足利学校と鑁阿寺に椿を探す

 栃木県足利市は、その名のとおり、足利氏発祥の地として知られています。

 JR足利駅の北西、渡良瀬川の河北にある旧市街には、日本遺産「史跡足利学校」、足利一門の氏寺「鑁阿寺」を中心に、「東の小京都」と称される、由緒ある伝統と歴史を感じさせる街並みが広がり、まち歩きを楽しめます。

 京都の椿巡りでは、金閣銀閣はもちろん、等持院鹿王院等々足利将軍ゆかりの寺社旧跡を数多く訪れてきたので、何となく親近感を感じながら、足利のまちをぶらついてきました。

 訪れたのは、令和7年8月10日の日曜日、あいにくの雨模様でしたが、前週は、伊勢崎で41.8度という日本最高気温を更新したところだったので、憩いの雨となり、暑さに苛まれずに過ごせたのは、むしろ幸いでした。

 都心からは離れていることもあって、それほど観光客が多くもなく、自分のペースでゆっくりと過ごせたのもうれしかったですね。限られたエリアしか見ていませんが、落ち着いた、雰囲気のよいまちでした。

 足利には、特に有名な椿はないようですが、足利学校鑁阿寺の庭園に、それなりの存在感を見せる椿を見かけました。

1 足利学校の椿

  日本最古の学校として有名な足利学校。その創建については諸説ありますが、関東管領の上杉憲実が、貴重な書籍を寄進し、鎌倉から禅僧快元を招いて、初代庠主(しょうしゅ:校長)とするなど手厚い支援を行い、再興に導いたことが、文献上で確認されています。

 上杉氏、後北条氏の保護を受け、戦国の世ながら我が国の学問の中心地となり、海外にまで名を馳せたというのは、周知のとおりですね。

 入口の「入徳門」の向こうには、一直線上に、「學校門」、「杏壇門」の二つの門と、さらにその奥に「孔子廟」が連なっています。

 「學校門」をくぐる際には、学徒が勉学に励んだ場へと、まさに「入門」という心持ちがしました。 

 この「學校門」と「孔子廟(大成殿)」が、寛文8(1668)年建築の、現存する最古の学校遺産となります。

 敷地西半分に位置する「孔子廟区域」は、かつての姿を残しており、東半分の、学生たちが学び、生活していた「学問所区域」は、明治以降、大きく変容してきました。

 明治維新の激動の時代に、町民有志が奔走して、町民のための学校が開校され、貴重な遺跡を保存するための文庫も設立され、昭和57年(1982)には、小学校の移転を契機に、建物・庭園の復元工事に取り掛かり、平成2年(1990)12月に、江戸時代中期当時の「学問所」の姿が今に甦りました。

 足利学校をシンボルに、学問を大切にしてきた歴史と風土を、市民が誇りに思い、護ってきたことがよくわかります。「教育遺産」にふさわしいストーリーを有するまちだと思います。

 茅葺の方丈の南には、開放的な築山泉水庭園が広がります。

 庭園の東側、「孔子廟区域」との境界付近に、まだ若木ですが椿が2本植えられていました。結構目立つポジションにあり、樹齢を重ねると、存在感を発揮するのではないでしょうか。

 方丈の北には、書院と大成殿の築地塀とに囲まれた中庭の庭園があり、大成殿を借景に、まとまりのよさと格の高さを感じました。

 方丈の大広間に並ぶ床机に向かい、場所柄にフィットしているなあと面白く思いながら、置いてあった「漢字クイズ」をしばらく解いていましたが、開け放された部屋に、南北の庭園を渡る風を心地よく感じました。

2 鑁阿寺の椿

 鑁阿寺は、もともと、足利氏の館であり、建久七年(1197年)に足利義兼が邸内に持仏堂を建立したことに始まります。約4万平方メートルに及ぶ方形の敷地の周囲には、濠がめぐり、土塁が築かれ、武士の館としての姿を今に伝えています。

  四方に構える門のうち、メインの南門は、お濠を渡る屋根付きの太鼓橋と、足利義輝が建てたとされる楼門が風格ある姿を見せています。この山門へとまっすぐに至る「大門通」は、石畳が敷かれ、鑁阿寺の景観と調和した、落ち着いた風情を漂わせていました。

 山門から境内に入ると、正面に、立派な本堂が見えてきます。正安元年(1299)に建立されたもので、応永14年(1407)から永享4年 (1432)にかけて大改修が行われ、外見が変わりましたが、内部の造りに、鎌倉の禅宗様式を残す貴重な建築物として、平成25年に国宝に指定されています。

 この本堂前の左手には、「国宝」級の風格のあるイチョウの巨樹が立っています。

 高さ32m、目通り8.3mという双幹の大樹には、推定550年の樹齢ならではの貫禄があり、神様を宿すような厳かさをも感じました。

 この樹容であれば、黄葉時はさぞ見事なことでしょうね。立札には、樹勢が衰えとありましたが、遠目に見る限り、まだまだ元気なように見受けられました。

 足元が踏み固められないように、周囲を囲ったことが功を奏したのかもしれません。

 さて、いつものとおり、椿を探すと、本堂東面に面した樹々の中に、それなりの大きさのものを見かけましたが、この本堂や大銀杏の近くでは、全然目立たないのはやむをえませんね。

 帰路に、鐘楼まわりの庭園を通ったとき、何本かの寄せ植えを見つけました。椿を鑑賞するための庭に設えたようで、品種はわかりませんが、藪椿ではないようでした。

3 「銀釜」の釜めし

  さて、小腹もすいた正午頃、鑁阿寺近くにある、釜めしで有名な店「銀釜」へと向かいました。昭和元年の開業といいますから、今年でちょうど100年を迎え、今も創業以来変わらぬ味を届けている名店です。

 家族それぞれ、「鯛釜めし」、「浜焼き釜めし」、「五目釜めし」を注文、今から調理にかかりますということで待つこと半時間あまり、お待ちかねの釜蓋を開けると、実に香ばしい湯気が立ち上りました。見た目も綺麗で、食欲をそそります。

 具材の帆立、海老の味濃い目の出汁があつあつのご飯に染みわたり、これは美味しかったですね。1合の米を炊き上げるので、結構ボリュームもあってお腹いっぱいになりました。予約だけで満員になっていたのもなるほどなと納得です。

4 善徳寺の獅子

 1368年(応安元年)、室町幕府初代将軍足利尊氏を開基とする、足利氏ゆかりのお寺です。

太平記記念館」の道向かいにあり、観光寺院ではなさそうですが、鐘楼わきの入り口から入れましたので、お参りしてきました。

 百日紅が美しく咲く参道から本堂に行きますと、獅子が彫られている板戸が目に入りました。装飾にも手間とお金がかかっている様子でしたね。本堂内には、天井板絵が 面飾られているようです。市内には、ほかにも、歴史と由緒ある寺院がいくつも散在しており、訪ねると、面白い発見があるでしょうね。

 いつものことながら、一日かけて、まちを楽しむという大人旅ではなく、他のまちもいろいろと行きたいという滞在時間の短い旅なので、足利市のまちの良さには、表面的にしか触れていないのだろうと思います。

 それでも、雰囲気のある、品のあるまちだと思いました。またの機会には、渡良瀬橋の夕日も見た後で、ゆっくりと泊まりの旅をしてみたいですね。足利市を拠点に、佐野市栃木市という小京都散策を堪能するプランでしょうか。