桜でにぎわう嵐山を横目に、清凉寺付近から東に曲がって一条通をしばらく進むと大きな池が見えてきます。
この池は「広沢池」といい、平安の世から、観月の名所として、多くの歌人に詠われ、風流を好む人々が、月を愛でながら、酒を楽しむ場所として、親しまれてきました。
嵯峨野散策には欠かせないコースの一つであり、お月見、お花見、バートウォッチングなど、四季を通じて自然を楽しめるとともに、お盆の五山の送り火の「鳥居形」を見る格好のスポットでもあり、師走に池の水を抜いてコイやフナなどを獲る「鯉上げ」など、季節の風物詩として紹介されることも度々あります。
桜の季節には、桜にばかり目が行きますが、広沢池の西南のほとりに目を向けると、真っ赤な花を全身に纏う大椿に気づきます。谷崎潤一郎の「細雪」に出てくることで有名な椿です。
1 「広沢池」の歴史ある景観
「広沢池」は、もともと8世紀頃、渡来系の秦氏が嵯峨野を開発するにあたって、灌漑用のため池として造られたものと伝えられ、10世紀後半、池の北方の「遍照寺山」に遍照寺が建立された際に、堤が築かれ、月見堂などが建てられて、月の名所としての環境が整ったようです。
池の周辺一帯は「歴史的風土特別保存地区」に指定されており、開発が制限されてきたため、平安から江戸時代の古くから愛されてきた景観が今なお残されている貴重なエリアとなっています。
水面に映る山々、そして、お月様がゆらゆらと水間に漂う光景は、千年以上にわたって、名だたる歌人をはじめ多くの人の心をとらえてきたのでしょう。
自然景観という、具体的に目に見えるものだけでなく、歌枕の地として、名歌、エピソードが残され、歴史、文化の「厚み」が加わっている、京都有数の景勝地です。
2 「細雪」に登場する椿
椿ファンである私は、名だたる景観はひとまず置きまして、ほとりに佇む椿にスポットをあてましょう。
右京区の「区民誇りの木」にも選定されているこの椿は、高さ4.5m、幹周0.65mとなる、樹齢300年とされる大椿です。池の南西にある兒神社から、一条通をはさんで対角面、道の南沿いの空き地にぽつんと一本立っています。
「赤角倉」でしょうか、千重咲の小ぶりな紅い花が、驚くほどびっしりと木を覆いつくしています。このボリュームには圧倒されそうです。ちょうど満開のときに見ることができたのですが、本当に見事ですね。300年のお年とは思えない若々しさを感じます。
「細雪」の一節です。
明くる日の朝は、まず広沢池のほとりへ行って、水に枝をさしかけた一本の桜の樹の下に 幸子、悦子、雪子、妙子と云う順に列んだ姿を、遍照寺山を背景に入れて貞之助がライカに収めた。この桜には一つの思い出がある。・・・(中略)・・・以来彼女たちは、花時になるときっと、この池のほとりへ来、この桜の樹の下に立って水の面をみつめることを忘れず、且その姿を写真に撮ることを怠らないのであったが、 幸子は又、池に沿うた道端の垣根の中に、見事な椿の樹があって 毎年真紅の花をつけることを覚えていて、必ずその垣根のもとへも立ち寄るのであった。
現在、この椿は道沿いの空き地に立っているため、ごく身近に見ることができてうれしいのですが、やや殺風景な感もあります。
細雪の場面では、どんなロケーションだったのでしょうか。旧家の園庭の垣根越しに見えていたのかな。家人は、春霞の広沢池を背景に椿を楽しんでおられたのかもしれません。
そんなことも考えつつ、池の回りの桜を観ながら、池を後にしました。