足利氏の菩提寺である等持院は、夢窓疎石の作庭と伝えられる庭園「心字池」と、庭園「芙蓉池」の二つから構成されている庭園が有名です。方丈と、歴代足利将軍の木造が安置されている「霊光殿」の北面に、東西に渡り広がっています。まさに、回遊式庭園の名のままに、書院から庭に下りて、一周できますので、間近に、体感できるのは、ありがたいことです。樹々が好きな人にとっては、なおさらです。
ここには、樹齢およそ400年と推定される「有楽椿」があります。樹齢、樹容の見事さ、由来、場所の価値、もちろん、花色の妙、落花の映えなど、京の名椿として、屈指のものです。
「有楽椿」は、「芙蓉池」の庭園側、茶室「清漣亭」の近くにあります。池を見下ろす小高い場所に、がっしりとした太い樹が、三方へと枝を張っている姿を見て、感動しました。
いかにも年数を感じさせる幹と、とりわけ池側に張り出した枝が、力瘤のように節くれだって、うねりながら伸びているのは見事です。


寺の方に伺うと、やはり、有楽椿は、手入れに十分に手間をかけているとのことで、花付きもよく、開花時期も、来年1月から3月にかけて、ほぼ同じようになっているということでした。


私は、庭としては、自然の趣を残す「心字池」側に、より心を惹かれました。数多くの藪椿が、あまり手を加えた様子なく、植えられています。有楽椿のような、巨樹はなく、林の中に、目立たずに溶け込んでいるという感じです。でも、初春の花咲く時期には、庭にどのようなアクセントを付けるのか、楽しみです。



等持院は、戦国の世の中で、足利将軍の弱体化に伴って次第に衰微していたのですが、慶長11年(1606年)、豊臣秀頼により片桐且元を奉行として再興されたと伝えられます。有楽椿は、この際に植えられたとされているので、樹齢400年超えと言われている訳です。
膨大な数の、神社仏閣の建造、修復を行っていた秀頼ですが、1614年には、方広寺の鐘銘に難癖をつけられ、その翌年には、大阪城にて、豊臣家滅亡へと、坂を転げていく流れとなるのは、御承知のとおりです。
霊光殿には、足利将軍とともに、何故か、家康の木像も並んでいます。秀頼のことを考えると、やや複雑な気持ちになりましたね。





