵐をしのぎ、昭和初期の復興事業により、金堂、多宝塔、和気公霊廟の建立、毘沙門堂の修繕などが実施されましたが、当時、洋反物で財を築き、学校、病院などの公共事業や寺社への多額の寄付を行った実業家・山口玄洞氏の尽力によるところが大きかったようです。
山口氏は、寺の伽藍寄進の条件として、由緒正しい寺であり、景勝地にあることを求めたとされていますが、神護寺は、まさにぴったりのところだったのでしょう。
2 金堂の国宝・薬師如来立像
金堂の後方「須弥壇」には、真ん中の厨子に、薬師如来立像が安置され、脇侍には日光、月光菩薩、さらに、四天王、十二神将像がずらりと並んでいます。壇前まで、仏さまのそばに寄ることができるのはありがたいですね。
我が国の国宝第2号である薬師如来立像。
実物を目の前にすると、誰しもが感じるという威厳と威圧感がよくわかります。壇上から見下ろされるので、一層「圧」を感じます。
一木造の重厚感あるフォルムで、隆々とした大腿部、厳しく引き締められた口元、射すくめられるような目など、威風あたりを払う姿は実に個性的です。流麗、端正さもあわせもつ、類まれな仏像を祀っている金堂の建立は、山口氏にとって、本望だったと思いますね。
日光、月光菩薩は、存在感ある薬師如来立像の前なので、そっと脇に立つという風ですが、細身で、官能的な美しさも感じる重要文化財の優品です。
十二神将像は、薬師如来立像から離れているせいか、思い思いの解放的なポーズをとり、なんだかユーモラスな雰囲気でした。
3 新緑のモミジと椿



全山、緑に包まれる中でも、地蔵堂周辺のモミジの美しさは格別です
足元は、言葉通り、モスグリーン、頭上は若葉のヴェールで覆われます。
地蔵堂の先には、清滝川の谷・錦雲渓と交互に連なる山々を一望できる高台に出てきます。せっかくですので、かわらけ投げで厄除けをしてきました。


売店の方からは、フリスビーの投げ方の要領でどうぞということでしたが、ほんとに滞空時間長く、遠くまで飛ばしたくなりました。こういう高さや深さがある光景を前にすると、何かを投げたくなるのは、人の習性みたいなものですね。
すっかりモミジに隠れてしまっていますが、神護寺の椿は、地蔵堂付近の参道沿いに藪椿の一群が、大師堂の右手に、いくつかの園芸種を見かけ、金堂の奥側には、サザンカと見える大きな樹もありました。でも、ここの主役はモミジで、椿は目立たず密やかに咲くばかりでした。







モミジ印


