「花尻の森」の椿群

 

1 「花尻の森」

 師走の全国高校駅伝の男子コースでもおなじみの、白川通を北上し、叡山電鉄叡山本線跨線橋で越え、花園橋から、東に折れて、国道367号を進み、八瀬の集落を過ぎると、京都・大原の入口へと差し掛かります。

 しば漬けで有名な、土井志ば漬本舗本社製造工場が見えてきますが、このすぐ先の「花尻橋」を渡った右手側に、鳥居が立ち、小さな祠がまつられています。

 ここは「花尻の森」と呼ばれ、落椿が有名で、写真や映像により、数知れず紹介されてきた椿の名所の一つです。

2 椿の樹群に驚く

 鳥居横の大きな藪椿(幹周1メートルを超えています。)にテンションが上がりつつ、祠への石段を上がりながら見渡すと、左手に、十数本の椿の大木が林立しているのが見えます。壮観です。

 

右側の写真の石段が、紅い落椿とのコントラストに映えるショットをよく見ます。

 特徴ある樹を二本、紹介します。

 この樹が一番、独特の形状をしており、二股の大きな枝が伸びているさまは、人が逆立ちをしているようにも見えます。瘤下で、幹周130センチ弱あり、一番の巨木、古木かもしれません。

 この樹は、他の樹と少し離れて、「孤高」の雰囲気を漂わせる威厳のある樹です。苔むした樹肌に風雪を耐えた重みも感じられ、代表的な一木だと思いました。この樹に、久しぶりに、立派な大きさのカタツムリを見ました。

立派な御神木です。この樹の足元に椿が降り積もるさまも絵になります。

3 「花尻の森」の言い伝え

 花尻の森には、かつて、若狭の殿様に見初められ、玉の輿に乗った、大原の里の娘が、病を得て、捨てられ、悲嘆にくれて、川に身を投げたところ、大蛇と化し、花尻橋で、若殿の一行を襲ったが、家来によって切り殺されてしまいます。その恨みか、激しい雷雨と悲鳴が続き、恐れおののいた里の人たちにより、大蛇の頭は、「乙が森」に、尾を「花尻の森」に埋めて、供養したとの言い伝えがあります。

 また、源頼朝が、寂光院に隠棲した建礼門院を監視させた松田源太夫の屋敷址とも伝えられています。

大原観光保勝会ホームページより

花尻の森 - 大原観光保勝会 (kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net)

 

4 八瀬・三宅八幡宮と三明院

 帰途、八瀬の三宅八幡宮と、境内から山道を抜けて、三明院を訪れました。

 途中、白いサザンカ系?の花が咲いていました。我が家のサザンカも、今年最初の花が咲き始めており、暑かった夏が過ぎ、いよいよ、開花のシーズンを迎えようとしています。楽しみです。

 

三宅八幡宮。神の使い、狛鳩!
三明院・山門と多宝塔。多宝塔からの眺め。秋の気配ですね。