枯山水庭園といえば、龍安寺の石庭と並んで有名なのが、大徳寺・大仙院の書院庭園です。
永正10年(1513年)に建築された、国宝の方丈を取り巻く庭園のうち、方丈北東に位置する「書院の間」に面する鍵型の庭は、わずか30坪ほどの広さですが、名石と白砂により、山水の景観が凝縮して表現されています。
主役は、石と砂なので、植え込みは限られているのですが、その中でも椿が存在感を見せています。また、昭和25年に中根金作が整備した北庭には、美しい絞りの椿がただ一本、端然と咲き誇っていました。
1 中庭に咲く椿
大徳寺の北方にある大仙院は、永正6年(1509年)に大聖国師・古岳宗亘(1465-1548)が大徳寺第76世を辞した後に開いた塔頭です。
歴代、古渓和尚、沢庵和尚など名僧が住持を務め、大徳寺の数ある塔頭のうちでも、特に重んじられたものの一つです。常時拝観ができる貴重な場所でもあります。
大徳寺の壮大な山門、仏殿、法堂を右手に見ながら、聚光庵から方丈の北側に回ると、緑に包まれた落ち着いたたたずまいの「大仙院」が見えてきます。
受付を済ませて、早速方丈へと。
南面には、一面の白砂の大海が広がります。二山の盛砂と、右奥に、沙羅双樹の立つ島が浮かぶだけ。清らかで穏やかな光景です。実は、ここは、北東の源泉から流れ出た水が行き着く場所であり、悟りの境地を示すところなので、順番としては、最後に見るべきところではあります。
西側から北側に回ると、方丈と書院に囲まれた横長の中庭があります。白砂の中海の左手には3つの石、そして、右手には井戸と椿がただ一本植えられています。シンプルで やや緊張感ある空間を椿が和らげているという感じですね。
椿は、ちょうど花盛りで、紅花と絞の入った花を咲き分けていました。絞花には、白い雲状のぼかしが入り上品な装いです。
あまり華美だとこの庭にはそぐわないでしょうが、気品ある絞花であり、紅花が主であることもあって抑制が効いており、ここにふさわしい椿として選び抜かれたものであろうと思いました。
品種は何でしょうか。「糊こぼし」「霊鑑寺舞鶴」に似ていると思いました。
2 特別名勝「書院庭園」の月光椿
さて、中庭を仕切る渡り廊下を過ぎると、これまでとは異なる石組の光景が目に入ります。ここが、特別名勝の書院庭園です。
わずか30坪ほどの広さに、100個以上の石を配置し、山水を現出させ、水の流れを人生になぞらえて一連のストーリーを語らせる。禅の深い素養、研ぎ澄まされた空間感覚・審美眼、卓越した芸術的才能があってのことですよね。
作庭は、かつては相阿弥と、現在では大聖国師の手によるものとされていますが、いずれにせよ、その元で当時の山水河原者の力量がフルに発揮された名園です。ほぼ変わらぬ姿を今に見ることができるのはありがたいことです。
500年以上にわたり、枯山水のお手本的な存在であっただけに、主要な石は、名前を有し、中には利休のエピソードを持つものもあります。
中央、「枯滝組」から流れ落ちた水が左右に分かれて、下っていきます。
五葉松の根元、おむすびのような石が「布袋石」
東庭を区切る形で張り出す廊橋。
従前の庭の様子を表す絵図に基づき、昭和35年に再設置されたものです。
手前のずんぐりした岩が「臥牛石」。
大河に浮かぶ名石「長船石(釣舟石)」。舳先の上に見えるのが「寶山石」。
千利休が、この「沈香石」の上に花を生け、秀吉をもてなしたと伝えられています。「沈香石」の右上に顔をのぞかせているのが「虎頭石」。
左上、木の葉のように見えるのが「亀甲石(靈亀石)」。
石囲いの大石の左に接するのが「佛盤石」。
蓬莱島を形成する、2メートル以上ある「不動石」と、その右の「觀音石」。
こんな名庭の植え込みに選ばれているのが椿であるのがうれしいですね。蓬莱山の植え込みには、3種の椿がありました。中心にあるのが「月光椿」。流れ出た白砂に浮く一輪の落ち椿。絵になります。
一番大きそうな椿でも、幹径10センチ程度か。まだ花は咲いていませんでしたが、100年くらいの樹齢でしょうか。石の永劫さには敵いませんが、時を経て、いずれは、名前を持つ椿となってほしいものです。
3 鐘楼近くの椿
受付と鐘楼との間に、かなりの年を経ていると思われる椿を見かけました。
唐子咲か獅子咲か微妙ですね。「日光」に似ていますが、唐子のほどけ具合が違うかな。
4 紫野松風
帰りに、大徳寺そば、北大路通りに面して店を構える和菓子の老舗「松屋藤兵衛」さんの紫野松風を買いました。
見た目はカステラのようですが、食感はややずっしりしています。味噌味と、大徳寺納豆の風味、胡麻の香ばしさが口中に広がり、食べ終わってから、控えめな甘さが、じんわりと後を引きます。
これは癖になる美味しさですね。大徳寺納豆と「紫野松風」は、大徳寺参拝帰りのお土産の定番になりそうです。