奈良の三銘椿といえば、東大寺開山堂の「糊こぼし」、百毫寺の「五色椿」、そして、伝香寺の「散り椿」です。
この3月末の奈良の椿巡りでは、百毫寺と伝香寺と元興寺とを巡りましたが、ボリューム感あふれる花盛りに出会えたのは伝香寺。
「武士(もののふ)椿」の別名でも知られる椿を堪能してきました。
伝香寺は、戦国時代の大名で、大和の国を治めた筒井順慶(1549~1584年)の菩提所として、1585年(天正13年)に、順慶の母・芳春尼の発願により建立されました。
若くして亡くなった順慶のためにとの母の願いということですが、確かに、わずかに35歳とは、当時とはいえ、あまりにも早いですね。
興福寺の衆徒から抬頭し、大和に割拠する豪族間での覇権争い、さらに、松永久秀との抗争、明智光秀、織田信長、豊臣秀吉の下で、何とか、生き残りを図った激動の一生は、尋常でないストレスフルなものであったろうと推察します。
せめて、香花の絶えない寺で菩提を弔おうと、芳春尼は、お堂の前に、椿を植えたと伝えられ、今は、その三代目と四代目の椿が、後を継いで、見事な花を咲かせています。
この椿は、「色まだ盛んなとき、桜の花びらの如く散る椿で、その潔さが若くして没した順慶になぞらえて、「武士(もののふ)椿」の名を得た」といわれています(「伝香寺HP」より)。
この伝香寺は、JR奈良駅から真東に600メートルほどの近場にあります。
町中にあって、あまり目立つことなく、さりげない感じで存在するお寺ですが、駐車場(有料)も付設してあるので、車で行くのも便利です。
椿のシーズンなのですが、観光客は見当たらず、貸し切り状態でしたね。
境内に入ると、すぐ、椿の花が迫ってきました。
最初に見えるのが、4代目「もののふ椿」です。
おそらく前週あたりがピークだったようですが、それでも、この花の波。
こちらの大きい椿が、3代目「もののふ椿」ですね。
散椿が桃色に地面を染めます。
霊鏡寺散椿のようです。
(6.4.7 霊鏡寺散椿)
本堂(重要文化財)の前の3代目。
初代の椿と同じ場所なのだろうと思います。
波打つ花弁が、ふくよかで、柔らかみのある、美しい椿ですね。
散際の潔さから、「もののふ椿」と命名されていますが、私には、武辺の凛々しさというよりも、美しい儚さを感じました。母の思いとしては、そうだったのではないかと想像します。
3代目の根元です。まだ、そこまでの風格はありませんが、「由緒正しき」名椿の系譜を引き継いでいます。
本堂横の地蔵堂には、「はだか地蔵尊」として親しまれている、裸形地蔵菩薩(重要文化財)が安置されています。
胎内に、十一面観世音菩薩立像や舎利壺とともに、1228年の発願年記が発見され、春日社の本地仏であることがわかったという、歴史の古い客仏です。
綺麗なお顔が印象的ですが、どことなくなまめかしさも感じる、不思議な魅力のある仏像ですね。もののふ椿の花とよく似合いそうです。
かたわらには、島左近が筒井家に奉納したとされる「南無仏太子像」が控えています。