二尊院の巨木「神代椿」

1 嵯峨野「二尊院」の参道「紅葉の馬場」

 「小倉百人一首」の小倉山の東麓にある二尊院

  開創は、承和年間(834~848)、嵯峨天皇の勅により円仁が建立したものと伝わっています。

 長年、京都に住みながら、二尊院を拝観するのは初めてです。嵯峨野は、家から車で20分くらいなので、いつでも行けると思いつつ、ようやくの機会ということになりました。

 朝9時の拝観開始に一番乗り。

 総門をくぐると、参道がまっすぐに続いており、モミジと桜が、道に枝をさしています。この「紅葉の馬場」は、秋の名所として知られていますが、夏の季節、濃い葉の緑と、苔むした地面と、まさにオールグリーンの中を、木漏れ日に照らされながら歩くのも、またよいものです。

 モミジと桜が主役ですが、ところどころに椿も植えられ、参道西側は、椿垣も続いています。

参道には、西行法師、高浜虚子ら、数々の歌碑、句碑も置かれています。季節の花が竹に飾られているのもきれいですね。

(追記:2023.3.19)

 椿のシーズン到来です。入口の竹に飾られた椿は、今、咲いていることを知らせてくれているようです。

 参道から、勅使門(唐門)OR「黒門」をくぐり、本堂へと向かいます。

左が有名な「勅使門」。右が「黒門」。裏口的な感じですが、少し鄙びた風情の奥に、本堂が見えるのもアングルとしてもいいですね。

 勅使門の「小倉山」の扁額の下向こうに、椿の彫刻が見えます。

 

 本堂前には、広く庭が広がり、よく手入れのされた樹々が植わっています。

 本堂をお参りさせていただき、外廊下をぐるりと一周、向かって左側の庭と続く奥庭にも、多くの椿が見受けられました。 

写真には写っていませんが、左手の方に、椿が見えました。モミジが少し色づいて、秋の気配を感じさせるような?

2 「神代椿」は巨木だった!

 二尊院は、「神代椿」と「侘助」が見どころとされており、若いお坊さんに、その場所をお聞きしました。

 お坊さんは、「そんなに詳しくないので」とおっしゃりながらも、2本の椿の樹を教えていただきました。一つが「神代椿」と、もう一つは、斑入りが美しいものということです。

「神代椿」だと、こちらの樹を案内されましたが、樹としては立派なものの、葉を見ても、どうも椿ではないような気がするのですが・・・。

そばにある、この樹は間違いなく椿なので、こっちの方じゃないでしょうか。また、シーズンに訪れて確かめます。

「神代椿」桃紅・紅色 八重 筒・割しべ 大輪

花弁の1,2枚が 決まってその弁縁に鋸状の切込みが入る「鋸歯弁」になるのが特徴
また 花芯近くの小弁には淡紅色の縦筋も入る。 (「和みの庭」さんから引用させていただきました。)

(2023.3.19追記)

 前の写真の石段を上がったところに聳えるのが「神代椿」だと、案内の方に教えていただきました。

 こんな貫禄のある巨木なのに、花が咲いていないと、ついつい見過ごしてしまうものなのですね。瘤やねじれもなく、すっとした幹が二本、根元から立ち上がっています。

 確かに「鋸歯弁」の特徴が出ています。小弁への縦筋はちょっと確認できないですね。大輪ではなく、中輪です。

 この「神代椿」の周辺には、実生なのか、同種の椿がいくつか見られます。

 まだ小さい株で、小輪のものが目立たずに咲いていましたが、紫がかった、大変魅力的な色合いと葉脈のような美しい筋が入り、心惹かれました。

3 椿あれこれ

社務所前、大きなモチノキの脇にあります。こちらが、斑入りの藪椿と案内されました。

(20033.19追記)

 斑入りの花はありませんでしたが、華やかな咲き方ですね。

 本堂東隣の「弁天堂」前の五色散椿です。

4 「時雨亭」跡から市内を一望する。

 本堂向かって右手に、湛空上人廟へと続く階段道があり、伊藤仁斎、角倉家や公家の墓が並んでいます。大きな藪椿も見かけました。廟から山道に入って西に進むと、藤原定家百人一首の想を練ったといわれる「時雨亭」跡があります。

(2003.3.19追記)

 「時雨亭」跡・・・とされるところです。

 「時雨亭」跡からは、市内一円を眺望できます。遠近の山々の重なりも絵になりますね。

 

小倉餡発祥の地の碑。空海は、中国から小豆を持ち帰り、菓子作りの技術をも伝えたようです。和菓子の分野にまで伝説を残しているのですね。

総門前の塀際に、結構大きな椿がありました。人知れず、美しい花を咲かせているのかも。

5 花づくし

(2023.3.19追記)

 供花三選。

 

 参道に、色とりどりの花に溢れた「人力車モニュメント」が展示されていました。まさに洋花ならではの絢爛たる雰囲気で、もうじき、桜が咲くと、フィットしそうな気がします。

 洋種の椿だと、ここに加わっていても、似合うかもしれませんね。








 

 

 

 

 

御香宮神社の「おそらく椿」

 伏見大手筋商店街を東に進み、近鉄桃山御陵前」駅を過ぎると、御香宮神社の立派な表門が見えてきます。

 神功皇后を祭神とする大きな社で、応仁の乱後、秀吉が伏見城内に移して再興し、のちに家康が再び現在地に社殿を造営し、今に至っているものです。


 ここには、かの小堀遠州(1579~1647)が、「おそらくこれに勝る椿は他にない」と称えたと伝えられる有名な「おそらく椿」があります。

 小堀遠州は、茶人及び作事方として高名な大名で、1623年(元和9年)に伏見奉行に着任し、伏見奉行所を新築した際に作庭した庭園は、徳川家光に褒められ、5千石が加増され大名となったといいます。行政・政治手腕と芸術の才を両立させながら、乱世を生きた、非凡なお方だったのでしょう。

1 「おそらく椿」のありか

 この小堀遠州のお墨付きという銘椿は、高さ4メートル、紅白まじりの散椿で、晩咲きの一品です。

 社務所の方に、場所をお聞きすると、参道左手の参集館の南側庭園にあるが、中には入れないので、参道から塀越しで見ていただくことになりますとのことでした。

 教えていただいた場所を探しましたが、花の咲いている時期と違いますので、椿らしいものは見かけましたが、どうも確証が得られませんでした。

門の右脇すぐ、奥に見えるのが、「おそらく椿」(松の背後にかかるのは別の木です。)

 そこで、庭・境内の世話をされている年配の方々にお聞きしますと、スマホで、「おそらく椿」の写真を見せてもらいました。

 小堀遠州が激賞した現物であれば、樹齢ほぼ400年になる古木のはずです。

 が、樹齢にしては、幹も太くなく、4~5本の株立ち状になって各々伸びており、大木感や老樹感はあまり感じられません。樹が弱っているというようには見えなかったので、よほど成長が遅い椿なのか、もしかすると原木の代替わりなのかもしれません。

 地面に落ちた花は、水気が多くて、風圧掃除機でも、吹き飛ばすことができず、なかなか始末が思うようにならないとおっしゃっていました。ぼってりとした肉厚な花びらなのでしょうか。

 スマホでも、花姿の美しさが伝わるものでしたが、実物を見るに如かず。

 塀越しでは、樹容が部分的にしかわからないのが残念ですが、場所はわかりましたので、再訪して、見させていただこうと思います。

 社務所西側には、遠州が作庭した伏見奉行庭園の石を移築して「遠州ゆかりの石庭」が再現されており、ここに、「おそらく椿」の後継樹が見られるとお聞きしました。

 また、桃山一帯は、かつて、椿の一大産地であり、それを今に伝える、大神楽椿と白玉椿の古木が、この庭に献木されたということで、それを見るのも楽しみにしています。

(追記2023.4.9)

 今年は、気温の上がり方が早く、椿の見ごろも例年よりも前倒しの感がありますが、4月9日は、ちょうど「おそらく椿」の花盛りとうまく合ったようです。

 塀越しではありますが、満開に咲き誇る椿を観ることができました。

 一時、樹勢が弱ったと聞きましたが、これだけたくさんの花を今も咲かせてくれてうれしいことです。

 門の破風板に、椿が鏡のように映っているのも、お洒落ですね。

 「五色八重散椿」の、選木の一つなのでしょう。

 厚みを感じますが、重苦しさまでには至らない、頃合いのボリューム感です。

 白系統が主ですが、赤系統もわずかにあります。

 参道の駐車場側にも、椿が一列に植えられ、美しい花を咲かせていました。

2 新緑がまばゆい「石庭」

 「石庭」を観園してきました。モミジも若葉が伸び、すでに、新緑となっています。

 庭には下りられないので、わかりにくいのですが、これが、おそらく「おそらく椿」の後継樹と思われます。

 モミジの若葉越しに見える斑入りの椿は何でしょうか。

 文明9年(1477年)の銘のある手水鉢です。

 お手洗いへの廊下の戸を開けると、こんな落椿の光景が。

3 絢爛たる彩色と椿の意匠

豪華な拝殿の軒廻り。小堀遠州が椿花を加えたと伝えられています。

 蟇股にも、いくつか、椿花が見られます。

本殿前のソテツの大樹。幹の数は10本、最大幹の幹周は1.375メートルにも達します。

 

 

 

 

 







 

松阪で「鎌倉絞り」の古木を見る

本居宣長の暮らしに触れることのできる「本居宣長記念館」

 8月12日、酷暑の中、お伊勢さんからの帰途に、松阪市を訪れました。

 「本居宣長記念館」に行こうと、市内を車で走っていくと、旧松阪城下の、武家屋敷の並ぶ街並みへと入りこみ、まるでタイムスリップしたかのような感覚に陥りました。

 城跡の傍に、記念館は位置しています。

 国学の大家として高名な本居宣長の、研究はもちろん、日々のなりわいが、わかりやすく工夫して展示されており、興味深く観覧させていただきました。

 全く字形の崩れもなく、活字と見まごうばかりの筆跡、備忘メモとその目録などの整理を見て、なんとも几帳面、律儀で、粘り強い学究肌のお方だったのだろうなあと改めて感じました。

 医者の稼業を続け、家族の生活を守りながら、研究に打ち込む堅実さにも感じ入るものがありました。

 記念館から山手の城郭側に上っていくと、本居宣長の旧宅が移築されています。1691年と伝えられていますから、330年前に建てられたようです。

 簡素・質実、コンパクトなつくりの家ですが、2階の研究部屋は、お日様がよく当たる開放的な部屋と見えました(残念ながら2階は立ち入り🚫です。)。

 

こんなところに「鎌倉絞」

 旧宅を見学後、見晴らしの良い城跡公園に出ると、手入れされた庭園があり、見ごたえのある椿が何本かありました。

 とりわけ、根本近く6本に枝分かれし、高さ、葉張りともに5メートル以上に及ぶ立派な一本には驚きました。樹齢も百年は優に超えているだろうと思われます。


 記念館の方に聞いてみると、「鎌倉絞り」とのことで、PCから写真も見せていただきました。いや、確かに、そうですね。

 「鎌倉絞り」は、樹勢がそんなに強くないので、ここまで大きく育つには、相当の時を経ているのではないかと思います。

 中京には、「鎌倉絞り」の古木ありと、ものの本には記載されていますので、昔から、好んで植えられてきた品種なのかもしれません。

 城下の街を背景に、高台に咲き誇るのは、絵になると思いますね。開花時には、これを目当てに来られる方もいるそうです。

 今回は、道すがらで、あまり時間をとれませんでしたが、界隈には、歴史ある旧家が多くあり、おそらく、椿の古木も、人知れず息づいているのではないでしょうか。

 花の季節に、ぜひ再訪したいと思います。

他にもこんな立派な椿の木が

 松阪市にある「来迎寺」は、樹齢300年を超える「オランダ紅」が見どころで、訪れたいと思っていたのですが、ネットで確認すると、2017年に惜しくも枯れてしまったということでした。樹齢300年から400年くらいの名椿が、近年に枯れてしまう例が多いのは、強烈な暑さも影響しているのではないでしょうか。

宣長さんは、研究や仕事の疲れを、愛好していた鈴の音で癒していたそうです。
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常満寺椿の原木を見る

 犬山城から常満寺へと歩く

 犬山城を訪れる観光客は多いですが、常満寺まで足を延ばす人は少ないでしょう。城を出て、南の方向に5〜6分も歩くと、静かな佇まいが見えてきます。

 寺に至る道筋は、犬山市の観光ルートのメインストリートからは一筋外れており、静かな雰囲気の好きな方には、一般車もあまり入ってきませんし、散策にもってこいです。日常の生活感の中に、風情のある雰囲気が漂っています。小学校を囲む塀も、昔の御屋敷のようです。

 

これが、常満寺椿の原木!

 常満寺椿は、関戸太郎庵椿の実生による変異種として生まれたとされています。

 もともと、江戸中期の茶人高田太郎庵が、熱田神宮から譲り受けて愛した椿が「太郎庵椿」。その「太郎庵椿」が、後に、名古屋の豪商「関戸家」へと渡ったものが「関戸太郎庵」。さらに、この「関戸太郎庵」が、常満寺に伝えられ、常満寺椿が生まれたという系譜のようです。

 当時の住職が茶人でもあったため、関戸家との縁があったことから、関戸太郎庵を譲り受けたとのこと。常満寺椿の、そのまた変異種として、紅常満寺椿が生まれたとのことです。本堂前に、これらの原木が一堂に並び立っています。

 現在、火災で焼失した本堂の再建工事が行われているところで、中に入って見ることが出来なかったため、駐車場越しに見せていただきました。

常満寺椿」の原木。ちょうど再建工事中でそばからは見ることができませんでした。
右奥が「常満寺椿」、あと、「紅常満寺」の原木、譲り受けた「関戸太郎庵」が並んでいるそうです。


 住職にお尋ねしたところ、これらの由緒を丁寧に教えていただき、場所をご案内いただきました。 

 江戸の頃、椿が庶民にも広がったものの、時の為政者(尾張藩主?)は、市井の者に椿などまかりならぬとばかり、民家の椿については、古木を切り倒してしまったということらしいです。

 このため、樹齢300〜400年の大木は、わずかに、常満寺のような寺社にしか残っていないとのお話しでした。

 先年の火災で、常満寺椿も被害を受けましたが、何とか元の姿へと回復できたようで、貴重な原木が守られ、何よりです。

 鐘楼の傍に、常満寺椿の立看板のある、30年生ほどの見本用の椿が植えられていますが、やはり折角のことですので、原木を見たいですね。貫禄が違います。

 

「余の花はみな末寺なり妙蓮寺」宗祇

 「妙蓮寺椿」の名の由来の寺、本門法華宗大本山「妙蓮寺」は、西陣を東西に走る寺之内通に北面し、京都風に言うと、上京区寺之内通大宮東入ル(寺之内通堀川西入ル)にあります。


 豊臣秀吉は、京のまちの改造にあわせて、寺院を移転させ、今に至る「寺院街」を形成しましたが、そのうち、市街地の東側にあるのが、いわゆる「寺町」、そして北部にあるのが「寺之内」です。

 寺之内通は、その名のとおり、「寺之内」を通る、狭いながらも、歴史と風情を感じる通りです。

 連歌師・宗祇(1421~1502)が称賛した「妙蓮寺椿」。

 この時代から、名花として、評価が定まっていたということですね。

 先代の「妙蓮寺椿」は、塔頭玉龍院にありましたが、昭和37年(1962)の火災によって、残念ながら焼失してしまいました。

 今は、寺務所前に、二代目が植えられています。

可愛らしい実がなっています。


 お寺の庶務の方から、いろいろとお話をうかがいました。

 寺務所奥の庭には、より見ごたえのある「妙蓮寺椿」があるとのこと。

 例年、椿の咲くころに、庭園、宝物殿の観覧とセットになった特別展が開催されるので、そのときに再訪しようと思います。

www.kyogurashi-neko.com

 「妙蓮寺椿」は、早咲きなので、11月ごろから咲き始めるようです。

 私の鉢植えのものは、「絞り妙蓮寺」ですが、確かに、一番早くに咲き始めるものの一つです。

 数年前までは、「妙蓮寺椿」の苗を販売されていたそうで、京都だけでなく、遠方からも買い求めに来られる方もおられ、毎年、好評につき完売だったそうです。

 残念ながら、今は、販売をやめられたとのことです。

全国的にみても数少ない本格的な袴腰鐘楼

 この鐘楼の横にある御会式桜(おえしきさくら)が、秋から春にかけて咲いているとのことで、「妙蓮寺椿」の開花時期と重なり、競演が長く見られるようです。


 

平岡八幡宮の藪椿を見上げる

 京都市内から、紅葉の高雄、そして旧・京北町へと連なる国道162号線、いわゆる「周山街道」を、福王子から10分程度車で走ると、平岡八幡宮の鳥居と参道が見えてきます。

 この平岡八幡宮における故事では、『願い事をすると、白玉椿(白い花の椿)が一夜で花開き、願いが成就した』とされており、これが「白玉椿伝説」と呼ばれています。

 今年の京都も猛暑が続き、先日訪れたときも、午前10時とはいえ、たまらない暑さ。

 こんな時期なので、誰もいない境内を歩き、社殿に向かうと、前右手に、見上げんばかりの、大きなやぶ椿がありました。立札によると、樹齢最大500年ということで、そうであれば、室町時代から生きながらえている椿ということになります。

 地上近くに、いくつかの瘤があり、幹に面白い表情を出しています。社殿に向かって左上方に傾いで伸び、太い枝が岐れながら、大きな樹冠を形成しています。写真でおわかりのように、かなりの樹高に達しています。


 大きな瘤の下のところで、幹周を測ってみると、115センチを超えていました。

 立札には、「花弁が三角形に開き始め、しべ(花の中心にある、雌蕊と雄蕊のこと)が赤みを帯び、一般の藪椿とは異なる珍種」と書かれています。また、シーズンに訪れ、どんな珍しい花なのか探ってみたいと思います。

(2023.4.29追記)

 椿のシーズンになかなか訪れることができずに、4月末となり、京北に行った帰りに立ち寄りました。この大椿には、数えるほどでしたが、最後の花が咲いていました。 確かに、しべが赤味を帯びていますね。

 この椿以外にも、山手側には、そこかしこに、大きなやぶ椿が生えていました。

 参道左手に、「椿の小径」と名付けられた脇道がつくられています。ここには、多種の椿が植えられており、通り抜けも楽しみです。

 宮司さんは、椿の開花時期は種類に応じて、長期にわたるので、長く楽しめるとおっしゃっていました。

(2023.4.29追記)

 「椿の小径」にわずかに咲き残っていたものです。

 伝承の白玉椿こと、「しだれ八重白椿」~一水椿の樹齢200年を超える古木は、社務所横にあります。

 「絵馬」には、この白玉椿が描かれています。いかにも御利益がありそうですね。

(2023.4.29追記)

 「白玉椿」の公開時期は終わっていましたが、一輪ざしに活けられていました。兎の鈴とよく似合います。

 最後の「花手水」を見せていただきました。これで、今シーズンの椿も見納めです。

 季節に応じた花の福鈴もとても可愛らしいものでした。折角ですので、椿の福鈴を買わせていただきました。

 宮司さんは、今年の暑さと乾燥は尋常ではないので、少し、もみじの色が変わってきているものがあるとおっしゃっておられ、確かに、枝先が、もう色づいているものも見かけました。

手前側のモミジの先の方が、少し色が変わってきていますが、紅葉の美しさとは違いますね。

(2023.4.29)新緑の平岡八幡宮です。

左は、御神木のツブラジイ(高さ18メートル、幹周5.1メートル。樹齢600年)。

 

350歳にして元気な、竹の寺・地蔵院「胡蝶侘助」

1 竹の寺「地蔵院」はこちら

 阪急嵐山線の「上桂駅」から西へ、物集女街道を横断し、山手へと進んでいくと、西山山麓西芳寺川の流域に、「苔寺」の名のほうが有名な「西芳寺」、同じく「鈴虫寺」と呼ばれる「華厳寺」のあるエリアへと行きつきます。

 その南に、やや小高くなった山あいに位置しているのが、竹の寺「地蔵院」です。

楓の木立をとおり、山門をくぐると、竹が連なります。本堂を右に進むと方丈と庭園に導かれます。

 南北朝時代の1367年、管領 細川頼之の建立によりますが、応仁の乱で消失し、1686年に方丈が再建され、今に至ります。庭園は、十六羅漢の庭と呼ばれています。

 なお、一休宗純が6歳で出家するまで、母とともに、この寺で過ごしたと伝えられています。

方丈へと向かう参道です。3月も後半、雨が降ると苔が活き活きとしています。

2 樹齢350年になる「胡蝶侘助

 この庭園には、再建当時からのものと伝えられる「胡蝶侘助」が、堂々とした枝張りで、主役を張っています。

 樹齢350年になるという古木にもかかわらず、まだまだ旺盛な成長を見せているそうです。「胡蝶侘助」は、私も鉢植えにしていますが、管理の問題か、伸びが悪く、枯れも目立ち弱々しいのですが、ここの樹は、青々と葉を茂らせ、樹勢を感じます。

 山に近く、適度な湿気と日当たり具合が、ちょうど樹にフィットしているのでしょう。

 お寺の方にうかがうと、この庭園以外の場所では、挿し木しても、なかなか元気に育たないということでした。

 西山を縦断する「京都縦貫道」ができてから、庭の苔の様相が随分と変化したそうで、地下水の流れの影響があるのかもしれないと話されていました。今のところは、この貴重な椿への影響は出ていなそうで、まずは何よりです。

(2023.3.26追記)

 庭園の椿が、ちょうど見ごろを迎えています。

 花が小さいだけに、木が紅に染まるという感じではありませんね。

3 ほかにも、この寺ならではの椿が~「袖隠し」「獅子頭

 「胡蝶侘助」とともに、この寺で見落とせないのが、「袖隠し」です。

 門外不出の椿で、袖に隠してでも持ち帰りたいと羨望されたというのが、その名の由来とされる、白く、ふくよかな大輪の椿です。庭園右手に、藪椿と混じりながら、上空に伸びています。

右の写真の手前の樹が「袖隠し」です。

 品種としては、江戸後期に創り出された、江戸椿とされていますが、椿の研究で知られる渡邊武博士の著作によれば、関東に現存する樹よりも、この寺と高台寺の樹のほうが古いため、もともとは京都の椿だったのではないかと推測されています。

 樹齢は150年程度、3月中旬ころに見ごろとなりますが、その期間はおよそ2週間程度と短いそうなので、時期を逃さないように気を付けて再訪したいと思っています。

(2023.3.26追記)

 「袖隠し」が咲いています。

 花が大輪に加えて、花弁が厚く層をなしているため重いのか、下を向いてしまいます。縁側から、見上げることができた一輪です。

 「袖隠」の隣の藪椿も満開です。

 「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」

 あと、お寺の方からお聞きしたのが「獅子頭」。

 「獅子頭」といえば、サザンカの一般的な品種ですが、それとは異なり、紅い大輪の椿で、この寺固有のものではないかと、研究家から言われているそうです。庭の奥にあるため、方丈の縁側からは見づらく、庭園周りの塀越しに見ることになるかもしれません。

(2023.3.26追記)

 「獅子頭」が、色鮮やかな深紅に咲いています。

 整った花弁の並びですが、必ずしも同心円状でない「崩し方」がいい味を出しています。洋種の椿のような雰囲気を持っていますね。

4 方丈でほっこりと庭園を鑑賞

 また、庭の左方には、大変、姿形の良い、五葉松の大樹があります。この樹も、再建当時からあるもので、五葉松としては、京都有数の樹容を誇るものです。


 この五葉松と「胡蝶侘助」は、それぞれに存在感がありますが、少々「あり過ぎ」かもしれません。

 寺の方曰く、庭師からは、庭園のバランス感という点では、もう少し刈りこんだほうがよいといわれているが、今もこれだけ元気に伸びているので、なるべく樹の成長に合わせるようにしているとのことでした。

 古木にもかかわらず、旺盛な成長を続けているのはうれしく、人の手による厳しい造形もよいのですが、おおらかな伸びをしばし楽しめるのもまたよいものだと思いました。

(2023.3.26追記)

 生憎の雨の一日だったこともあり、私が再訪したときには、参拝客も途絶え、「十六羅漢の庭」に咲く椿の光景を、方丈に、私一人きりの貸し切り状態でゆっくりと眺めていました。

 椿も種類によって、花の盛りの時期が違うのですが、今日は、すべての椿の時期が重なる、いい日和だったようです。

(追記2023.4.16)

 すっかり新緑の季節となった地蔵院です。空まで、モミジの青葉に覆われ、緑一色となっています。